中目黒再開発の事実

中目黒の再開発・工事について。少しでも事実を伝えられれば…。

当ブログに対する各種ポリシー

2007-12-03 22:51:24 | トラバ・コメント・引用ポリシー
クレームがあったのを機に、各種ポリシーを明確にしたいと思う。

当ブログに対する各種ポリシーは以下の通りである。

■トラバ・リンク


中目黒、または、記載内容になんらかの関連があるものであれば、自由。
ブログトップへのリンク、および、個々のエントリーへのリンク、共にOKとする。
ただしトラバについては、
  • 関連がないもの。
  • アダルトサイト、宣伝のためのサイト。
  • 当ブログからのトラバを受け付けず、コメント欄など他に当ブログへのリンクを張る手段がない場合。

は削除する可能性がある。当ブログに批判的なトラバであることを理由に削除することはない。

■引用


著作権法が示す引用の要件を満たす限り、許可する。ただし、必ず引用元として当ブログに対してリンクを張ること。条件はリンクのみとし、リンク時に当ブログの名称を明記するかどうは自由とする。

引用を、肯定的・批判的のどちらの文脈で使用しても構わないが、趣旨を誤解したものについては、補足のコメントや反論などを行うことがある。

■コメント


中目黒、または、記載内容になんらかの関連があるものであれば、自由。
コメントに返信するかどうかは当方の都合しだいとする。
トラバと同様に、宣伝などは削除する可能性がある。

また、当方の情報収集能力にも限りがあるため、中目黒に関する情報については随時歓迎する。エントリーの内容と関係なく、任意のエントリーにコメントして構わない。ただ、情報の出所を可能な限り示し、公式な内容か、単なる噂か判別できることが望ましい。

■当ブログに対する反論・批判について


トラバ・コメント・引用などにおいて、当ブログに対して批判的な内容や、誤りを訂正する内容を取り上げてくださることは歓迎する。
ただし、反論とは第三者にも理解・検証可能明確な根拠に基づいて行われるべきものである。以下のような記載は、記載者の知性を疑われるだけなので、ご遠慮なさることをお勧めする。コメントであれば削除する可能性もある。

  • 「私の周りでは、みんな貴方が間違っているって言ってます」(自分の周りが論拠。間違っているという根拠が不明)
  • 「多数派は××と言っている。だからお前の意見は誤りだ」(多数派=正しいとの妄想に基づく論理)
  • 「私はお前が間違っているとしか思えない。だからお前は間違いだ」(個人的な主観を論拠に、客観的な正誤を論ずる)
  • 「おまえ全然分かってないな。話にならない」(「分かってない」の具体的論拠なし。幼児が喚くのと同レベル)
  • 「うちの爺さんが『こんな馬鹿見たことない』って言ってたぜ」(検証不能。個人的主観。具体的論拠なし)

コメントの長さや、時間の都合により、一時的に根拠なしの反応(=反論と呼ぶに値せず)になることを責めるつもりはないが、なるべく速やかに「反論」とよべるレベルに引き上げて頂ければと思う。

■リンクを張り合う理由


上記において「当ブログへリンクを張ること」を条件としたものがある。また、当ブログは引用時、引用元ブログにリンクを張ることを基本とする。これは、アクセス数を稼ぐなどという理由ではない。

引用や紹介には、引用・紹介者が「都合の良い部分のみ取り上げ、引用元の趣旨を歪曲する」という危険を持つ。よって、ブログの読者が、自分の目で、引用元全体の趣旨を確認できるようにすることを目的とする。
他に、読者が異なる多数の視点で物を考えるのを手助けする、アクセス解析などで紹介されたことが認知できるようにする、などの理由である。

ブログで発言することと、その責任

2007-12-03 03:52:21 | 中目黒再開発
先のエントリーで「このブログの目的は、あくまで中目黒の開発・再開発の真実を知ってもらうことであって、他者をこきおろすことではない」と自分に縛りをかけたのだし、あまりキツいことを書くのも、我ながらどうかとも思うが…。

ブログ開設の挨拶において、「多くが思い込みに基づく間違いばかりである。例えば、このブログなど、いくらなんでも、間抜けにも程がある。(詳細な理由は後のエントリーで語る)」と書いて、そのままになっていた。他人を間抜けよばわりし、「理由は後のエントリーで語る」と言った以上、その責任は取らねばなるまい。

そのブログの内容とは、中目黒の魅力を「おしゃれ、混沌、閑静、自然。 色んなものが混じりあっているから面白い」とした上で(なるほど)、「だけど、駅近くの高架下の再開発。 次々と店が閉まっていく。 今日、ついに吉野家も閉鎖」とし、「名店も沢山消えた。便利にはなるのだろうけど、寂しい」と記載したものである。

最後の結論に対して、どうこういうつもりはない。
むしろ、気持ちは分かる。

しかし、吉野家はたまたま店内改装で数日間だけ閉店していただけにすぎない。入り口にもそういう張り紙がされていた。要は、工事の内容もよく確認せず、工事を見ただけで「ここも再開発かよ!」と早とちりしてしまったわけだ。
そもそも、ガード下の工事が何であるかを知っていれば「吉野家が工事範囲に入るのは変だ」と気づいただろうし、自分のブログに早とちりを書く前に「ちょっと工事の内容を確認してみよう」と冷静になることもできただろう。

そういうことも含めて「早とちりすぎ。間抜け」という意味であった。
まぁ、それを取り立てて非難する気もない。人間だもの、時に間抜けな早とちりをするのもご愛嬌だ。

ところが、先日、そのエントリーを見てみると、件のエントリーは削除されていたのである。

私が指摘したからかどうかは定かではない。たまたま、私の指摘のタイミングと一致しただけで、自分の早とちりに気づいて消しただけかもしれない。ただ、いずれにしても、何の一言もなく記載内容を消すというのは、悪く言えば、証拠隠滅を図ったと言われても仕方ないのではないか。

先日書いた「中目黒の商店街は再開発で駅前ビルに入れる人、立ち退きでそのまま行き場のない人が出て、分裂状態らしい」という話も同じだ。私の説明に対し、そのブログの筆者からは何らのアクションもない。誤った内容を記述してしまったことに対して、謝罪はもちろんのこと、訂正や弁明すらないのである。

確かに、耳にした噂が間違っていただけのことだし、謝罪するほどの話でもないから「謝罪、謝罪」と騒ぐつもりもないが、丸っきり「言いっぱなし」というのは如何なものだろうか?

私に対して謝罪だの弁明だのしろというのではない。そんなものは不要だ。

しかし、誤った内容で非難してしまった相手や、自分のブログの読者に対して、なぜ責任ある対応を取らないのだろうか?
たとえ個人のブログであっても、間違いはキチンと後始末するのが、物を書く者、情報を発信する者の良識であり、責任ではないだろうか。

…というようなことを下書きしていたら、駅の工事の件で引用したブログよりクレームがついた(どのブログかは見れば分かる話だが、リンクを張る是非が不明なので張らないで置く)。

いわく
  • ブログは勝手気ままに「ごく個人な意見」を発信するもの。主観の域は出ないにせよ、責任は持って然るべき。
  • しかし、他人のブログを引用して議論を展開させるのはいかがなものか。
  • 使うのなら、事前にコメントなどするべき。それがモラルだと思う。

というものだ。

この筆者が上記のように考えているのは理解した。が、私は、あまりに身勝手な意見だという印象を禁じえない。いろいろ細かな反論は(コメントしろと言うので)そのブログに記載したが、何よりも言いたいのは

自分が発言することに対して、甘えがあるんじゃないの?

ということだ。これは、このブログに限ったことではなく、多くのブログに見られることだし、私がこのブログを立ち上げた一因でもある。

自分(達)は、東急だったり再開発だったりに対して、批判的な意見を書いている。場合によっては、公式発表で分かるような部分に対して事実誤認を含んだ意見である。つまり、事実をロクに調査せず、自分の思い込みを軸に批判を公表した疑いすらあるということだ。

にも関わらず、自分のブログが(批判的な位置づけで)取り上げられたら文句を言うと言うのは、どうだろう?「事前に一言言え」というなら、自分も批判的な意見を書く前に、キチンとやるべきことをやったらどうだろうか。公式発表を確認する、関係者に確認を取り、関係者の反論も確認する…彼らが、そういうことをしたとは、到底思えないが。

「自分のブログで他人を非難するのは、気軽にやってしまう」が、他人にやられると不愉快になるとは、あまりに身勝手ではなかろうか。

「個人ブログだ」「個人的な意見だ」というのも、禁断の言い訳だろう(私も、こんなブログを立ち上げているリスクはいろいろ感じているので、そう言いたくなる気持ちは痛いほど分かるのだが)。

個人的ブログ、個人的意見なら、他人を誹謗中傷(事実無根の内容で他人を非難する)をしても良いということはない。公開範囲を無制限にしている以上、不特定多数の人間がそれを読み、事実と信じてしまう可能性を持っている。そこに発生する責任から逃げるべきではないし、逃げたいのであれば安直・無思慮に他人を非難するようなことは書くべきではない。

ブログで発言している人たちも、中目黒が好きで、中目黒を想うが故の行動なのは分かる。だから、あまりそれを非難して「中目黒について、気軽に発言できない」という雰囲気を作ってしまうのも、本意ではない。変な逆恨みをされて「中目黒が嫌いになった」となってしまっては、私としては本末転倒だ。

しかし、自分から正しい情報を集めようともせず、集めた情報を考察することもなく、ただ思い込みを膨らませてヒステリックに喚き立てる。場合によっては誤りも訂正しないし、逆切れもする…というのは、責任ある大人の態度として適切だろうか、ということなのだ。