アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第13章 世界宗教 ③インド哲学の中のヨーガ学派

2011-03-18 06:35:06 | 第13章 世界宗教
島岩氏の『シャンカラ』(以下、同書)には、ヴェーダ哲学を中心としたインドの宗教史が、それらの思想の説明や歴史との関わりと共に比較的判り易く解説されている。但し、同書を逐一説明するのでは多くの時間を費やしてしまうことになるので、今回のテーマを考察する上で筆者が重要であると感じたポイントのみ、同書からの引用を中心として説明して行く。
先ずは、同書に記述されているヒンズー教の中心思想、或いは基軸と言ってもよい”輪廻と解脱”に就いてである(このテーマは、本ブログ第6章①、”霊魂不滅と輪廻転生”でも説明したので参照願いたい)。正直なところ、筆者はこの思想がまさかヒンズー教によって最初に唱道された思想とは露ほども知らなかった。また、もう少し霊的な側面からの叙述を期待していたのであるが、元々はかなり素朴な発想に基づいていたようであることも(或いは、当時としては一般の人に受け入れやすい説明だったのであろう。だからと言って、その考え方を否定するつもりは毛頭ないが)筆者にとっては意外であった。以下は、同書P31からの引用である。

「輪廻思想が明確に説かれるようになるのはウパニシャッド(筆者註:ヴェーダの中の奥義書と呼ばれる部分で、宇宙の根本原理や個体の本質に関する哲学的思索がその秘儀の中心を成す)においてである。五火二道説がそれだが、このうち五火説に従えば、人は死後に次のような過程を経て再生すると説かれている。すなわち、死後に火葬されて、使者の霊は先ず月に至り、次に雨となり、次に地上に降って食物となり、次に精子となり、最後には母胎に入って再生するのである。そして、この輪廻という死と再生の原動力となっているのが、この世で行った善悪の行為の結果・余力である業(ごう)なのである。一方、解脱とは、このような死と再生のサイクル、すなわち輪廻から解放されることである。それはつまり、ウパニシャッドの場合で言えば、最高実在ブラフマンと個体の本質アートマン(筆者註:真我)との同一性を、瞑想を通して知ることによって、ブラフマンと合一することで、解脱が達成されるということになるのである。このウパニシャッドにおいて確立された輪廻からの解脱という思想は、その後、インドの思想・宗教を、正統と異端とを問わず、根底から規定する最大の基軸となっていった。すなわち、ヒンズー教も仏教もジャイナ教も、それぞれ解脱の意味する中味に差異は認められるものの、すべてこの輪廻からの解脱を究極の目標としているのである。」

同書での説明の順序とは相前後するが、島氏はヴェーダ聖典の伝統を次のように説明している。

「インド思想における正統と異端は、伝統的にはヴェーダ聖典の権威を認めているかどうかという基準で判定されてきた。ヴェーダ聖典の権威を認めるヒンズー教の六つの哲学学派、即ち、サーンキヤ、ヨーガ、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ、ミーマーンサー、ヴェーダーンタを正統とし、ヴェーダ聖典の権威を認めない仏教、ジャイナ教(仏教と同じ頃に生まれた苦行主義的な宗教)、唯物論などを異端とすると云う考え方がそうである。勿論この基準は、あくまでヒンズー教の側からのものであり、たとえば仏教の側から言わせれば逆に、ヒンズー教の六つの哲学学派はともに、外道として異端視されることになる。だが、ヴェーダ聖典に由来する宗教的伝統の伝承を基準とする、この伝統的な正統性の考え方には、それなりの意味があるものと思われる。」

として、その意味を考えるため、島氏はインドの宗教と思想の歴史的な流れを現代まで六期に分けて説明しているのだが、ここでは取敢えず中世の第三期までを簡単に纏めておく。

第一期(古代前期):バラモン教の時代で、BC1500~BC500年。この時代にはアーリア人が西北インドのパンジャーブ地方に侵入し、ヴェーダ聖典とその聖典を担ったバラモン(司祭者階級)を中心とするアーリア人の宗教、即ちバラモン教が栄えた。

第二期(古代後期):仏教を中心とする非バラモン主義の宗教が栄えた時代(BC500からAD600年)。

第三期(中世):ヒンズー教が確立された時代(AD600~AD1200)。第二期においてバラモン教が地方の非アーリア的な土着信仰を吸収していって変貌を遂げ(以下、この変貌の過程にあるものを”初期ヒンズー教と呼ぶ)、それがこの第三期においてヒンズー教として確立されて台頭し、仏教の勢力を凌駕するようになっていく。

そして、ヴェーダ聖典とは何かということに就いての同書における説明を要約すると、『リグ・ヴェーダ』(神々に対する賛歌)、『サーマ・ヴェーダ』(歌詠を集めたもの)、『ヤジュル・ヴェーダ』(祭祀を集めたもの)、『アタルヴァ・ヴェーダ』(吉祥増益と呪詛調伏の呪詞)の4種類の聖典が、夫々以下の通り4部構成になっているとしている。

ア) 本集(サンヒター)と呼ばれる、ヴェーダの中核を成す部分で、マントラ(讃歌や
  歌詠、祭詞、呪詞)が集められたもの。
イ) 祭儀書(ブラーフマナ)。祭式の執行規定や祭式の神学的説明が収められている。
ウ) 森林書(アーラニヤカ)。森林の中で教えられるような祭儀が含まれ、祭式の問題
  と共に哲学的問題も扱われる。
エ) 奥義書(ウパニシャッド)。これは、その当時の秘儀が集められたものだが、宇宙の、
  根本原理や個体の本質に関する哲学的思索がその中心を成す。BC500年頃成立。

そして島氏に拠れば、「以上のヴェーダ聖典は、人間の手になるものではない天啓の集成であるという意味で、天啓聖典とも呼ばれ、ヴェーダ聖典以降の聖仙の手になる聖典である聖伝書とは、伝統的に明確に区別されている。」ということである。この天啓聖典という言葉は、インド哲学関連の書籍で良く使われる言葉であるので、覚えておくと良いと思う。

次は、六つの哲学学派の成立時期と特徴であるが、島氏は次のように述べている。

「・・・グプタ朝(AD320~AD550年頃)前後に成立してくるのが、先にも触れた六つの哲学学派である。その中には、サーンキヤ学派やヨーガ学派のように、その学派の成立や起源をウパニシャッド時代或いはそれ以前に求めることのできるものもあるが、理論的に体系化されて、各学派の根本聖典が成立した時期をもって学派の成立と考えるとすれば、各学派の成立の時期は、以下の通りである。
1) サーンキヤ学派 『サーンキヤ・カーリカー』 四世紀頃成立
2) ヨーガ学派 『ヨーガ・スートラ』 二~四世紀頃成立
3) ニヤーヤ学派 『ニヤーヤ・スートラ』 250~350年頃成立
4) ヴァイシェーシカ学派 『ヴァイシェーシカ・スートラ』 100~200年頃成立
5) ミーマーンサー学派 『ミーマーンサー・スートラ』 100年頃成立
6) ヴェーダーンタ学派 『ブラフマ・スートラ』 400年~450年頃成立
次にヴェーダ聖典の伝統の伝承との関係を念頭に置きつつ、各学派の根本聖典に見られる思想をもとに、それぞれの思想の特徴を簡潔に紹介しておくことにしたい。」

ということで、次から各学派の説明に入るのであるが、先ずはサーンキヤとヨーガ学派の説明を引用する。

「サーンキヤ学派は、宇宙の根本原理として、精神的原理である純粋精神プルシャと物質的原理である根本物質プラクリティという二つの原理を立てている。すなわち、精神と物質の二元論の立場に立っているのである。そして輪廻の原因は、本来は無関係なこの二つの原理が結びつくことにあるとされる。従って、解脱は真にプルシャを知り、それによってプルシャとプラクリティとの結び付きを完全に断つことで得られることになる。そして、このプルシャを真に知る方法が、次に述べるヨーガ学派の説くヨーガ(瞑想)である。即ち、ヨーガの修行によって得られる、純粋精神プルシャについての神秘的直観智が、人を解脱への導くのである。このようなサーンキヤ的な思想の萌芽は、ウパニシャッドの中にもすでに認められるものである。」
「ヨーガ学派の形而上学説は、サーンキヤ学派が最高神の存在を認めないのに対して、ヨーガ学派のほうはその存在を認めていると云う点を除けば、サーンキヤ学派のものとほぼ同じである。従って、その思想的特質は、ヨーガという技法の中に認められることになる。その瞑想の技法とは、制戒(不殺生・真実・不盗・不淫・無所有の五戒を守る)、内制(内外の清浄・満足・苦行・学習・最高神への帰依)、坐法(筆者註:アーサナ)、調息(筆者註:プラーナヤーマ)、制感(感覚器官の制御)、凝念(意識の一点集中)、禅定、三昧(筆者註:サマーディ)からなる八階梯の瞑想修行のことで、このような瞑想によって解脱に達することができると説いたのである。このヨーガの起源は極めて古く、インダス文明の中にその起源がもとめられることもある(筆者註:特にこの部分は注目に値する)ほどで、八階梯のヨーガという形で整備されるようになるのはヨーガ学派においてであるが、それは以前の形のものは当然、ウパニシャッドの中にも認められる。」

島氏は次にニヤーヤとヴァイシェーシカ学派の説明をしているが、正直なところ筆者には余りピンと来ないし、ヨーガとの関連性も薄いように思えるためその部分は割愛し、ミーマーンサーとヴェーダーンタの説明に移る。

「・・・ヴェーダ聖典の伝統を最も自覚的に受け継いでいるのが、次に述べるミーマーンサー学派とヴェーダーンタ学派である。ミーマーンサー学派は、ヴェーダ聖典の伝統なかでも特に、ブラーフマナ(祭儀書)の祭式主義の伝統を引き継いでそれを発展させ、ブラーフマナに見られる祭式の執行規定や神学的説明に関するさらなる解釈を打ち立てていった。・・・なお、ミーマーンサー学派が求めたものは解脱ではなく、祭式執行の果報としての繁栄、特に天界での幸福(生天)である。」
「ヴェーダーンタ学派は、一方ウパニシャッドの主知主義の伝統を引き継いでそれを発展させた。その基本的立場は、サーンキヤ的な二元論とは対照的なブラフマン一元論(筆者註:本ブログの第6章②”汎神論と色即是空”で説明した内容に通じる考え方だと思う)で、考察の対象とされたのは主に、絶対者ブラフマンと現象世界と個体との関係である。即ち、ブラフマンからいかにして現象世界と個体が展開し、個体がいかにしてブラフマンと合一に至るかと云う問題である。そして、このブラフマンとの合一が解脱であり、その解脱は、ウパニシャッドを典拠としつつ、ブラフマンを瞑想することで、真にブラフマンを知ること(神秘的直観智)によって達成されるのである。」

次に、因中有果論と世界展開説の説明が必要だと思う。ヨーガの瞑想と関係の深いサーンキヤ学派の説を同書から引用する。尚、かっこ内の・・・以下は筆者の補足説明である。

「インド哲学における因果論は、基本的には世界原因とその結果である世界の関係を説明する理論である。それには三種類あり、そのそれぞれが三種の宇宙論と対応している。」
「サーンキヤ学派は、世界を根本物質(プラクリティ)から展開したものだと考えた。世界原因であるこの根本物質は、純質(知性・輝き・・・サットヴァ)と激質(経験・動力・・・ラジャス)と暗質(慣性・暗黒・・・タマス)の三つの要素(・・・グナ)からなる。この三要素が均衡状態にあるときには、世界がいまだ展開を始めていない、根本物質の未顕現な状態である。世界への展開は、この三要素の均衡が崩れたときに起きる。均衡が崩れる契機は、純粋精神プルシャが根本物質を見つめる視線である。プルシャに見つめられると、激質(動力)の働きが活性化されるのである。また、プルシャに見つめられて開始される世界展開は、プルシャの独存という救済論的目的を持ったものである。即ち、根本物質は、プルシャが世界の展開を観照し、そののち本来の独存の状態(根本物質と全く無関係な状態)に戻れるように、世界へと展開していくのである。つまり、根本物質を見つめる前の根本物質とは無関係な状態のプルシャが無自覚の悟りの状態にあるのだとすると、それに世界の展開を観照させるという形で迷いの世界を一度くぐりぬけさせたのち、プルシャを自覚的な悟りへと導こうとして、根本物質は世界へと展開するのである。」
「その展開の過程は次の通りである。まず根本物質から統覚機能が生ずる。次に統覚機能から自我意識が生ずる。前者は人間の心理・精神・認識活動の根源をなすもので、後者は”私”という意識の根源をなすものだが、まだ個体へと別れる以前のものである。個体と対象世界へと別れるのは、その次の段階である。自我意識の中で、純質(知性・輝き)の要素が強いときには、五感覚器官(資格・聴覚・臭覚・味覚・触覚)と五行動器官(発声器官・手・足・排泄器官・生殖器官)と両者の連結点となる思考器官という、個体を構成する要素が展開してくる。他方、暗質(慣性・暗黒)が強いときには、先ず五微細元素(音声・感触・色形・味・香)という自然界の種子が展開し、それからさらに自然界を構成する五大元素(虚空・風・火・水・地)が展開する。なお激質は、このような展開を引き起こす動力である。このように、世界の展開を引き起こす動力も世界を形成する質料(素材)もともに、根本物質の中に含まれているという意味で、根本物質は世界の動力因であると同時に質料因でもあるのである。これがサーンキヤ学派の展開説である。そしてこの展開説では、それぞれ後に展開してきた結果は、まだ顕現しない状態で原因の中に内在していたと考えられており、世界とは世界と云う形に変容した根本物質に他ならないのである。」

最後に、ヨーガの瞑想との関わりである

「このサーンキヤ学派の展開説は、現代の我々には奇妙に思えるものである。だが、この説をヨーガ学派も共有していたということを思い起こしていただきたい。つまり、この展開説はヨーガの瞑想を前提として理解すべきなのである。即ち、その意味するところは次のようなことである。私は、本来は物質世界とは無縁の純粋精神プルシャである。だが現実には、物質的世界の中に束縛されて存在している。それは右記のような世界の展開の中に巻き込まれてしまったからだ。だとすれば、純粋精神プルシャが巻き込まれた世界の展開の過程を逆に辿れば、私は物質的世界の束縛から解放されるはずである。おそらくこのように考えたのであろう。そのため、ヨーガの瞑想の中で世界の展開の過程を辿り、その後その過程を逆にさかのぼることによって、プルシャの独存(解脱)へと至ろうとしたのである。このように、現代の我々には奇妙に思えるサーンキヤ学派の世界展開の過程は、ヨーガの瞑想を前提としてつくり上げられたものなのである。」

インド哲学におけるヨーガ学派の位置づけは大体以上の通りである。特に注目すべきは、本稿の途中で注釈を入れた通り、ヨーガ学派の学説は4世紀頃に成立したと云われているものの、その起源はインダス文明まで遡ることが出来るという点であり、筆者はここに、ヨーガが古代の叡智を引き継いでいる可能性を感じている。

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