アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第16章 神の詩 ⑩無執着

2012-03-09 05:47:49 | 第16章 神の詩
以下は本章③カルマ・ヨーガでの引用部分とかなり重複するが、先ずは無執着に関連する部分を『神の詩』から引用する。

行動の規則は ヴェーダより発し
ヴェーダの源は 至高梵(ブラフマン)である
ゆえに永遠不変の無限者(かみ)は
常に供犠の行為にかかわっている   (第3章15節)

このようにヴェーダで定められた
供犠を行わぬ者は アルジュナよ
必ずや罪深い生活を送り
感覚的快楽に浸って空しく一生を終える  (第3章16節)

だが自己の本性(アートマン)を知って
それに満足し 歓喜し
それに安んじ 楽しむ者には
もはや為すべき義務(しごと)はない  (第3章17節)

そのような人物にとっては
行為して得る目的もなく
行為せぬことによって失うものもない
他の何ものにも頼る必要がない   (第3章18節)

故に仕事の結果に執着することなく
ただ為すべき義務としてそれを行え
執着心なく働くことによって
人は至上者(かみ)のもとへ行けるのである (第3章19節)

バラタ王の子孫よ 無知な人々は
果報を求めて仕事をするが
賢者は何事にも執着せずに活動する
それは世間の人々を正道に導くためである  (第3章25節)

果報に執着して行動する愚者たちの心を
賢明な人はかき乱しではいけない
彼らが奉仕の精神で仕事をするよう
だんだんと導き 励ましていくことだ  (第3章26節)

物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)による活動を
我執の雲におおわれた魂は
自分自身が活動しているものと錯覚し
「私が為している」と思いこむ   (第3章27節)

だが剛勇の士よ 真理を知った人は
感覚が対象を求め また満足するのを
物質自然(プラクリティ)の三性質(トリグナ)の作用だと徹見して
決して自分の仕事に執着しない   (第3章28節)

ゆえにアルジュナよ 行動(しごと)のすべてを
すっかりわたしに任せなさい
利得を求めず 所有感を持たず
怯惰にならず 勇ましく戦え   (第3章30節)

わたしを信じてわたしの指示するままに
常に疑心なく 誠実に行動する者は
やがてカルマの鎖を断ち切って
自由になることができるのだ  (第3章31節)

次は、本章④智識のヨーガと重複する部分であり、理想的なヨギの姿を述べている。

すべて欲望を持たずに行動する者は
完全智を得た人と心得よ
賢者たちは そのような人々を
大智の火で業(カルマ)を焼き尽くした人と呼ぶ (第4章19節)

仕事の結果に全く執着しないひとは
常に楽しく 自由自在である
あらゆる種類の活動をして
しかも無活動 無業報である (第4章20節)

このような英智の人は精神を完全に統御して
“我所有”(わがもの)の観念が全く無い
肉体を維持するに足るだけ働き
したがって悪業報を全く受けない (第4章21節)

無理なく入ってくるもので満足し
我・他 彼・此(あれこれ)を比較して悩み羨むことなく
成功にも失敗にも心を動かさぬ者は
どんな仕事をしても束縛されない  (第4章22節)

物質界(このよ)の利害得失を超越して
無執着の活動をする
自由な人のする仕事は
ことごとく至上者への供犠(ささげもの)となる  (第4章23節)

聖なる意識で活動すれば
必ず聖なる領域(くに)に達する
聖なる意識で捧げた供物も 供養者(そのひと)も
ことごとく永遠の大実在(ブラフマン)である  (第4章24節)

更に第5章(田中嫺玉氏の副題では「真の離欲」)においても、次のような記述がある。

神聖な意識の人は
見ても 聞いても 触れても
嗅ぐ 食う 動く 眠る 呼吸等をしても
内心では“私は何も為していない”と観る  (第5章8節)

話すときも 捨てたり取ったりする時も
また目を開け閉じするときも
五官がその対象と作用しているのみと感じ
彼は常に超然としているのだ   (第5章9節)

執着心を捨てて自らの義務を遂行し
その結果を至上者(ブラフマン)に献ずる人は
蓮の葉が水にぬれないように
あらゆる罪をはじいて 寄せ付けない  (第5章10節)

ヨーガを行ずる人は全ての執着を捨て
体と心と知性を用いて
様々に活動し 仕事をするが
それは ただ 自分を浄化するためである  (第5章11節)

ヨーガを行ずる人は全行為の結果を捨てて
純粋正真の平安境に達する
ヨーガを行じない人は働きの報果(むくい)を求めて
仕事に縛られ 絶えず不安である  (第5章12節)

最後は、本章⑧出家と離欲と重なる部分である。

謙遜 虚栄(みえ)を捨てること
非暴力 寛容 正直
正師を求めて師事すること
清潔 堅忍不抜の精神 自制   (第13章8節)

欲望の対象から心を離すこと
我執を無くすこと
生老病死を苦とみなし
その本質を究めること  (第13章9節)

あらゆる事物に執着しないこと
妻子や家庭に対する愛情を捨てること
愉快なこと 不愉快なことにあたって
冷静であること ―    (第13章10節)

至上者に対する不動の信仰
世俗を離れ 静かな処に独居する希望
一般大衆 俗世間の人々と
無益な交際をしないこと  (第13章11節)

自己の本性を知(さと)ることの重要さを認識すること
絶対真理への探究心 ―
以上のことは智慧の本質であり
これに反することは無知無明である  (第13章12節)

以上のように見て行くと、ラーマクリシュナの言う通り、「無執着」の思想がギーターを貫いている思想であることが読み取れると思う。

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