アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第16章 神の詩 ⑨至上神への全託

2012-03-02 06:06:16 | 第16章 神の詩
ギーターは平易な言葉で書かれているので比較的読み易いのだが、正直なところ非常に難解な部分もある。ギーター第15章の書き出しは、次のような言葉で始まる(田中嫺玉氏訳、『神の詩』による)。

[至上者(バガヴァーン)語る]
根は上に 枝は下に                
葉の一つひとつがヴェーダの讃歌          
決して枯れない菩提樹(アスワッタ)があるという  
この樹を知る者は全ヴェーダを知る    (第15章1節) 

上下に拡がる枝は物質自然(プラクリティ)の三性質(グナ)に養われ
無数の小枝は感覚の対象 ―
この樹にはまた下方にのびる根があって
人間社会の名利を求める仕事に結び付く   (第15章2節)

この世界に住む者にはこの樹の姿が見えず
始まりも終わりも根ざす所もすべてわからない
だが人は大決心をして“無執着”の剣をふりあげ
この頑強な根を持つ樹を伐り倒すべきである  (第15章3節)

そして不退転の境地を求めよ
そこは全てのものが始まり そこから
全てのものが展開している元の元なる一者
即ち至上神に全託する境地である   (第15章4節)

少し長くなるので、一旦ここで区切った方が良いかも知れない。冒頭に出てくる、逆さまの菩提樹は、上村勝彦訳の『バガヴァッド・ギーター』に書いてある註釈によると、シャンカラ等により「輪廻の象徴」と説明されているようである。当初筆者はこの意味が良く判らなかったが、どうやらこの菩提樹は、我々が今実在だと思いこんでいる現象世界を象徴するものではないかと思う(無論そこに我々は輪廻転生してきている訳である)。というのも、この樹の特徴は、①物質自然(プラクリティ)に養われていること、②感覚の対象が小枝のように広がっていること、③人間社会の名利を目指す根は下方(即ち天上界或いは霊界とは逆の方向)に向かっていること、④そして、この樹を無執着の剣で切り倒すべきということは、モノ、感覚の対象(欲望)、名声などを良しとする現象世界(或いは現世利益)に於ける果報を全て捨てよ、そして至上神に全託する境地を目指せということであろう。因みに、葉っぱに象徴されるヴェーダの讃歌は、この現象世界において太陽のエネルギー(神の恵み)を受けて輝き、且つ菩提樹を養う所のものを象徴的に現したものだと思う。続けて、その功徳と至上神に就いての更なる説明がある。

虚妄の名声を求めず妄想を払い除けた人
執着心を克服し 欲を無くした人
苦楽の二元性を超越して真我(アートマン)に安住する人
このような人々は至上神に従うことを知って永遠の楽土に入る  (第15章5節)

わたしの住む至高妙楽の住処(すまい)は
太陽も月も日も電気も必要とせず
ただ自ら光り輝いている
ここに来た者たちは決して物質界に戻らない  (第15章6節)

物質世界(このよ)の生物に内在(やど)る不滅の霊魂は
わたし自身の極小部分である ― かれは
心を含む六つの感覚を用いて
苦労しながら肉体を操っているのだ    (第15章7節)

霊魂(かれ)は風が芳香を運ぶように
自らの意思感情を次の体に運ぶ
このようにしてかれは或る種の体をとって生き
またそれを捨てて他の体をまとう     ((第15章8節)

不滅の霊魂はこのようにして
耳 眼 舌 鼻 触覚と
また心意(こころ)をもった物質体(にくたい)をとって誕生し
それらに相応した対象を味わい経験する   (第15章9節)

霊魂(かれ)は物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の支配下で
自己の心性に相応した体で様々な経験をし
時期がくればその体を離れていく
迷える者にはこの事実が見えないが智慧の眼を持つ者には見える  (第15章10節)

修行する求道者(ヨギ)たちは自己の本性を覚って
この事実を明らかに理解している
だが未熟で自覚(さとり)に到らぬ者たちは
努力しても不滅の霊魂を感知できない  (第15章11節)

全世界を照らす太陽の光は
わたしから発しているのである
そして月の光も火の輝きも
全てわたしから発しているのだ  (第15章12節)

わたしは各個の天体(ほし)に入り
わたしのエネルギーで彼らは軌道を回る
わたしは月となって大地の野菜を育て
彼らに滋味豊かな水を与える   (第15章13節)

わたしは生物の体に入って
生命力の火となり
呼気(プラーナ)と吸気(アパーナ)に合して
四種の食物*を消化する  (第15章14節)  (*飲む、噛む、舐める、吸うもの)

わたしは全人類の心臓(むね)に住み
彼らに記憶と知識と忘却を与える
全ヴェーダはわたしを知るためにあり
わたしはヴェーダを悉く知りヴェーダーンタの編集者である  (第15章15節)

この宇宙に二種の存在がある
それは必滅のものと 不滅のもの―
物質界の万物は無常にして必滅であり
神霊界のものはすべて常住不滅である   (第15章16節)

これら二つのものを超越して
至高の大霊が実在する
それは至上我(パラマートマー) 不死不滅の主自身であり
宇宙三界に入って全てを支えている     (第15章17節)

わたしこそ滅不滅を超越した
その最も偉大な実在者である
わたしは全世界から またヴェーダから
至上主とよばれ崇め讃えられている  (第15章18節)

わたしが至上者であることを知る者は
迷わぬ者であり 全てを知る者である
アルジュナよ 彼は全身全霊をもって
わたしを礼拝しわたしに仕えるのだ  (第15章19節)

罪なき者よ いままで教えた真理のなかで
最も神秘な部分を今 わたしは話した
これを理解する者は誰でも賢明になり
やがて究極の目的を達するであろう   (第15章20節)

第15章は以上であるが、ギーターの終章(第18章)の最後に、同じ内容が繰り返されている。即ち、これがギーターの結論であろう。

アルジュナよ 
至上主(かみ)は全生物の胸に住み
かれらの行動を指揮する
御者が馬車を動かすように―   (第18章61節)

バラタ王の子孫よ 故に
かれに絶対服従せよ
そうすればかれの恵みにより
永遠の妙楽土に住めるようになる  (第18章62節)

わたしは君に
秘中の秘である知識を語った
このことを十分に熟考してから
君の望む通りに行動しなさい   (第18章63節)

君はわたしの最愛の友だから
無上甚深の真理(おしえ)を話して聞かせよう
これはあらゆる知識の中で最も神秘なこと
君にとって真実の利益になるからよく聞きなさい  (第18章64節)

常に私を想い わたしを信じ愛せよ
わたしを礼拝し わたしに従順であれ
そうすれば必ず私の住処(ところ)に来られる
わたしは君を愛しているから このことを約束する  (第18章65節)

あらゆる宗教の形式を斥けて
ただわたしを頼り 服従せよ
わたしがすべての悪業報から君を救う
怖れることは何もないのだ       (第18章66節)

禁欲や修行をしない者
信仰心なく 真理を学ぶ心のない者
また わたしに反感をもっている者には
この秘密の知識を話してはいけない   (第18章67節)

だが 信仰あつき人々に対して
この秘密の知識を語ることは
わたしへ無上の奉仕をしたことになり
その人は必ずわたしのもとへ来る   (第18章68節)

その人はこの世界において
わたしの最も愛する奉仕者であり
この世界のなかで
わたしが最も愛する人である   (第18章69節)

そして わたしは宣言する―
わたしたちのこの神聖な対話を学ぶ者は
その秀れた知性(ブッディ)により
必ずわたしを崇め 礼拝するようになる と  (第18章70節)

また 反感を抱くことなく
素直に聞いて信じる者も
諸々の悪業報から解脱して
上善人たちの住む吉祥星界に行く   (第18章71節)

以上を読むと、ヨーガの修行だけが解脱に到る道ではなさそうである。或る意味それはラーマクリシュナが身を以って既に証明したことでもあり、本ブログ第12章「万教帰一」と13章「世界宗教」の主題でもあった。また、中世から現代に到るまでキリスト教徒の聖人が何人も輩出しているが、筆者の推測ながら、彼らは物質界への欲望を断ち(換言すれば離欲或いは無執着を行じて)、この「至上神への全託」の境地を深めることで悟りを開いたのかもしれない。然し、無論筆者は、ヨガナンダの言う通り、ヨーガの技法こそが至上主(かみ)への高速直行便だと今も確信している。

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