goo blog サービス終了のお知らせ 

河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
加えて、日々の思いをブログに移入しています。

茶話120 / かわいい~

2024年02月22日 | よもやま話

畑から採ってきた白菜に、冬眠中のカメムシがついていた。
それを見て五歳の女孫が「かわいい~」
それを見た娘(親)が「触ったらアカンで! 臭っさいで!」
テレビで平野レミが作った料理を見たゲストの女性が「かわいい~」
それを見て、思わず「どこがかわいいねん!」とツッコミ。
  ◇
なんでも「かわいい~」と感じる昨今の風潮を「Kawaii文化」というらしい。
もちろん、綺麗な夕焼けを見て「かわいい~」とは言わない。
人より小さなもので、自分をプラスの感情にしてくれるものは、すべて「かわいい~」なのだ。

「かわいい」は、古くは「かはゆし」という言葉だった。
平安時代末期の『今昔物語集』に、「この子に刀を突き刺し、弓矢で撃ち殺したとは、なんともかはゆし」とある。
もともとは〈痛ましくて見るに忍びない。気の毒だ〉という意味だった。
だとしたら、現代の「かわいい~」の意味を、どのような言葉で言っていたかというと、『枕草子』の中に、
 うつくしきもの。瓜にかきたるちごの顔。雀の子のねずなきするにをどり来る。 二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指およびにとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつくし
(かわいらしいもの。瓜に描いてある幼児の顔。雀の子が、鼠鳴きして、ちゅっちゅっと声を出すと、踊るように近づいて来る。二歳か三歳くらいの幼児が、急いで這って来る道に、たいそう小さいごみがあったのを、目ざとく見つけて、とても愛らしい指でつかんで、大人たちに見せているのは、たいそうかわいらしい)

昔は、「うつくし」を中心にして、「あいらし・かはゆし・いたいけ・いとし・いとほし・しおらし・めぐし・,らうたし・をかし」など、様々な言葉で表現していた。
それが、室町時代以降、「かははゆし」の発音が「かわゆい」になり、江戸時代に「かはいい」と変化すると、
これにそって意味も、〈愛おしい・好き〉を表すように集約されていった。
ところが、現代になって、「かわいい」は〈可愛いい・愛らしい・マッチしている・小さい・しおらしい・味わいがある〉など、逆に、様々な気持ちにつかわれるようになってしまう。
おそらく、かわいい~ものを見て「かわいい~」言うことができる自分もかわいい~のだという心理があるのだろう。
そのうち、インスタバエするものはすべて「かわいい~」になってしまうかもしれない。

公園を、老夫婦が仲良く手をつないで散歩している。
可愛い女子高生が、老夫婦を見て「かわいい~」
その可愛い声を聞いて、我が相方に「わいらも手ぇつなごか」と言うと、「あほか!」
まったく、もう、可愛くない!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話119/ まあええか

2024年02月19日 | よもやま話

しばらくブログを書かなかったが、我が相方とペット犬のチロルと一緒に温泉へ旅行に行ってきた。
木々に囲まれた庭には、小川のせせらぎを挟んで、ノーリードの広い芝生のドッグランがある。
我々はテラスの椅子に腰かけ、芝生の上を走るチロルを眺めながら、熱いコーヒーを飲む。
幸いにもいい天気で、借景の常緑樹の雑木林から木漏れ日がキラキラと漏れてくる。
なんとものんびりとした時間が流れる。
いつものんびりしているが、それとは違った癒しを感じる。

遊び疲れたのか、チロルが私たちの方へやって来たので、さあ、温泉へ。
ペットも一緒に入っても構わないという、なんとも寛大なホテル。
ペット用のシャンプーや美容液もある。
風呂上りは浴衣ではなく作務衣で、犬用の作務衣まで用意してくれている。
お揃いの作務衣を着て部屋にかえり、さて、夕食。
ペット用は食堂にバイキングが用意されていて、好きなものをトレーに入れて部屋に持ってかえるというシステム。
人間用ではないのかと疑うような料理が20品目ほど並べられている。
「おいおい、こんなん食べさせたら、明日から食べさすもんがなくなるやないかい」
なのだが、家族同様のチロルのために、てんこ盛りして部屋にかえる。
テーブルには人間用の海の幸、山の幸が所狭しと並んでいる。
三人とも満腹になり、チロルを真ん中に、久々に川の字になって寝た。

こんなけの経験をすれば、四、五日分のブログが書けるだろうと思ったが、まったくの夢だった。
そらそうだ、愛犬のチロルなんていないし、ホテルに泊まったり、グルメしたりする余裕なんぞない。
  ◇
12月から、もう二か月半、これといった活動をしていない。
一所懸命に働いておられる方を思うと肩身が狭いが、一日の歩数500歩という日さえある。
こんな調子だから、何らかの感情、気持ちをもつことがない。
窓から見る景色も、春夏秋のように変化しない景色だ。
だから、ブログの記事が浮かばない。
なので、こんな夢をみたのだろう……。
でも、いい夢だったから、まあええか!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話118 / メール

2024年02月09日 | よもやま話

若者はLINEのメッセージで句読点をつけない、というのをテレビのニュースでやっていた。
句読点のある文章に、あまりよい印象を持たないという。
とりわけ句点[。]を嫌悪する。
冷たい印象を受けてしまうらしい。
そのニュースを視ながら、こんな話を思い出した。

ある日、近松門左衛門の家に、ひいきにしている数珠屋(じゅずや)が訪ねて来た。
門左衛門は自作の浄瑠璃にせっせと句読点を打っている。
それを見て、数珠屋が言った。
「句読点を打っておられるではないか。そんなものは漢文には要るかもしれんが、浄瑠璃には必要ないでしょう!」
門左衛門は癪にさわったが、その場は笑ってすませた。
ニ、三日して、数珠屋に手紙を送る。
数珠の注文で、その中にこんな文句があった。
ふたへにまげてくびにかけるようなじゅず
  ◇
数珠屋は「二重に曲げて首に懸けるような数珠」とは、ずいぶん長い数珠を欲しがるものだと驚いたが、早速、造って届けた。
すると、門左衛門は「注文書と違う」と言って、送り返してきた。
頭にきた数珠屋は、注文書をつかんでやって来て、それ見よと言う。
門左衛門は、じろりとにらんで言った。
「どこにそんなことが書いてある。『二重に曲げ、手首に懸けるような数珠』とあるではないか! だから、浄瑠璃にも句読点が必要なのじゃ!」

コンニチハ句読点のいっぱいあるメッセージを見ると批判されて責められているように感じるっテ
ごめんゴメンこだよもう句読点はつかいませ~
オジサンたちにはそんな気持ちはぜぇ~んぜぇんないから安心してチョウダイ
ガラケーのEメールのクセがなおらないんだよー (笑い)
今度、ご飯連れてってあげるからさ許してチョンマゲなーんちゃって
若者から返信があった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話117 / Facebook

2024年02月08日 | よもやま話

30年ほど前は、ホームページを持っていた。
だが、まだ現役の時で更新がままならない。
さぼっているうちに、ホームページ作成ソフトの方がどんどんと先へ進んで、こっちの頭が追いつかなくなった。
そこで、始めたのがFacebook。
2013年3月30日が初レビュウ!
【写真】を選んで、文を【投稿】するという、実に単純な作業でその日の自分を記録できるというのが、新鮮な驚きだった。

ところが、ニ、三年して、Facebookの【投稿】の箇所が、【気分・アクティビティ】となった。
「なんやねん? アクティビティって?」
辞書で調べると〈体内の活動,自然活動〉とある。
「はぁあ? 体の調子? キャンプ? そんなんしか投稿したらアカンのかいな!」
それで、投稿したくてもできなくなった。

他の人も同じように感じていたのだろう。
やがて、【今なにしてる?】に変更された。
「はぁあ? 今していることしか投稿したらアカンのかいな!」
ますます投稿できなくなった。
Windows10がリリースされたころから、パソコンでFacebookを見ることができるようになった。
以来、Facebookはパソコンでやっている。

現在の投稿欄は【その気持ち、シェアしよう】になっている。
「はぁあ? その気持ちってどの気持ちやねん? シェア、共有、分かち合う? そんなんしてもらわんでもかまへんわ!」
だから、月に一回、ブログの記事を投稿するだけだ。
自分の顔をさらして、実名を出すFacebookは、「その気持ち」を素直に出せる人向きなのだろう。
私のような、直ぐに脱線してしまうはみ出し者には、合わないのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茶話116/ また忘れた

2024年02月06日 | よもやま話

あることを検索しようとパソコンのスイッチを入れた。
グス、ブッと鈍い音がして画面が明るくなる。
それから、またグス、ブッと鈍い音がして起動画面になる。
さあ検索しようとするが、何を検索しようとしていたのか、忘れている。
まあ、よくあることよと、しばし思い出そうとするが思い出せない。
しかし、こんな時に限って、何の関係もない、ひょんなことを思い出す。

30年ほど前からインターネットを始めた。
最初のブラウザーは、比較的に契約料が安かったビッグローブ。
そのうちに、当時の我がパソコンの師匠が、「電電公社が民営化されたNTTが、新たな回線を開発するそうやぞ」というので、NTTに替えた。
ほどなくして、NTTが光回線の募集を始めたので、いち早く申し込んだ。
一と月、ニた月……半年たっても何の連絡もない。
頭にきて電話をした。
「開発が遅れておりまして、まことに申し訳ございません。今しばらくお待ちください」
まあ、よくあることかとおとなしく引き下がる。
しかし、一と月、ニた月……半年たっても何の連絡もない。
頭にきて電話をした。
「開発が遅れておりまして、まことに申し訳ございません。今しばらくお待ちください」
「もう、ええ! おんどれとこの会社は信んじられへん!」とぼやいて契約を解約した。

その晩、飲みに来たパソコンの師匠に解約の話をした。
「気ぃつけや! 壁の中に埋め込んだ通信機を穴を開けて引き取って、壁の穴はそのまんまにして帰るらしいで!」
「今の世に、そんなアホなことする会社は無いやろ!」
数日後、パソコンの前の壁に10㎝四方ほどの穴が空いていた。
それも、金ヅチで叩き割ったような、いびつな穴が。
「本真にやりよった!」
怒りというより嘆息、いや、感嘆すらした。

考えてみれば、gooブログはNTT。
縁は異なもの味なものである。
そうだ! 思い出した。
「合縁奇縁」という四字熟語を調べたかったのだ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする