アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第18章 真理 ⑮黙示録の解読

2012-12-28 06:42:34 | 第18章 真理
前稿においてはサンスクリットの聖典やヨーガの立場から、ヨハネの黙示録に記された「七つの燭台」が、七つのチャクラに対応していることを説明した。今回は、逆にキリスト教の聖典である「ヨハネの黙示録」の解説を通じて、ヨーガの教義との一致点を探って行きたい。前回も引用した、エドガー・ケイシー(以下、著者)による『黙示録の解読』(以下本書、訳・編者:林陽)に基づいて解説する。
先ずは、本書の要点と全体の構成を明らかにするため、その解説(P6以下)から引用する。

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『ヨハネの黙示録』は、新約聖書の最後に収められているキリストの愛弟子ヨハネに託された天啓の書。ヨハネの弟子イエレナイオスによれば、ローマ皇帝ドミティアヌス支配のAD95年、トルコ沿岸の島パトモスで執筆された。
ヨハネは、黙想していた或る日、天使の来訪を受けて、神がキリストに託したメッセージを伝授される。「御霊に感じる」典型的なエクスタシー(脱魂)の中で、体は死者のように横たわり、その間、荘厳な幻を経験した。いわゆる至福直感の境地だ。この中で、世界に起きる出来ごとが次々に展開された。・・・(中略)
だが、『ヨハネの黙示録』の価値は預言に限定されない。神との私的合一の階梯を記す、アヴィラの聖テレジアの「霊魂の七つの城」に併行する記録が多いことからも、ヨハネ自身の観想経験の記録であり、神人合一の究極的境地に至る七つの段階が書かれているのは想像に難くない。その意味では伝統的な観想の奥義書といえよう。
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ここで編者は、『黙示録』が示しているのは今後の世界の行く末だけではなく、それは神人合一に至る観想の奥義書でもあることをエドガー・ケイシーが指摘していると解説している。

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本書で紹介するアメリカの霊能者エドガー・ケイシーのリーディングは、内的記録の視点を更に現代化している。彼によれば『黙示録』は、ヨハネ自身が新生する経過を、生理学的、心理学的に再解釈できる象徴をもって書かれている。
ヨハネは瞑想中に超意識の心に触れる。超意識の心は心身浄化と新生の秘密をヨハネに啓示し、清めを開始する。七つの教会はヨハネ自身の七つの霊的中枢(腺)、七つの封印をされた巻物は七つの腺に封じられているからだである。人が超意識に指導を委ねれば、超意識が先導者となって腺を浄化し、隠された人間本来の姿を回復する道が開かれる。
箇条書きにすると、

第1章―超意識との接触。
第2、3章―超意識が七つの霊的中枢(生殖腺、ライデン腺、副腎、胸腺、甲状腺、松果体、脳下垂体の七つの内分泌腺)の支配知性に話しかけ、体・心・霊を全的に清めるのに必要な指示を与える。
第4章―覚醒したヨハネの心は体の管理を超意識にゆだねる。
第5章―七重に封じられた巻物(七つの内分泌腺に封じられた体)が開かれる。
第6章―内分泌腺が順次開かれて掃除が始まる。
第7章―体の十二部に分布する総数144,000個の特殊細胞に完全性の型が押され新生が始まる。
第8章―脳下垂体の解放とともに四中枢に新生力が充填されて体内に変化を起こす。
第9章―上位三中枢の開放とともに起きて来る心身の浄化によって体細胞の三分の一が清められる。
第10、11章―新生が完了し、体の管理がヨハネの心に返される。
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前稿でも触れたが、エドガー・ケイシーのリーディングに拠れば、七つの教会とは、人間の七つの霊的中枢、即ちチャクラを示していると言う。再び本書に戻る。

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以上が『ヨハネの黙示録』前半部に要約されているヨハネ自身の新生の経験であるという。
『創世記』の創造の記録に附合するのが興味深い。『創世記』では、七段階を経てアダムが誕生し、『黙示録』では七段階を経て人は新生する。『創世記』冒頭の創造の七段階は小宇宙としての人の創造をも意味すると考えられる。『創世記』で七段階を経て形成された「神のかたち」が、『黙示録』では七段階の浄化を経て回復される。
神の形は、「われわれに似るようにわれわれのかたちにつくろう」と『創世記』に書かれている、人間が堕落する以前に持っていた完全な原型である。人は、神を映し出すその完全な姿をもって神と交流し、パラダイスに住んだ。この原型に沿って体が再構成されるということのようである。そして、このような体・心・霊にわたる全的な変化が新生と呼ばれる。
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ここでいう完全な原型、或いは姿というのは、イデアの世界(即ち聖書で言う‘楽園’)に於ける、本来の人間の姿なのかも知れない。

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想像を超えることがらだが、仏教でいう即身成仏、カトリックでいう不朽体、ギリシャ正教でいう神化に比せられるような、細胞の変化が起きるのであろう。
『ヨハネの黙示録』後半部は、新生を完了させたヨハネが見る人類全体の動きである。ヨハネは魂と心、自我、感情の成立と、それらの抗争の中で人間が如何に自我の力に支配されてきたかを示される。
人類の我欲の集合が、七つの文明期を支配する獣の帝国として描かれている。人類は魂と肉体との抗争から起きて来る感情の力に支配される。感情は七つの内分泌腺の力を吸いだして存続し、その力を我欲を満たすのに振り向ける。結果として内分泌腺の霊的創造力は、利己的、物質的な実現のために消費され、その集合が世界に君臨する獣に描かれている。
だが、ヨハネがしたように、人類全体もまた集合的超越意識の指導にゆだね、清めを受けなければならない。ヨハネの体細胞における選別された十四万四千個に相当するのは、「完成の型」を押された十四万四千人である。彼らが一体となって世界にキリスト意識が保たれるときに、人類は新生に向けて動き出す。
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つまり『黙示録』によれば、十四万四千人が新生を経験し、人類全体の新生を主導することになる。

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集合的な意味で七つの内分泌腺の清めが始まり、人類は、疫病や環境破壊など、七つの腺中枢の創造力を誤用した結果に向きあわされる。疫病は生殖腺の誤用の結果であるという。これがグローバルな問題であることを思い浮かべる必要があるかもしれない。今全世界に起きている様々な問題は、人類全体が長いこと七つの腺中枢を我欲に振り向けてきた結果なのであろう。
この七重の試練が完了すると、世界は集合的超意識の心、キリストの支配に明け渡され、平和の千年が幕を切る(第20章)。私達はその時期から遠くないと思われる。それが、十年後、五十年後、百年後であれ、歴史全体から見れば現代はその直前にある。
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筆者は、この節目が2012年の12月21日になるのではないかと思うのだが、それが具体的にどのような形で人類に起こるのか、正直なところ予想がつかない。偶々現在中国、日本、韓国では政権の変る節目になっているが、おそらく直ちに急激な変化が有るということではなく、今後徐々に人類社会が良い方向に向かって行くのではないかと思う。そうであれば、我々は近い将来、平和の千年紀を経験できることになる。

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この期間に地上に生を受けるのは、十四万四千人と心を合わせて世界の刷新に取り組む人類である。それは集合的な抑圧領域(イド)がこの間に封じこまれて表現できなくなるからであるという。
この人類の新生が完成される千年紀に、地球環境は進化した人類によって修正され、再び調和が取り戻される。今人類が遭遇している各種の危機がこの時代に解決されるということらしい。残る人類は、どうやら最初からやり直しをさせられるようである。彼らは千年後に前と同じ状態で生まれてきて、地球のバランスを崩して自滅するだけに終わる。
『黙示録』の最後の章は、ヨハネが見た新生を遂げて完成された魂の姿、神人合一の境地である。それが回復されたパラダイスの映像に示されている。そこには『創世記』で失われて久しい「いのちの木」がある。また「いのちの川」がある。
これは死後世界の話ではなく、生きているうちに経験できる意識状態なのであろう。実際、ヨハネ自身がこれを経験しているのであるから、ヨハネに随って新生の道を歩む者は同じ境地を経験するはずだ。
『黙示録』の内的解釈の中心は「清め」にある。世界はキリストの時代以来続いている清めの最終段階にきているように思われる。自分の清めに加わることは、世界の清めに通じる。地球が大きな体であり、人類がその構成細胞であるという認識を持つならば、個人の重みと生の価値は増してくる。私たちのあり方が延いては地球全体のあり方を決める。
『黙示録』は、神の創造と救済の計画に進んで貢献する人々が会得すべき、霊的進化の教科書と定義できると思う。キリストの教えの奥義を極める者はこの書に秘められている奥義を内的体験のうちに会得できる。これはそのような特別な人々のために特に書かれた書物である。
世界の浄化が最終段階に来ていることは、環境破壊や疫病の拡大、種の絶滅、気象変動、ありとあらゆる社会問題の噴出などに表れているが、混乱に呑まれてはならない。正しい瞑想を通して感情をコントロールし、内分泌腺の働きを完全の型に合わせるよう、日々精進を怠らないようにしよう。噴出する問題は浄化の過程で意識の表面に上がって来る汚れのようなものである。それに巻き込まれるのではなく、世界を浄化している創造の力に注意を寄せなければ、問題への正しい対応法を見いだすのは難しいであろう。
積極的に自己改革のためにこの書を利用し、魂と霊性の向上を図り、世界の問題の解決のために必要な導きを超越知から受け取れるようにしたい。
何よりも新しい意識を内に迎え入れなければならない。古い思考形態を脱して、人類の完成の型であるキリストが与えた完成の道に入り、神の求めている理想像に自分を合わせられる道がここにある。それは聖霊による内からの刷新だ。このような力を得て初めて、私達は本当の意味で人を助けられる道具として役立てるようになると思われるのである。
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以上に就いては、これ以上の解説は無用と思われる。
因みに、中世以降のキリスト教が輪廻を否定していることは周知の事実であり、現代でも殆どのキリスト教徒は輪廻を信じないと思われるが、エドガー・ケイシーと聖書の研究会員との間に取り交わされた興味深い内容のやりとりがあるので、紹介したい(P23)。

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問3  キリストが来られるまで、死者はどこにいるのですか。人は、死ぬとすぐ、キリストのもとへ行くのですか。
答3  愛された人が見たように、救い主が救われる人々の意識に永遠に存在するように、中間世界(筆者註:幽界或いは霊界を指すものと思われる)を行き来する人々のために、御座の前で常に取りなす諸聖人がおられる。その行き来は、夏、秋、春の巡りに似ている。中間世界への誕生と物質世界への誕生である。
◇◇◇

以上のように、仏教やヒンズー教で考えられている輪廻と略同じ内容のことが論じられているが、キリスト教徒であっても、その教えを本当に深く理解している一部の人は、輪廻を信じているものと考えて良いのであろう。
更に、普通キリスト教と言うと、神と、人間を含む自然を対立させる二元論的な考え方と取るものと思われがちであるが、本書には汎神論的な考えも出てくる。その部分の少し前(組織と獣に関する部分)から引用する(P75)。

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問5  二本の角があり奇跡を行う、「もう一匹の獣」の象徴を御説明ください。
答5  二つの道、二つの角がある獣に示されているように、前半部の研究で得られた力が、不当に応用されること。聖書にはどう書かれているだろう。主、信仰、神、洗礼、道は一つ。だが、あなた方が周りに見る経験には、二心を持つ獣の影響力が絶えずある。地上でどれほど奇跡を見せても、「たとえ病人を癒しても、私はあなた方を知らない。あなた方は、自我の拡大、放縦、優越という獣に従ったからである」と主は言われた。

問6  『黙示録』第13章に書かれている、二匹の獣は、潜在意識の心と顕在意識の心に関係しますか。
答6  いかにもこの二つの影響力を通して働いている。一部となる潜在意識の力と、元素を通して、自我のためにも神のためにも働く顕在意識の二つ。だが、それらを通して働くのであり、この二つが獣になって命じるのではない。

問7  右手か額に押された獣の「刻印」(16節~)は何を意味しますか。
答8  獣の仕事をする者達の誓いや義務の一部になっている、あれやこれやの集団、組織のしるし、象徴。このようなものが経験の多くを占めるようになれば、助けになる経験というより、責めるものになるとく警告が与えられている。獣の刻印と子羊の印を持つことは、内住するキリスト臨在の意識と、まだ見ぬものへの期待の違いである。

問8  獣の数字は人間を指していて、その数字が「666」というのは、どういう意味でしょうか。
答8  組織であれ、集団であれ、人の手の技となるどんな影響力においてであれ、生み出した影響力を考慮、実感せず、人間の業と取られる時に、それは人の数字になり、人の日数として数えられる。そこには、神だけがお導きになるという意識が欠けている。どんな組織的仕事も、どんな連帯も、どんな集団も、人のものになるべきでない。主はどう言われただろうか。御父は「主の中に、主を通して」お働きになった。この方法で、獣の刻印は手の業、頭脳の業から消され、人の名、人の数とならずに、神のみへの信頼となる。

問9  それとの関係で「ここに知恵がある」の意味を説明して下さい。
答10  肉と精神と霊の全体を貫く、「真理の御霊」の働きと、その影響について、あなた方が研究と分析を重ねて会得したように、心と体と魂を尽くして、主なる神を愛し、自分を愛するように人を愛する。これが全体の法則である。これが知恵である。これが知識である。
あなた方が、心と体の内なる活動を通して体得したことは、この知識への踏み台に過ぎないと知りなさい。神は万物のうちに、万物を貫いて存在し、そのなかで、人は生き、動き、存在を得る。この知識を越えるどんな人間も、数も、力もない。これが完全に理解される時に、あなた方は、地上にあって神のいける知識を得るのである。今はこれで終える。
◇◇◇

以上の前半部分は、組織と獣の関係に対する考察をしているが、その獣とはどうやら自我を指すということのようである。何であれ、人は組織を離れては生きることが出来ないが、その組織が人によって運営されるものである以上、神の御心から遠ざかり、自我や我欲に捉われることになる。ヒンズー教やヨーガ・スートラで出家とか離欲を強調するのも、同様の懸念があると考える故であろう。

最後に、驚くべきことであるが、ヨーガの呼吸法に触れたくだりがあるので、紹介したい。エドガー・ケイシーの言葉は次のように始まる。

◇◇◇
私達は、ヨーガの呼吸法(筆者註:精確には、プラーナヤーマを指していると思われる)を使っているその人の体の状況と経験をみている。彼にとって有益な情報を述べると、このような修行によって何が起きて来るかを、確認する必要がある。
優れた修行だが、特別な準備をする必要がある。或いは行をするときに何が起こるかを、完璧に把握しておく必要がある。呼吸は生ける有機体の活動の基盤なので、この行法は、有益な作用も有害な作用も体に与えるからだ。
いつ、いかなる方法で、それを使うべきかを理解する必要がある。瞑想法についてこの源から語って来た知識を慎重に研究するとよい。その知識が、これから話す情報とともに、彼の体験に役立つはずだ。
魂は誰も次の事実を知っている。まず肉体がある。そこには、三次元世界、或いは現象界で体を機能させる属性が全て具わっている。また、精神体(筆者註:幽体、或いはメンタル体に相当すると思われる)がある。それは、肉体的、精神的、霊的な感情と表現を導く力だ。人を自分自身や他人、事物や環境に関係付ける手段といってもいい。
次に、霊体、魂体という、目に見えない永遠の存在がある。これは、忍耐をもって、その精神体と肉体との関係に気付き始める時のみ、霊の意識の中で見ることができる。「父・子。聖霊が一なるようにからだ・心・魂は一つ」と考えられ、実感され、認められているように、人にあってこの全てが一つになっている。
呼吸法によって精神を覚醒すれば、このどの面も発動させる力が体内に具わっていることが実感できる。体内には、霊魂が表現し、創造性を出す中枢、ライディッヒ中枢(筆者註:本書の図を見ると、スヴァディシュターナに相当するもよう)がある。これが呼吸法によって拡大し始める。その力は、受胎時に辿った道沿いに進み、有機体に放射し、働きかける七つの中枢を開く(筆者註:クンダリニ昇華を指していると思われる)。
体験を通して、して良いこととしてはならないことを発見し教えてきた人々は、特殊な状況のために、この流れを維持し、役立てることができるが、それは、この力を使うためにどんな準備をしてきたかにかかっているのである。
生命力の拡大はライティッヒ中枢に始まり、副腎を貫き、上昇流に乗って、松果体から感情の制御中枢へ至り、神経系を通して反射する。このような活動を通して、人は永遠との結合に向かって自分を押し出す。肉体の意識は普遍意識に向かって緩められる。
普遍的境地において自分がコントロールされる、或いは君臨されるのを許すことは、有害なものともなる。しかし、自我意識を解き、真我の表現を許す時に、誰が、何が、そこに支配的な力を揮うのかを、良く理解し、実感しているならば、それは普遍的意識の境地に本人がいる証拠である。それは、この解釈を与えているエドガー・ケイシー自身の体が置かれている状態でもある。
そこで、全体を分析するには、心の持ち方と摂取する食物によって、人体にどんな性質の違いが出て来るかを研究するとよい(筆者註:ヨーガが奨める菜食主義を暗示している)。肉体は物質的自然界から摂取するもので形成される。精神体は、肉的心、霊的心の両方から摂取するもので形成される。魂はその人の過去、現在、未来の全てである(筆者註:ここで云う魂は、阿頼耶識を指しているように思う)。
では、その人はこのような経験を、誰に、何に、委ねる必要があるのだろうか。指導者や監督(筆者註:所謂グルを指している)なしに中枢を開くのは弊害を招きやすい。だが、監督を人に求めてはならない(筆者註:通常の人はそれほど簡単にグルに邂逅できる訳ではないから、そのように言うのであろう)。キリストの普遍意識で自分を包み、あなたに託されるかもしれないその力に導かれよ。そうすれば、今までに体得したものを建設的に使えるだろう。
だが、肉体的、精神的な弊害を避けるには、体においても、あなたが導きを願っている力に自分を同調させなさい。行き当りばったりではなく、昔の言葉にもあるように、今日あなたが誰に仕えるかを選びなさい。それはあなたの中に、あなたによって、あなたを通して存在する、生ける神だろうか。それとも、その場限りの満足しか与えない、物質的な事柄にあなたを引きずり込む、知恵なき知識だろうか。
主のなさったようにあなたも選択しなさい。他を構わず、あなた自身が活ける神に仕える。そうすれば、全ての魂に与えられた生得権である、霊的合一の力を、地上経験に役立つ力として建設的に仕えるようになる。急がず、着実に進みなさい。体を整えなさい。我の力に支配されかねない方法で中枢を開く前に、十字架の救い主の活ける建設力に開かれるよう心を整える。我の求める欲望を一掃する。真実たすけになる力に目覚め、それを手にできるために。質問に移ろう。

問1  今現在、性のような特定の身体機能や、体の健康全般に、何か危険が見られるでしょうか。
答1  準備が出来ていないと、どんな性質の願望も強められて、身の破滅を招きかねない。(筆者註:クンダリニ昇華の危険性に触れている。本ブログ12章⑥を参照)行のやり過ぎによって有害な力を呼びかねない。クンダリニが体を貫き、腺中枢が解放されるときに、願いと目的がはっきりせず、方向が定まっていなければそうなる。

問2  今のこの人に勧められる準備は?
答2  他のどんな情報源から与えるよりも、向上に応じて自分で選ぶべきである。体を浄化し、心を浄化する。これによって、原則と理想の選択がはっきりしてくる。体の清めであれ、何であれ、浄化に必要なことは何でもする。
あなたも経験しているように、このような腺中枢の解放、生命力の上昇は、或る種の呼吸法(筆者註:ヨーガの呼吸法、精確にはプラーナヤーマを指している)によって起こせる。呼吸そのものが力であり、その力が体の特定部分に向けられるからだ。しかし、目的はどこにあるのか。何が起きるかを見届けることだけが、今のあなたの目的だ。猫が好奇心から何をしでかすかを考えよ。好奇心によってガリレオやワットが何を得たかも考えよ。同じ好奇心が正反対に使われた例である。

問3  現状を鑑みるに、今後もヨーガの呼吸法や瞑想法を実践すべきかどうか。
答3  心を尽くし、魂を尽くして、やりなさい。但し、準備が出来ていて、得たものをどうするかについて、知識と理解と知恵が得られた場合に限る。さもなければしない方がよい。
◇◇◇

後半の部分は、ヨーガの修行も、単にクンダリニ昇華を経験すること、或いはそれを通じて超能力を得るようなことが目的であってはならず、あくまでも涅槃や解脱を目指すという本来の正しい目的意識をもって行うべきであるとの戒めであろう。

尚、ここで出て来るヨーガの呼吸法であるが、筆者はパラマハンサ・ヨガナンダが戦前米国に伝えた、ババジのクリヤー・ヨーガによる技法である可能性が高いと思っている。なんとなれば、本書は1945年に出版されたものであり、エドガー・ケイシーが1933年から約10年間に亘って与えた『黙示録』に関する注釈リーディングに基づくものであること、一方ヨガナンダは1920年に渡米し、「1930年迄の10年間に、私のヨーガ講座に出席したアメリカ人は何万人にも達した。」と『あるヨギの自叙伝』に書いてある。 即ち、本書でのリーディングが行われたのはヨガナンダが米国でヨーガを普及させた時期より後であり、前後関係も辻褄が合っているからである。

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