アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第5章 ヒンドゥー教とガンジー ⑫ ヒンドゥー教とヨーガ

2017年08月10日 09時51分12秒 | 第5章 ヒンドゥー教とガンジー
 筆者は、本ブログのPart I第13章「世界宗教」の中で、ヴィヴェーカナンダの説く「単一宗教と普遍宗教」の問題に触れている。要は、単一宗教、例えばキリスト教が世界共通の普遍的な宗教(いわば世界宗教)に成り得るかどうかという問題に関するものであるが、本稿を書き進めるに当たり、先ずその一部を引用しておきたい(詳しくは第13章⑬話をご参照願いたい)。

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 もし、自分の宗教が全ての真理を伝えている、神はこれこれの書物によってこの真理の全部を我等にお与えになったのだ、という、ある宗教の主張が正しいなら、なぜこんなに沢山の宗派ができるのですか。・・・例としてバイブルと、そしてキリスト教徒の間に存在する全ての宗派を取り上げましょう。同一のテキストに各宗派が独自の解釈を与え、夫々が、自分たちの解釈だけが正しいと主張しています。他のあらゆる宗教においても同様です。回教徒及び仏教徒の間にも多数の宗派があり、ヒンズー教徒の間にも幾百の宗派があります。いまこの事実を皆さんにお示しするのは、霊性の世界では、全人類を一つの考え方に導こうとする、どんな試みも失敗したし、これからも必ず失敗するであろう、ということをお知らせするためです。・・・全ての人を一つの思想にはめ込むことはできません。これは事実です。そして私は、そのことを神に感謝しているのです。
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 ヴィヴェーカナンダは、そもそも単一宗教が世界中全ての人々を満足するようなことはそもそも出来ないのだという事を先ず説いている。それでは、彼の云う「普遍宗教」はどんなものなのであろうか。引用を続ける。

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 では私は何をさして普遍宗教とよんでいるのか。いかなる普遍の哲学を指しているのでも、一つの普遍の神話を指しているのでもありませんし、全ての人が行うような儀式を指しているのでもありません。我々は、真理は百千の形で現わされるであろうことを、そしてそれが現れている限りは、それらの各々が真理である、ということを学ばなければなりません。同一のものが百の異なる立場から眺められ得る、それでもそれは同一のものである、ということを学ばなければなりません。・・・
我々は実に多くの異なる性質を見ます。幾千また幾千の、心と傾向の違いがあります。それらを完全に総合することは不可能です。しかし実践上の目的の為には、それらの性質を四つのクラスに分けたら十分でしょう。第一には活動的な人、働く人がいます。彼は働くことを欲し、彼の筋肉及び神経にはすさまじいエネルギーがこもっています。彼の目的は働くこと-病院を建て、慈善事業をし、街路をつくり、計画したり、組織したりすることです。それから崇高な美しいものを過度なまでに愛する情緒的な人がいます。彼は美しいものを思うこと、自然な美的な側面を楽しむことを愛します。そして愛と、愛なる神を崇めます。彼は全身全霊をもって、全ての時代の偉大な魂たち、もろもろの宗教の予言者たち、及びこの世に生まれた神の化身達を愛します。彼は、キリストまたは仏陀が存在したことを理性が証明することができようができまいが、頓着しません。山上の垂訓が与えられた年月日とか、クリシュナの誕生の正確な時刻など、知りたいとは思いません。彼が知りたがるのは、彼等の人柄、愛に満ちた彼等の姿です。そのようなのが彼の理想です。これが愛する人、情緒的な人の性質です。それから、その心がそれ自身を分析することを、人間の心の動きを、内で働いている力は何であるかを、そしてどうしたらそれらを知り、操作し、また支配することができるかを、理解することを欲する神秘家がいます。これは神秘家的な心です。それから、一切のものをはかることを欲し、全ての人間の哲学の可能性をこえるまでに彼の知力を働かせる、哲学者がいます。
さて宗教は、人類のできるだけ多くを満足させるために、これら様々のタイプの心の全てに食物を供給することができなければならず、その能力の欠けているところでは、宗派は全て一方に偏ったものになっています。・・・私が広めたいと思っているのは、全ての心に同じように受け入れられる宗教です。それは等しく哲学的で、等しく情緒的で、等しく神秘的で、等しく活動の助けになるものでなければなりません。・・・全ての人間がその心の中に哲学、神秘主義、感情及び活動というこれらの要素の全てを十分に、しかも均等に備えていたならさぞ良かったでしょうに!それは理想です。完全な人間というものの、私の理想です。性格のこれらの要素の一つか二つだけを備えている人はみな、‘偏っている’と私は見ます。そしてこの世界はそのような、その一つだけの知識を持ってその中を動いている偏った人々で満ちています。そして彼等にとっては他のものは何でも、危険で恐ろしいのです。これら四つの全ての方向において調和あるバランスを保つことが、私の宗教の理想です。そしてこの宗教は、我々がインドでヨーガ ― 結合と呼ぶものによって、得られるのです。働く人にとっては、それは人々と全人類との結合です。神秘家にとっては、それは彼のより低い自己と、高い自己との結合です。愛の人にとっては、彼自身と神との結合であり、哲学者にとっては、それは全ての存在の結合です。これがヨーガというものなのです。これはサンスクリット語です。ヨーガのこれらの四つの区分はそれぞれ、サンスクリット語の名を持っています。この種の結合を追求する人はヨギと呼ばれます。働く人はカルマ・ヨギと呼ばれます。愛に拠る結合を求める人は、バクティ・ヨギと、神秘主義によってそれを求める人は、ラージャ・ヨギと呼ばれます。そして哲学によってそれを求める人は、ギャーナ・ヨギと呼ばれます。ですからこのヨギという言葉は、全部を含むのです。
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 つまりヴィヴェーカナンダの云う普遍宗教とは、それぞれの人の性質や性格に応じて各種のヨーガ(カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ、ギャーナ・ヨーガ)の内の一つ或いはその組み合わせを実践させることにあるようであり、これが「普遍宗教」としての可能性を秘めていると言うのである。
ところで、本章①の書き出しでは、「筆者が拠って立つ教えは、ババジのクリヤーヨーガであり、その技法をもとに日々修業に励み、思索を続けている。そしてそのヨーガは、基本的にはヒンドゥーの六派哲学の中の一つに数えられているものである」と書き、ヨーガをより深く理解するためにこの章を設けてヒンドゥー教のエッセンスを『ガンジー自伝』から導きだそうとしてきた。そしてその目的はほぼ達成されたように思っているのだが、一方で、この「ヨーガは、基本的にはヒンドゥーの六派哲学の中の一つ」であるとの認識に変化が生じてきている。
その理由は幾つか挙げられるのだが、その前に、ヒンドゥー教の主たる宗派を挙げておきたい。ウィキによれば、ヒンドゥー教の宗派には、主に以下の4つがある。

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・ヴィシュヌ派(ヴァイシュナヴァ, Vaiṣṇava)
・シヴァ派(シャイヴァ, Śaiva)
・シャクティ派(性力派, シャークタ派)
・スマルタ派
一般的には、ヴィシュヌ派とシヴァ派がヒンドゥー教の二大宗派として言及されるが、シヴァ派から派生したシャクティ派や、シャンカラの不二一元論を基軸とした綜合的信仰教派であるスマルタ派も、勢力としては比較的小さいながら並び称される。
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上記の内、筆者は今回の巡礼で二大宗派の寺院に参拝しただけなので、それでヒンドゥー教の全てを論じる訳には行かないが、筆者が一番ショックを受けたのは、ヴィシュヌ派のスリランガン寺院、及びクリシュナ寺院において、境内へ入ることは許されたものの、一般のヴィシュヌ派信徒に許されている本尊の参拝はおろか、本尊が祀られた建物内部に入ることすら拒否されたことである(但し、シヴァ派の寺院ではそのようなことはなかった)。このヴィシュヌ派はガンジーの属していた宗派でもあり、その閉鎖性には正直なところ驚きというより失望感を味わった。
それに加えて、以前からある程度予想はしていたことではあったが、前稿にて取り上げた「カースト制度」の問題の根深さである。これは、どうやら宗派に限らず、ヒンドゥー教徒に共通する問題のようであり、こうした諸問題を見るにつけ、筆者がヒンドゥー教の中に半ば期待をもって観ていた、「普遍宗教」的な「ヨーガ」の母体としての可能性は消え失せてしまった。

もっとも、ヴィヴェーカナンダは、いかなる単一宗教も普遍宗教にはなり得ないと明言しており、ヒンドゥー教にも様々な宗派があるので、ここでヒンドゥー教の各宗派全てを一概に否定するものではないことを先ずお断りしておきたい。他方基本的な考え方としては、各宗派のエッセンスに近付けば近付くほど、「普遍的」な「理念」が導きだされるのではないかと思う。次章ではそうした前提に立ち、ヒンドゥー教のみならず仏教の教えの基底にもなった「ウパニシャッド」について、ヨーガとの接点も含めて考えてみたい。


PS(1): 尚、このブログは書き込みが出来ないよう設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。
PS(2):『ヴォイス・オブ・ババジ』の日本語訳がアマゾンから発売されました(キンドル版のみ)。『或るヨギの自叙伝』の続編ともいえる内容であり、ババジの教えなど詳しく書かれていますので、興味の有る方は是非読んでみて下さい。価格は¥800です。

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