goo blog サービス終了のお知らせ 

酒と音楽とPC

血は酒で出来ている(某声優談)。他の趣味はPC組み立てるのと音楽聴くのしかない。

英ロイヤル・オペラのドン・ジョバンニ

2022-02-09 19:17:46 | 音楽
演出家は日本のガノタを笑い死にさせるさせるつもりなのか!と言いたくなるディスク(笑)。レーベルはOPUS ARTE。単品でも買えるが魔笛、フィガロとのセットで買った方が断然お得。


らしい始まりですよね。



これがゾンビ映画なら間違いなくゾンビ化するよな、このオッサンと言いたくなる顔の怖さ(笑)。勿論騎士団長。


ドン・オッターヴィオ。鬼畜主人公に女を寝取られる人。デブのブサメンに人権はない?


マゼット。ブサメンは女を寝取られるが長身のイケメンは女を寝取られない(笑)。女性演出家の底意地の悪さよ。


生前のマッケラス翁の勇姿。


おや、長身かつイケメンのレポレッロ。普通ならドン・キホーテのサンチョ・パンサみたいな扱いなのだが・・・。


服だけでもお腹いっぱいなのにこの仮面とくるw。勘弁してほしい。腹が痛い。


痩せてて運動神経も良さげなのに暗い舞台ではやっぱり怖いらしく、明らかにビビりながら壁を降りていくドン・ジョバンニw。



この服にこの髪型。狙ってるとしか思えないw。残念なのは主役のキーンリーサイドはイケメンなのだが少々お年なのと背が高くないこと。


やる気満々のドンナ・エルヴィーラと明らかにうんざりしててやる気のない下僕共(笑)。


近年流行の悪役令嬢ものでもよくありますよね、こんなシーンw。


この人がレポレッロに起用された理由がわかるシーン。この演出家の考えるレポレッロは横暴な主人に苦労させられる気の毒な下僕と言うよりはドン・ジョバンニの放蕩仲間なのだ。


レポレッロ、最大の見せ場であるカタログの歌。勘違い令嬢、ドンナ・エルヴィーラを嬲る意地悪な表情。こいつは間違いなく悪党だ。


イタリアで630人、ドイツで231人、フランスで100人、トルコで91人、なんとスペインでは1003人!なにを今更wだが大げさに驚いてみせるドンナ・エルヴィーラ。


ご主人は酷いロリコンなんでさぁ まあ、シャアの似姿だからねw


美人もブスも金持ちも貧民も年増でもなんでもござれ シャアですからw



ツェルリーナを籠絡にかかるがマゼットのほうが若くてイケメンで長身だったので失敗w


レポレッロがドン・ジョバンニの影武者に。本来滑稽なシーンなのだがレポレッロが若くて長身なので十二分に務まっている。


皆様、お待ちかねのドン・ジョバンニの地獄堕ち。このシーンのためにこの顔の怖いオジサンが起用されているのですよ。顔は怖いのに何度も悔い改めるチャンスを与えるという優しさ(笑)。でもシャアだから当然反省なんてしない。


エンディングでのドンナ・エルヴィーラ。私は修道院で心安らかに余生を過ごしますわ。現代の感性にそぐわないし、フェミニストにフルボッコにされそう(笑)。


と思いきや、ブログ主の予想通りにフリーになったドンナ・エルヴィーラにちょっかいを出すレポレッロ。一応撥ね付けてみせるのだが・・・。


おいおい、デブ、こいつは許すんじゃない。この演出ではどう見ても共犯者だぞ(笑)。


ブログ主の予想通り、今度はレポレッロに籠絡されるドンナ・エルヴィーラ。懲りないなぁw。


その頃、ドン・ジョバンニは何をしていたかと言うと地獄で女をナンパしていた!演出家(女性)のブラックユーモア炸裂(笑)。ここでどっと笑いを取る。ナンパ男が懲りるわけがない。


カーテンコールでよろけるマッケラス翁。最晩年だったのにこの長いオペラをよく指揮できたと思う。拍手が多かったのは老体に鞭打ったマッケラス翁、声重視でこいつがモテるわけがないという見た目のドン・ジョバンニが多い中、魅力的な容姿と立ち振舞でドン・ジョバンニはモテることに説得力を持たせたキーンリーサイド、かっこいいが主人同様悪党のレポレッロという演出家の意図を汲み取ってコミカルな演技で笑いを取ったレポレッロのケテルセン、うざい勘違い令嬢を力演したドンナ・エルヴィーラのディ・ドナートだった。

ドン・ジョバンニと言うと運命を拒絶する悲劇の人物というロマン主義的な演出が多かったが、最近じゃただの女誑しの小悪党の最期というおそらく本来のダ・ポンテの意図を汲み取った演出、演奏が増えてきているようだ。セリアじゃなくてブッファなのはエンディングで明らかだった。モーツァルトが地獄落ちのシーンに斬新で劇的な音楽をつけてしまったので勘違いされてきたのだろう。ならばこのディスクのような演出が正しいと思える。見てて面白いし。

魔笛、フィガロの結婚と合わせて3曲で4000円以内という超お買い得ブルーレイセット。ただし、フィガロと魔笛はドン・ジョバンニほど演出が笑えないのでそこはお含み置きいただきたい。魔笛で演出が面白いのはCBSレーベルでアーノンクールが指揮したもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

A. フィッシャーのベートーヴェン交響曲全集

2021-11-04 09:47:58 | 音楽
e-Onkyoで安売りされていたので買ってみた。レーベルはNaxos。

ハイティンクの記事で書いたようにフィッシャー兄弟ももうすっかりベテラン指揮者である。これまではメジャーレーベルに登場していたのは弟のイヴァンの方で兄のアダムは地味にハンガリー国内のオケを使ってハンガリーのレーベル中心に録音していた印象。ハイドンの交響曲全集あたりが有名なのだろうか。私が以前持っていたのは確か親戚筋に当たるバルトークの初演者シャンドールの伴奏をやっていた音源だった。レーベルはCBS。アダムが組織したブタペスト祝祭管にあまりいい印象はなく、弟の方が才能は上なのかなって感じ。

弟は様々なレーベルでマーラー、ブラームスといった録音で評価を得ている。一方、兄の方は最近はNaxosに登場するようになった。これまであまりメジャーに進出していないから得意のNaxos落ち()という言葉は使うまい。

触れ込みは巨匠時代の重厚さとピリオドアプローチ由来の軽快さをモダンオケを使って融合、止揚した演奏(意訳w)。そんなこと都合よくできんの?モダンオケでピリオド・アプローチ導入した演奏って極少数の例外を除いていい印象ないんだけどな。マッケラスとかラトルとかのそれも一部だけでしょ。レコ芸で推薦を取りまくっているドイツ・カンマー何とかの演奏を評価しないのは批評家の中野さんと同じです。

聴いた印象は・・・。うん、巨匠時代の重厚さなんて欠片もないね。懐古趣味ならバレンボイムやティーレマンがいるんだからそんな演奏はフィッシャーも目指してないんだろうね。ジンマンやノリントンみたいにTHE 軽薄って感じではないけどかるーい演奏であることに変わりはない。曲や章によって目まぐるしくテンポを弄ることを持って重厚、巨匠趣味って言っているのかな?*

*一般リスナーにはやはりテンポが速く軽快という評が多かった。もっと速い演奏も多いと思うし、フィッシャーの演奏は遅い部分はかなり遅いのだが。どうも評を書いた人々の年齢層が私よりも更に上という感じがした。例えばベームの演奏を基準に考えたらフィッシャーの演奏はどこを切り取っても軽快でテンポが速いってことになる。

最初から過度な期待はしてなかったが、Naxosのキャッチコピーを信じたらうっちゃりを噛まされる音源。まあ、出費も少ないから良いか。重厚詐欺だったことを除けば悪い演奏ではない。ジンマン、ノリントン持ってたらこれ要らなくね?とは思うが。こんな演奏ばかりになってしまったらベートーヴェンの有り難みなんて無くなってしまうんじゃないか?交響曲の王座から転落する日は近いと思う。擦れっ枯らしのクラシックファンにはこの手の小賢しい仕掛けの連発はウケが良いだろうが極普通の聴衆がこの手の演奏を喜ぶとは思えない。マニア向き、内向きになりすぎたジャンルは衰退するんですよ、なんてことをお口直しに重厚なフリッチャイ / ベルリンPoを聴きながら思う。

A. フィッシャー / デンマーク室内管弦楽団 録音A-B

*後になって思うと小賢しい仕掛けの連発がアーノンクールの芸風に似ているのだ。だから嫌いなのか(笑)。ウィーン・コンツェントス・ムジクスみたいな痩せてカラッカラな音じゃないからまだマシだが。

現代風に曲のトータルイメージ、言い換えるなら演奏家独自の解釈というものを否定するならテンポや強弱をあまり弄らない方が良いのではないか。聴いている側はそれを支離滅裂と受け取ってしまうのだ。

過去の巨匠は自ら解釈者を自認しており謂わばカトリックの司祭に当たる。わかりやすく多くの人に感銘を与えるが決して聖書の原典に忠実であるとは限らない。巨匠やカトリックの司祭は自分に楽譜(聖書)解釈の権限が与えられていると信じ、そう振る舞うことができた。彼の中でその解釈は噛み砕かれ、揺るぎないものであり、曲の各部はその解釈の結論に向かって統一されている。巨匠が指示をミスらない限り支離滅裂なんて印象は与えないのだ。

一方、トスカニーニ以降は楽譜は聖典であって演奏家に解釈の余地などない。演奏家は楽譜を読み取る技術者に過ぎず楽譜について独自の解釈を施すなど演奏家の思い上がりである。これはプロテスタントの有り様に近いことは言うまでもないだろう。演奏家も聴衆も同格のものであり、共に神(音楽、楽譜)と直接対峙しなければならない。演奏家(司祭)がわかりやすく優しく解釈してあげる余地などないのだ。演奏(思想、説教)から余分なものは削ぎ落とされる。新即物主義だ。ただ、そうなるのであれば機械に演奏させたら良くね?ってことになる。宗教と違って(?)音楽はエンターティメントである。誰が演奏しても同じになるようなツマンネーものは衰退する。

そこで、なんだかんだ理由をつけて独自の解釈を復活させる連中が現れる。バレンボイムやティーレマンのように堂々とロマン主義時代、カトリック的なあり方に回帰した連中は正直だが、多くはそこまで徹底できずプロテスタント的な音楽理解を捨てないまま細部をいじろうとした。理屈はかってはこうであった、とか当時の楽器の制約からこうであったはず、とか、当時の文学、論理学、修辞学からこう演奏したはずだとか様々である。屁理屈を付けて新即物主義に肉付けし、演奏のバリエーションを豊かにしようとしたのだ。

しかし、そこには曲のトータルイメージがないのだ。かって存在した曲のトータルイメージ(例えば重厚なベートーヴェン、叙情的ななシューベルト、饒舌なモーツァルト)は解釈者(巨匠、司祭)がかなり手前勝手にでっち上げたものなのであるから解釈者=巨匠的なあり方を否定して楽譜のみに依拠する場合にはそんなものはない。楽譜を細かく分析し、その場その場で屁理屈をつけては独自の解釈を付け加えて行けば行くほど演奏全体に不整合が生じ、支離滅裂になっていく。そう考えると曲のトータルイメージは音楽の背骨なのではないか?背骨のないクラゲはあちら、こちらと目標もなくただ彷徨うだけである。

作曲家が今のクラシック音楽のあり方を見たらどう思うだろうか?ブチ切れそうな気がするのは私だけだろうか?彼らは作曲家としてあるだけではなく、演奏家、つまり曲の解釈者を自認していたからだ。即興が得意なリストは勿論、近代の作曲家でもグラナドスなんかは自分の曲を演奏する度に自由に作り変えていたようである。楽譜が絶対という考え方はあっていい。ただし、演奏家の解釈の自由を取り戻し、場合によってはポピュラーミュージックのようにサンプリング的な考え方もあってよいのではないだろうか。グールドの録音における異化演奏?もそういうものではなかったか?クラシック音楽界には原理主義が蔓延りすぎてると思う。様々な演奏があっていい。そうでなければクラシック音楽は衰退の一途を辿ると思う。御託はどうあれ、音楽の有り様、演奏の有り様を否定するのは演奏がつまらなかった時だけでいい*。

*シュナーベルは演奏がツマンネーぞと言った批評家や聴衆に対して貴方方のために演奏しているのではありません!と宣った。これぞ新即物主義の真髄(笑)。古き良き時代であった・・・のか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハイティンク死去

2021-11-02 08:54:37 | 音楽
完全に引退していて一時的でも復帰の見込みもなく、心臓の持病があるのも判っていた。齢90を超えて十分な成功を収めた大往生なのだろう。

バルビローリや岩城宏之は死期を悟ると指揮台の上で逝きたいと言わんばかりに仕事を増やしたみたいだが(笑)、ハイティンクは健康に問題が出てくるとあっさりと引退した。ハイティンクの性格をよく表していると思う。指揮台の上で死ねたのは本人はまだそんな覚悟はなかったであろう年齢のシノーポリだった。マゼールも指揮台の上での事故が原因だったから指揮台の上で死ねたと言って良いのかな?これでアバド、マゼール、ハイティンクの三羽烏は全員亡くなった(当初はハイティンクではなくメータだった気もする)。

カラヤン、ベーム、バーンスタイン、ショルティ、ヴァント、チェリビダッケあたりと比較されて谷間の世代と揶揄され、批評の世界では非常に扱いの悪かった三人だが、個人的には前世代と比較してそんなに劣るとは思わない。産まれた時代の間が悪かったのだと思う。それぞれが独自の世界を持っておりよく言われる無個性なんてことはない。マゼールなんて個性の塊じゃん!カリスマ性は前世代に劣るけど、カリスマなんてものは秘密のヴェールで覆われてるからこそ成立するものであって、物事を隠し通すことが難しい現代では成立しづらいものだ。昔は演奏家の情報が少なかったからそういう演出が可能だったというだけのことなのである。現代でカリスマが成立するなら中国とかロシアみたいな国だろう。現代ではスターもただの「人気者」であるにすぎない。カリスマではないからすぐに飽きられる、引きずり落とされるものなのだ。

これからはあまり音源を買わなくなるだろう。老人は昔の演奏ばかり美化するといわれる。実のところ、昔が良かったと言う懐古趣味というだけではない。新しい演奏を真面目に聴く気力や感性が年齢とともに失われるのだ。父は大の巨人ファンだったが選手を覚えられなくなってからプロ野球を見るのを止めてしまった。私も最近出てきた演奏家を覚えられなくなってしまっている。どんどん世代交代してるわけだからある程度は新しい演奏家を把握していなければ現代の演奏の真髄を捉えることは難しい。老人の批評家がなかなか新人を認めないように見えるはこういう理由だろう。若い世代の批評家とどんどんズレていってしまうのだ。趣味ならば諦められるが仕事でやってる人はそうはいかない。必然的によく判っている演奏家を推薦するのが誠実ってことになる。だって、若手は良くわからないのだもの。わからないもの、良くないかも知れないものを推薦するのは不誠実である。イヴァンとアダムのフィッシャー兄弟(1950年頃生まれ)を今でも思わず「若手」と言ってしまう自分が情けない(笑)。二人共もう70台のジジイじゃん。

ハイティンクに話を戻すと、解釈は穏当にすぎる部分もあったがオケのコントロールは大したものだった。好きな演奏を上げるならばウィーンPoとのドイツ・レクイエム。なんという柔らかな表現だろう。ゆったり、まったりと盛り上がっていく。美しい。当時(1980年)としては録音が良かったということもあるが、他の演奏家がこの曲で天国を見せてくれたことはない。他はショスタコーヴィチの14番。原語版というキワモノ的要素があったのであまり語られない演奏だがなんとも冷んやりした墓場の音楽がたまらない。この解釈なら冷徹にすぎるディースカウがぴったり合うというものだ。後は盤石と言えるベートーヴェンの9番(全集とは異なるコンセルトヘボウ盤 1980年録音)。最近の演奏ではシカゴ響とのショスタコーヴィチ4番、コンセルトヘボウ管とのショスタコーヴィチ15番、バイエルン放送響とのミサ・ソレムニスあたりだろうか。晩年の金字塔ロンドン響とのベートーヴェン交響曲全集は個人的には以前の全集を完全に凌いでいるとは思えない。70年代のチャイコフスキー6番やメンデルスゾーン3番も捨てがたい。

普段は温かい演奏と言われるのにショスタコーヴィチでは恐ろしいまでに冷徹になるのが面白い。ショスタコーヴィチには並々ならぬ思い入れがあったと思われる。他の作曲家を演奏するときにはあまり見られない解釈の変遷も見られる。コンドラシン、バーンスタイン、ラトルあたりのショスタコーヴィチ演奏と比較してみると面白い。

こうしてみるとハイティンクは大器晩成というものではなく、1980年頃に一つのピークを迎え、その後は演奏傾向を大きく変えることなく熟成したタイプと言って良いのだろう。若い頃から暇があれば譜読みしてるような人なので一度固まった解釈は簡単には変えない。簡単に変えるような演奏家は不誠実と思っている節すらある。覇気のある1970-80年代をとるか、落ち着きを増したそれ以降の演奏を取るかはその人次第。覇気は失われても録音が良い状態で残った後年の演奏を選んでも良い。レーベルがデッカやフィリップスだから古い録音も決して聴き苦しくはない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

給付金で追加購入(笑)

2020-06-28 10:07:55 | 音楽

せっかくPrestoのセール中なのに前回買った点数が少なかったと感じて追加購入。ChandosとERATOの録音は24bit / 96kHz、ApexのショスタコだけがCD音質である。

Chandos

バルトーク ピアノ協奏曲全集 バヴゼ / ノセダ / BBCフィルハーモニック A

バルトークのピアノ協奏曲は未だに愛聴盤がアンダ / フリッチャイ。あまりに古すぎるので新しいのを見繕いたくなった(ポリーニ / ブーレーズがあるだろうって?冗談はよせ*)。シャンドール(初演者 CBSの新盤)は録音時には高齢すぎて腕が落ちていたし、アシュケナージはこの曲には向いてない。コワセヴィッチは好みでなかった。そこで最近では評判のいいバヴゼを手にとったのであるが・・・。うーん、オケがあかんわ・・・。1番、2番ではピアノの技巧も大切だがオケが大人しいとツマラナイ。だって薬物でドーピングした運動選手が暴れているような曲でしょ?この曲について東ドイツ(昔そんな国があったのだ)のオリンピック選手がドーピングした肉体で健康そうな勝利の雄叫びを上げているような姿とかいう評論があったのが忘れられない。ノセダはイギリスでは大評判らしいが、LSOでのショスタコ(5番)も良くなかった。イギリスで活躍している関係上、ChandosやLSO、BBCといったレーベルでやたら見かける指揮者なのだが、私とは相性が悪そうだ。バルトークやショスタコを大人しく振る指揮者は嫌い**(笑)。ピアノは健闘してるだけに惜しい。BBC響と比べるとBBCフィルハーモニックの腕が落ちるんだろうけど、ノセダは指揮者によっては化けるロンドン響を振ったショスタコも駄目だった。パッパーノ、P. ジョルダン、ゲルギエフ同様、私にはなぜ人気なのか良くわからん指揮者。ついでに録音もChandosにしては秀でてない。

*後で調べたらポリーニではなくツィマーマンだったorz。まあ、どっちにしろ嫌いだわ(笑)。ポリーニの相方はアバド/シカゴ響ですね。

*ちょっと調べた所、ノセダはとても勤勉で仕事熱心な人らしい。来日も多いようだ。昔でいうとケンペ的な人気かな。性格も悪くなさそうでオケや歌劇場からみると仕事しやすい人なんだろうな。トレーナーとして実力があってもベームやラインスドルフ、マルケヴィチ、デュトワ、ガーディナーみたいなのが来ると地獄だもんな。このクラスの扱いにくい指揮者だと今でもたまにいるようだ。さすがにトスカニーニ、セル、ライナー(罵詈雑言、全権掌握)みたいなのは過去の話になったけど(笑)。少し昔のヴァントやチェリビダッケはあれだけ気難しいのに何故かオケの人には好かれていたようだ。実力で認めさせた、というところか。厳しい(トスカニーニ、ヴァントあたり)のと性格が悪い(デュトワ、ガーディナーあたり)のはまた違いますからね(笑)。セル、ライナー、ベームはダブルパンチという感じ。

プロコフィエフ ヴァイオリン曲全集 エームス / ノセダ / BBCフィルハーモニック S

プロコもオケがノセダ / BBCフィルハーモニック(笑)。ヴァイオリンのエームス、ピアノのバヴゼはChandosの看板奏者なのに何で組むのがノセダなのか。N. ヤルヴィは前に他の奏者と組んで大抵の曲を録音してるから避けたいだろうし、A. デイヴィスはバルトークやプロコ向いてなさそうだもんな。Chandosの主要指揮者だともう一人はガードナーか。ガードナーはあまり聴いたことないな。せめてオケをBBC響にしてくれないかな。バルトークもプロコもソロだけじゃなくてオケの役割が大きいんだから。バルトークと続けて聴いたのでテンションが大きく下がった。

ただし、こちらはヴァイオリン曲全集といった形なのでオケ伴奏の他に独奏、室内楽があるのが救い。エームスのヴァイオリンは美音だがあまり個性的とは言えない。カプソン、テツラフといった魅力のある個性派がいる中で敢えてエームスを買うかというと考え込んでしまう。この人の録音を積極的に集めたいとまでは思わない。ミンツ、F. P. ツィンマーマン、シャハムも似たような印象。こういった上手いんだけど個性の薄いヴァイオリニストはメジャー()レーベルにゴロゴロしているような気がする(売れ行き重視で若い美形の女流が多い)。αでバルトーク弾いてたパパブラミの方が良かったかな。なお、録音はバルトークよりずっと良いので伴奏がノセダ / BBCフィルハーモニックでもまだ我慢できる。

サン・サーンス チェロ協奏曲集、動物の謝肉祭 モルク / N. ヤルヴィ / ベルゲンPo A

モルクのチェロが聴きたくてサン・サーンスを購入。しかし、このときのモルクはイマイチであった。サン・サーンスのチェロ協奏曲はよく取り上げられる割にドヴォルザーク、ショスタコ、エルガーあたりのチェロ曲と比べるとあまりおもしろい曲と感じない。むしろこの音源の聴きものは動物の謝肉祭。イキイキしている。ヤルヴィはもういい歳なのに演奏が老け込まない。動物の謝肉祭のように作曲家がふざけ倒している曲を真面目にしかめっ面で演奏する人たちがいるが、何を考えているのだろう?ベルゲンPo自体はBBCフィルハーモニック同様格落ちのオーケストラなのだろうがヤルヴィが振ってるときはそこまで悪くない。面白くなかったブゾーニは曲が退屈だったのだろう。

ERATO

ラヴェル ピアノ協奏曲、ボレロ、スペイン狂詩曲 ミュンシュ / パリ管 B

ミュンシュのラヴェルはブラームス、ベルリオーズ同様にCDの悲惨な音質から普通の音質に改善。改善と言っても60年代後半の録音として普通のレベルになったというだけだが。聴き苦しくなくなっただけでも以前より良い。ラヴェルのピアノ協奏曲は音が悪かったら聴くに耐えない。他の管弦楽曲もかなり改善している。

APEX

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲集、ピアノ・ソナタ第2番 レオンスカヤ / ウルフ / セント・ポール室内管 A

最後はレオンスカヤのショスタコ。ソ連時代から活躍しているピアニストなのだから鉄板だろうという思い込みで購入。ところがどっこい、曲に何の思い入れも持っていなさそうな「お仕事」であった。録音は新しく(1991年)廉価盤なのに音質的ハンディがないだけに余計に惜しい。何の思い入れもないショスタコは極めて不気味に響くのであった。ユーモアとか皮肉、諧謔を廃したショスタコって何よ?ムラヴィンスキーやショルティみたいにユーモアや皮肉を全く解さない人でもオケをバキバキにキメてくれたらそれなりの面白みもあるけど。若い指揮者たちの良くあるクールなショスタコーヴィチに通じるつまらなさだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PrestoでChandosの安売り

2020-06-26 10:34:09 | 音楽

品揃えはともかく、音質への拘りや安売りという点ではあまりパッとしないPresto。それでも良い所はある。ハイレゾのセールは通常売れ線や旬の過ぎた古い録音がピックアップされたセールであってレーベルの音源全体がセール対象になることは少ない。その点Prestoはレーベルの音源全部が対象のセールを度々行っている。マイナー作曲家、演奏家音源入手の大チャンスなのだ。ただし、ハイレゾDL音源を含まないCDやSACD限定だったり、MP3限定だったりすることもあるので注意が必要だ。ユニヴァーサルの高音質DL音源全体をセールすることはまずない。対象になるのはこのChandos、Naxos、BISといった中堅レーベルとオーケストラ自主レーベル、古楽レーベルだ。メジャーでは極稀にワーナーが対象になる(ただし、CD、SACDのみの場合がほとんど)。クラシックの高音質音源の場合録音を積極的に行っているのはこれらの会社であって、ユニヴァーサルは録音点数を極端に絞っているからセール対象にならなくても痛くない。私の好きな演奏家もほとんどいないし。厳選された新進気鋭の演奏家(イケメン、美女ぞろい大成しないけど)と権威ある演奏家()の厳選された録音()。ブッフビンダーが今更のようにユニヴァーサルに移籍したのは痛かったが。今後はブッフビンダーの録音も減るんだろうな。

今回購入したのは以下の録音

Chandos

ディーリアス アパラチア、高い丘の歌 A. デイヴィス / BBC響 24bit / 24bit / 96kHz S

ディーリアス ブリッグの定期市、パリ A. デイヴィス / ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管 24bit / 96kHz S

フィンジ チェロ協奏曲、大ファンタジアとトッカータ A. デイヴィス / BBC響 24bit / 96kHz A

ブゾーニ 管弦楽曲集1, 2  N. ヤルヴィ / BBCフィルハーモニック 24bit / 96kHz A

ERATO

ブラームス 交響曲第1番、オネゲル 交響曲第2番 ミュンシュ / パリ管 24bit / 96kHz B

ベルリオーズ 幻想交響曲、ラヴェル ダフニスとクロエ第2組曲 ミュンシュ / パリ管 24bit / 96kHz B

MPO

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 ゲルギエフ / ミュンヘンPo 24bit / 96kHz S

LSO

ベルリオーズ・オデッセイ C. デイヴィス / ロンドン響 CD音質 B-S

Chandosの4点は気になっていたけどe-Onkyoでは高い(2500円)と感じて買っていなかったもの。イギリス物ではA. デイヴィスに安定感がある。曲目もディーリアスとフィンジとデイヴィス向きのものを選んだ。もう1点は以前から気になっていたブゾーニの管弦楽曲集。ヴァイオリン協奏曲やソナタはアルゲリッチのルガノ音楽祭で取り上げられており、バッハのピアノ編曲等も以前からよく耳にする機会があった。ただし、管弦楽は印象が殆どない。演奏会のプログラムにもめったに載らないのではないか?指揮者は広大なレパートリーを誇り(よく言われるハイティンクどころではない全集魔)、著名でない曲への対応力も高いN. ヤルヴィと問題ない。ただし、オケのBBCフィルハーモニックはあまり聴いたことがない。歴史は古く、BBCから支援を受けた地方オケが(半ば勝手に)BBCを名乗っていたところ、後にBBC直営のBBC響ができて一旦はBBCの名を取り上げられたらしい。その後またBBCの支援を受けて目出度く正式にBBCを冠することができるようになったのだとか。曲は正直言ってあまり面白くない。モダンでもないし、ロマンでもない、新古典主義と言われるが、サバサバもきっちりもしてない。ピアノ曲、ヴァイオリン曲ほど取り上げられないのも納得だ。同時代の管弦楽曲の作曲家はマーラー、R. シュトラウス、バルトーク、ストラヴィンスキーを筆頭に新ウィーン楽派、ヤナーチェク、シマノフスキ、ツェムリンスキー、エネスコ、アイヴズ、ヒンデミットと多士済々の時代であった。埋もれるのもやむを得ないと感じた。捻くれた作曲家ばかりになっている現代なら話は違ったかも知れない。普通の曲を書く人っていないもんね。

ミュンシュの2点はもう何回目の購入かわからないが、ハイレゾにしては廉価(520円)だったので購入。元々の録音自体が良くないので音質には期待していなかった。予想に反し思ったより音は良い。ノイズ感が減ってクリアな音質になっている。とにかくカサつきがあって荒かったCDのイメージは払拭。解像度が良くならないのは仕方なかろう。60年代後半の録音であるにも関わらずボストン響時代の録音(50年代)と互角だったCDの音質に対して今回のリマスター音源は同じく24bit / 96kHzでリマスターされたクリュイタンスのラヴェル録音に近づいた感じ。値段も安いしCDで持っている人でも買い替えを考えて良いかも。ただし、レーベルがワーナー、後からミュンシュ / パリ管全部入りのBOXセットが出てくるのはほぼ確実なので推奨まではしない(笑)。

次は何度買っても裏切られるゲルギエフ(笑)。今回はハイレゾで690円という廉価だったので購入。MPOの最新録音の音質も知りたかった。このレーベルでは既にチェリビダッケを結構買っているがこれは高音質化したところで・・・という音源なので参考にならないだろう。このゲルギエフは音質も演奏も無難。V. ペトレンコもこのゲルギエフも昔の豪快なロシア(ソ連)指揮者とは全く趣が異なる。V. ペトレンコはおとなしい中にも深い瞑想が見られとても気に入った録音だが、ヤンソンス、A. ネルソンス、このゲルギエフのショスタコーヴィチは箱庭的(良く言えば純音楽的)というだけで面白みがない。老人特有の苦いユーモアを全く無視して鋭く厳格な表現のムラヴィンスキーの方が面白い(作曲者の意図とは完全にズレていると思うが)。

最後は本家LSOではCD、SACDのみで発売のベルリオーズ・オデッセイ。これはC. デイヴィスがロンドン響と行った晩年のベルリオーズ・ライヴ録音全部入りだと思われる。2000年から録音が開始されており初期の録音はDSDマスターではない。DSDマスター以外は極力ハイレゾDLでは売らない方針であるLSOでは直販されていない。Prestoが売ってくれるのはありがたいのだが、2000年代後半、2010年代のDSDマスター録音もCD音質なのは如何なものか。録音状態が良さそうなものも含まれているので惜しい。総計17時間、トラック数217にも及ぶが3380円と非常に廉価。全部ハイレゾなら20000円ぐらいは取られそうですね。曲目は幻想交響曲劇的交響曲ロミオとジュリエットファウストの劫罰トロイアの人々(ヴェルギリウス アエネイアスより)、ベアトリスとベネディクト(シェークスピア から騒ぎより)、イタリアのハロルドベンベヌート・チェッリーニ(ミケランジェロの弟子 自伝より)、キリストの幼時テ・デウムレクイエム。気になっていたけど買うのは高いとか、どこにも売ってなかったなんて作品が盛り沢山ではないでしょうか。管弦楽曲、オーケストラ伴奏付き歌曲が少ないですが、大作は葬送と勝利の大交響曲、レリオ以外はほぼ含まれます。これ1セットでベルリオーズは十分。後は気に入った曲を掘り下げるだけ。ベルリオーズの派手な性格を反映して演奏、録音に費用のかかる作品揃いなのでなかなか同曲異演を揃えることはできませんが。幻想、イタリアのハロルドがおとなしい録音で残念。ロミオとファウストは録音、演奏共々なかなか良いと思います。そう感じるのは声楽が入るとLSOの録音が良くなるというのが大きそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする