アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第5章 ヒンドゥー教とガンジー ③ 奉仕と謙譲

2017年05月09日 20時37分11秒 | 第5章 ヒンドゥー教とガンジー
 筆者は六十の半に差し掛かった今でこそ、奉仕活動の意義について、多少は理解できるようになったつもりでいるが、恥ずかしながら若い頃・・・恐らくは三十代中頃迄は、全くと言って良いほど判っていなかった。どうして自分の時間や労力を、身内ならともかく、他人の為に使わなければならないのか?? 自分の提供した労力に対しては、それなりの報酬を受け取ることが当然だと思っていた。残念なことには、奉仕の精神に就いて、筆者に教えてくれる人も居なかったように思うし、中学時代に「シュヴァイツァー」の伝記を読んで、何が偉いのか、さっぱり判らなかったように記憶している。逆に、級友の一人が、夏休みに読んだ「シュヴァイツァー」の感想文を学校に提出し、それを国語の教師が「面白い見方をしている」(さすがに素晴らしい内容だとは言わなかったが、こうした見方もあるのだと教えてくれた)として、クラスで発表したその内容は、シュヴァイツァーを「偽善者」と呼び、彼のアフリカでの奉仕活動を、「売名行為」だとして罵るようなものだった。

 ところが、キリスト教の精神が普及している欧米の社会においては、この奉仕活動が重要なものであるとして、若い頃から教え込まれているようである。第三章の⑤話で触れている通り、筆者は高校時代に一年間アメリカに留学している。その時のホストファミリーとは今も交流を続けているが、当時から敬虔なクリスチャンであり、毎週日曜には必ず教会(Episcopal派)に連れて行かれた。英語は良く聞き取れなかったが、牧師の説教というのは、何かしらの「力」を持っていることを何となく感じ取っていたのを記憶している。その教会では、同じグループの年頃のメンバーが、バザー、ピクニック、そして奉仕活動など、色々な企画をしており、筆者も何となくそれらの活動に参加していた。奉仕活動はこの教会のものに限らず、所属していた高校のサークルが企画したものにも参加してみたが、内心嫌でいやで仕方がなかった。

おそらくキリスト教の普及している欧米社会において、こうした奉仕活動という考え方、或いは宗教的な信条などに基づく相互扶助といったことが、重要な美徳或は市民としての義務の一つとして若い頃から教え込まれてきているのであろう。これは、単なる筆者の憶測ではない。その証拠に、ダライラマの『般若心経入門』には次のように書かれている。

◇◇◇
 キリスト教の伝統から学ぶべきものとしてまず思いつくものに、キリスト教の社会事業の伝統がある。キリスト教では、修道士や修道女が社会活動を行うという伝統があり、長い歴史がある。これは特に福祉・教育の分野で顕著である。キリスト教徒はそうした境活動を通じて、より大きな人間共同体に労務を提供している。・・・ 仏教徒がキリスト教の奉仕精神から学ぶべきものはとても多い。
◇◇◇

そういう意味では、熱心なヒンドゥー教徒であったガンジーも、同じような精神的土壌を持ち合わせていた可能性がある。というのも、彼は南アフリカで弁護士として居住していた当時、ボーア戦争の勃発(イギリスが豊富な金鉱やダイヤの利権を持つオランダ系ボーア人の国を侵略した戦争、1899年~1902年)に際し、イギリスへの忠誠心を示すため、当時南アに居留していたインド人らと共に、野戦病院隊としてその戦争に参加しているからだ。その時のガンジーの心情が、『ガンジー自伝』(蠟山芳郎氏訳、以下同書)には以下のように述べられている。

◇◇◇
 宣戦の布告が行われると、わたしの個人的な同情は、ことごとくボーア人側に集まった。しかしわたしは、そのとき、このような場合自分の個人的信念に執着することは正しくない、と思ったのであった。
 この点をめぐって、わたしの内心で闘われた闘争については、わたしが書いた『南アフリカにおける非服従運動』のなかで詳しく扱っておいた。だから、ここでまたその議論をむし返そうとは思わない。好奇心を持たれる人は、その本をごらんいただきたい。イギリスの支配に対する忠誠心にかられて、私はイギリス側に立ってその戦争に参加した、と言っておくだけで十分であろう。わたしがイギリスの市民として諸権利を要求したとすれば、イギリス帝国の防衛に参加することもまた、当然わたしの義務であると思った。そのころわたしは、イギリス帝国の枠内で、またそれを通してのみ、インドは完全な解放を達成できるという見解を持っていた。そこで、できるかぎりたくさんの同志を呼び集めた。そして非常な努力をして野戦病院隊として働くことを彼らに承諾させた。
◇◇◇

 「野戦病院隊として」、ということであれ、どう考えても「正義の戦い」とは言えないに戦争に参加することに就いては、色々な批判があるかもしれないが、取り敢えず話を進めたい。

 話は前後するが、ここでイギリス留学以後のガンジーの経歴(取り敢えず前半生)を簡単に振り返っておきたい。ウィキより引用する(一部省略)。
 
◇◇◇
 18歳でロンドンに渡り、法廷弁護士となるために勉強する。卒業後、1893年にはイギリス領南アフリカ連邦で弁護士として開業した。しかし、白人優位の人種差別政策下で、鉄道の一等車への乗車を拒否され荷物もろとも放り出されるなどの強烈な人種差別を体験したことで、イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。
20世紀初頭には、南アフリカ連邦となり、1913年に原住民土地法が制定されるなど人種差別政策の体制化が進んだ南アフリカにおいて、インド系移民の差別に対する権利回復運動を行った。
1908年初めて逮捕され、その後1913年にトランスバールの行進を企画し初めて投獄された。しかし、不正を追及し撤廃させ初めて勝利を手にした。
ダーバン近郊でアーシュラマ共同農園を創設。そこで、禁欲、断食、清貧、純潔を実践し、精神面を強化し、イギリスからの独立を展望している。 この時の経験は1915年にインドに帰国してからの民族運動にも生かされている。
◇◇◇

 その後ボーア戦争の終結に伴い、ガンジーは祖国インドに帰ることを決意するが、彼の人柄を慕ってきた人達による送別会が至る処で開かれ、高価な贈り物がガンジーに贈られた。その時の彼の困惑振りと、彼の奉仕に対する基本的なスタンスが次のように書かれている。

◇◇◇
 うずたかく積まれたこれらの品物を受け取った夜は眠れなかった。わたしは、ひどく落ち着かないで、部屋の中をあちこちと歩き回った。しかし、解決法はみつからなかった。これら莫大な金額の贈り物をすてることは、わたしにはむずかしかったし、それらを受け取ることは更にいっそうむずかしかった。
 さらに、わたしがそれらを受け取ったとしたら、わたしの子供はどうするだろう。妻はどうするだろう。彼らは、奉仕の生活には奉仕自体が報酬である、ということを理解できるように訓練を受けているのだった。
◇◇◇

 この「奉仕の生活には、奉仕自体が報酬である」とは、何と素晴らしい言葉であろうか。この後、ガンジーは先ず子供たちを説得し、贈り物を受けないことを承諾させるが、妻は次のように言って猛反対する。

◇◇◇
「あなたが、わたしにあの飾り物や宝石をつけさせないことも、わかっているつもりです。ですが、私の嫁にはどういたしますか?飾り物や宝石がいるに決まっています。しかも、明日どんなことがおきるか、誰が知りましょうか?あんなに心を込めて下さった贈り物を手放すなんて、金輪際いやです」
◇◇◇

 この後ガンジーは何とか妻の賛成を得ることに成功し、これらの贈り物は全部返してしまった。「信託証書がつくられ、それらを銀行に預けて置き、わたしの希望なり、または信託管理者の希望に従って、インド人居留民の役に立つよう使用されることになった」 そして、「公のために奉仕している者は、けっして高価な贈り物はもらってはならないというのが、私の確固とした意見である」と結んでいる。

 ガンジーは、一年ほどインドに滞在した後、再び南アに戻るが、インド居留民に対する政府の態度は一向に改善していない。それに対し、「インド人が戦争を助けたのは、お前が言い出したからだ。このざまを見ろ」と言って、幾人かの知人がガンジーを嘲笑った。これに対してガンジーは次のように応じた。

◇◇◇
 「わたしは自分の忠告を遺憾とは思わない。私たちが戦争に参加してよいことをした、とわたしは思っている。私たちは、私たちの労力に対して何か報酬を望んではならない。しかし、全ての善行は、ついには実を結ばざるをえない、とわたしは固く信じている。過去を忘れ、そして私たちの目前の任務を考えようではないか」
 このように言うと、他の人もうなずいた。・・・
◇◇◇

 その後ガンジーはまたインドに戻り、南アで試みてきた方法(サッティヤーグラハ)をインドで試すべく、道場を開くことを決め、「サッティヤーグラハ・アシュラム」と名付けることにした。そのアシュラムを運営するための法規・規律を作成することになり、知人の一人が「若い世代に、悲しいことには謙遜が欠けているからと言って、規律の一つに謙譲を加えるべきだ」、と提案した。その提案に対し、ガンジーは次のように述べている。

◇◇◇
 わたしはこの欠点に気付いていたけれども、それが誓いとなってしまった瞬間に、謙譲は謙譲であることをやめてしまうのではないかと思った。謙譲の真の意味は自己の消滅である。自己の消滅は解脱(モクシャ)である。そして、それ自体は規律とすることはできないので、それを達成するためには、他の規律が必要となってくる。解脱を求める人および奉仕者の行為に、もしも謙譲や無私の心がなかったならば、解脱や奉仕を求める心はなくなってしまう。謙譲に欠けた奉仕は利己主義であり、自我主義である。
◇◇◇

 「謙譲に欠けた奉仕は利己主義であり、自我主義である」とは何と厳しい言葉であろうか。そして、同書の最後の頁でも次のように述べている。

◇◇◇
 私自身を無に帰せしめなければならない。人は、自由意志から、自分を同朋の最後の列に置くようにならないかぎり、救いはない。非殺生は、謙譲の極限である。
◇◇◇

 ここに真の奉仕の精神を垣間見たようにおもうが、理屈では判ったようでも、実際にこれを実行するのは至難の業であろう。

 
PS(1): 尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。
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