アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第5章 ヒンドゥー教とガンジー ⑩ 宗教と政治

2017年07月27日 08時57分50秒 | 第5章 ヒンドゥー教とガンジー
前稿にても引用した、宗教と政治との関係に関するガンジーの考えを再度同書から引用する。

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 普遍的な、そしてすべてに内在する真実の精神に直面するためには、人は最も微々たる創造物をも、同一のものとして愛することが可能でなければならない。しかも、それを追及する人は、あらゆる生活の分野から離れていてはならないのである。これが、真実に対するわたしの献身が、わたしを政治運動の分野のなかに引き込んだ理由である。しかもわたしは、なんのためらいもなしに、またきわめて謙虚な気持ちで、宗教は政治となんら関係がないと言明する者は、宗教の何であるかを知らない者である、と言うことができる。
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 本稿では、この政治と宗教の問題を少し掘り下げて考えてみたい。そこで、同書に解説文を書いた、日本文化研究家の松岡正剛氏の解説を、先ず引用する(但し、筆者として若干違和感を覚える表現が無くもない)。更に、松岡氏(著者の蠟山氏も含め)は「バクティ」を「バクチ」と表記しているが、以下の引用では「バクティ」と書き換えさせて頂いた。

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 日本の現代では政教分離がやかましい。政治と宗教は、たとえ見えないところでつながっていたとしても、社会的な手続きや信仰の表明にあたっては、これをいささかも連動させないことが原則になっている。これがレギュラーだ。
 ところがキリスト教やイスラムの社会では、そもそも信仰を社会活動から切り離すこと自体がイレギュラーなことになる。イスラム圏では政治に宗教が介在していないほうが稀有なのだ。
 ガンジーはヒンドゥー教徒であり、バクティの教義を貫こうとした人である。もともとバクティはヒンドゥー教の主流ではなくて、知識や活動に依存せず、もっぱら献身と奉仕を重視する流派であった。したがってながいあいだ、遊行者や吟遊詩人の一文がこれを遊動的に広め、伝えてきた。やがてバクティに徹した聖者が次々に出現し、各地で崇められることになる。マーマナンダ、ラーマ・クリシュナはそういう聖者だった。
 ガンジーはこのようなバクティの聖者に連なる人なのだ。マハトマ・ガンジーの「マハトマ」とはそうした聖者に与えられる「偉大な尊者」「大いなる魂」の意味を持つ。・・・
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 このバクティの思想を、著者の蠟山芳郎氏は「訳者あとがき」で次のように解説している。因みに、「ジナーナ」は「ジニャーナ」と表記を変更させて頂いた。

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 まずはっきりさせておきたいことは、ガンジーの抱く「永遠の真実」という思想が、インドの下層社会の人々に信じられている宗教思想、すなわち、行動を重んじ、私心のない献身と奉仕を重んずるバクティの教義であるということである。知識を重んじた「ヴェーダ」の思想や、「ウパニシャッド」の哲学などの、ヒンドゥー教の正統思想の立場からは、それは常に原始宗教や、イスラム教に影響された異端の思想であるとして、取り扱われてきたものであるということである。
 仏教出現後のヒンドゥー教じゃ、さまざまな傾向を生むようになったが、だいたいにおいて「神に到達する道」としてジニャーナ(知識によるもの)、カルマ(行動によるもの)、バクティ(献身によるもの)の三つがあった。そしてジニャーナによる第一の方法が、ヒンドゥー教にとって正統とされ、インドの諸聖典とともに、カースト制度の最高位にある少数の階層、バラモンの独占するところとなった。これに対してバクティによる第三の方法は、献身と自己鍛錬であり、ジニャーナの知識の方法にくらべ煩雑さがなかったので、バクティによって神に到達しようとする運動は、支配され、圧迫され、搾取されながら労働する貧しい民衆の間に人気を呼ぶのは当然のことであった。
 なお、主要なバクティの運動は、「偉大」という意味の保護の神ヴィシュヌ(日本でいう遍照天のこと)、または破壊の神シヴァ(日本でいう吉祥天のこと)への献身を巡って展開されているが、そこから、バクティの運動には、ヴィシュヌ神を崇拝し献身するヴァイシュナヴァ派と、シヴァ神を崇拝し献身するシャイヴァ派の二派が生れた。ガンジーはヴァイシュナヴァ派として信心深いガンジー家に生まれ、両神から大きい影響を受けたのである。
 バクティの運動としてのヴァイシュナヴァ派は、十一世紀、南インドに生まれたバラモンのラーマヌジャ(1016-91)の哲学によって、はじめて知的裏付けを与えられ、ヒンドゥー教の有力な一派に発展するいとぐちを開いた。・・・
 ラーマヌジャによれば一つの存在、すなわちブラフマン、または神の存在は認めるが、その一方、有限、多様の実在を正統派哲学のように、マーヤ(幻想)とか単なる外形とはみない。すべての外的対象物、肉体、自我は有限ではあるが、全て実在であるとみている。そして有限、多様の実在と一つの普遍的実在との間の関係、言い換えれば個と神との関係について、注目すべき独特な考えを展開した。すなわち、人間の魂は神の創造ではない。それは神の一部である。人間の魂は神に依存するものではあるが、しかし神と同じく始原的なものであって、神と共存するものである。したがって正統派が説くような「人間は神ではなく、人間のなしうることは、ただ神のなにものであるかを知ることのみである」のではなくて、「人間は神に到達することが可能であり、神を会得し、目にみえるものにする努力を行うべきである」としたのである。
 とりわけラーマヌジャが、難しい哲学的思弁ではなくて、「神は全てのものに宿っている」「すべての人間は神と根源を一つにする」とし、人間はヴィシュヌ神への献身によって神の恩寵にあずかり、神と人間との差別をなくするという教えを説いたことは、民衆の共感をよび、民衆の心に多大の影響を与えることになった。そしてラーマヌジャは、後年、下層民の間で最も有名なバクティの運動-ヴァイシュナヴァ派の開祖とみなされるに至った。
 ラーマヌジャ以後のバクティの運動は、つぎのような行者たちによって護持されてきた。
・「人間共感の精神に基づく私心のない活動」を説いたジャワネスヴァラ
・「カースト制度を否認」したラーマナンダ
・「奉仕の実践を尊し」としたチャイタニア
・「万人は兄弟であること」を説いたトゥルシダス
・「人びとには愛と奉仕の精神を持って対せよ」と説いたラーマ・クリシュナ
・バクティの行者から霊感を得た、普及の詩「ギータンジャリ」の作者タゴール
 これらの先達と同様に、ガンジーはインドの大衆にとってバクティの行者であった。彼の行くところ人びとは土下座をして、彼の足や裾に手を触れ、そのことによって身を浄めてもらい、神に近付く祝福(ダルシャン)を受けようとした。・・・
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 因みに、このラーマヌジャの思想はバガヴァッド・ギーターが説く処とも大筋で軌を一にしており、筆者が先般の「南インド巡礼」で初めてインドの地を踏んだ際にも、民衆の信仰心の熱さを肌で感じることが出来たことからして、シヴァ派と共に現在のインドの国民に及ぼした影響は計り知れないものがあると思われる。そういう意味からも、インドにおいて、ガンジーの「宗教と政治は不可分のものである」との主張は非常に説得力があるのだが、他の国々、例えば日本や中国においてはどう考えれば良いのだろうか?延いては、世界宗教というものを考えることは可能なのだろうか?
 そうしたことを考える上でのヒントとして、ガンジーは同書の中で、非常に興味深いことを書いているので、その個所を引用する(ここでも著者が訳したTruth「真実」を「真理」と表記する)。

◇◇◇
 ラジコットでわたしは、ヒンドゥー教のすべての宗派とその姉妹宗教に対する寛容さの最初の土台をつくった。というのは、父と母はハヴェリにもお参りすれば、同じようにまたシヴァ宗派やラーマ宗派のお寺にお参りをし、私たち若いものを連れて行ったり、行かせたりしたからである。ジャイナ教の坊さんがまた、しばしば父のところをたずねてくれた。そして、私たち- ジャイナ教とではない -から斎食(とき)を受けるなど、彼らの道からはずれることさえした。彼らは、宗教上や世俗のさまざまな事柄について、父と話し合っていた。
 そのほかに父にはイスラム教徒やパーシー教徒の友だちがあった。彼らは彼ら自身の信仰について、父に話しかけた。すると父は、いつも尊敬の念をこめて、ときには興味をもって、彼らの言うことに聞き入った。父の看護をしていた私は、こうした会話の席に居合せる機会にときどきぶつかった。これらのことどもが一緒になって、全ての信仰に対する寛容さが、わたしに教え込まれたのだった。
 当時、キリスト教だけが一つの例外であった。わたしはそれに一種の嫌悪の念をいだいた。それには理由もあった。当時、キリスト教の牧師たちは、いつも高等学校近くの四つ角で説教に立って、ヒンドゥー教やヒンドゥーの神たちに悪口を浴びせたものだった。わたしはこれを聞くに堪えない思いがした。私は一回だけそこに立ち止まって、彼らの説教を聞いたことがあった。然しそれだけで十分で、二度とその経験を繰り返す気を起さなかった。・・・
 あれやこれやで、わたしのなかにキリスト教嫌いが出来上がった。
 ところで、わたしが他の宗教に対して寛容であることを覚えたのは、何も、わたしが生ける神の実在を信じたからではなかった。しかし、ある一つのこと - 徳はいっさいの土台である。そして、真理はすべての徳の実態をなすという信念 - は、わたしの心のなかに深く根をおろした。真理はわたしのただ一つの目標となった。それは、日ごとに荘厳さを加え始めた。そしてそれに関するわたしの定義も、いよいよ広げられた。
 グジュラートのある教訓歌は同じようにわたしの心情をつかんだ。その教え - 善をもって悪に報いよ - は、導きの原理となった。わたしはそれに熱情を打ちこんだので、それについて数々の実験を始めた。ここに、その[わたしにとって]すばらしい数行をひいておこう。
一杯の水を与えられなば 山海の珍味をもってこれに報いよ
親しく挨拶されなば 誠心をもって ひざまずきてこれを受けよ
一銭の施しを受けなば 黄金をもって返せ
一命をすくわれなば 一命を惜しむなかれ
いかに小さき奉仕であれ 十倍にして報いん
されどまことに心貴き人は 万人を一人と知り
悪に報いるに善をもってし これを喜ばん
◇◇◇

 この「徳はいっさいの土台である。そして、真理はすべての徳の実態をなす」との言葉はまさに至言と言えるであろう。つまり、ヒンドゥー教にあっては、五つの禁戒(不殺生、真実、不貪、不盗、不邪淫)があるが、これは仏教の五戒やキリスト教の十戒にも基本的に含まれている。然しこれらとて厳密に守ろうとすれば決してたやすいことではないことは、ガンジーが一生を賭けて「真実」でありたいと願い続けたことからも判って頂けると思う。しかし筆者が思うには、これらの戒律だけではやや不十分であり、仏教でいう“慈悲”、或いはキリスト教で言う“奉仕”または“愛”の精神を心掛ける必要がある。つまり、ガンジーが喝破した通り、基本的にあらゆる宗教の土台は、このような「徳」を涵養することにあるのである。

 最後に、スッタニパータ(南伝大蔵経)から、ブッダの言葉を引用して本稿を締め括りたい。中村元氏の訳による。(143-152節)

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・究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
・足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
・他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福で有れ、安穏であれ、安楽であれ。
・いかなる生物生類であっても、おびえているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、・・・一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
・何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの思いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
・あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。
・また全世界にたいしても無量の慈しみの意(こころ)を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
・立ちつつも、あゆみつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)こころづかいを確りと保て。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
・諸々の邪な見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母体に宿ることがないであろう。
◇◇◇


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