いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

第1部 悪夢

2009-11-08 20:55:10 | 夢か現か

第1部は、すいかが意識のないときに見た夢のことを思い出しながら記述します。

夢でありながら、それなりに日時が経過し目覚めますので、一応時系列順で書いていきます。

書かれた内容は根拠の有るもの無いもの、ごちゃ混ぜですので、とりあえず、すべてフィクションであると了解して下さい(夢ですから)。

では


第1話:H病院裏の巨大岩石について

夢の話である。私の実家近辺が舞台である。まず、R駅。改札を出ると断崖絶壁になっている。駅の上はデパートが入っている。外に出るためにはタクシーのような車に乗らなければならない。駅を外から眺めると断崖の下に川が流れており、川に沿って道路が走っている。道路を南東方向に行くと右手奥にH病院があり、左手に名跡「巨大岩石」の看板がある。「巨大岩石」は名跡といっても地元の人にしか知られておらず、観光地ではない。私はここを観光地にしようと考えた。看板の側に一軒の家がある。そこの奥さんに川魚の料理屋をお願いする。旦那は川で魚を釣る。こんな田舎に来る人などいないかもしれないが、料理がおいしければブームが起こるかもしれない。そういえば近くの交差点にガソリンスタンドがあった。この先、めったにガソリンスタンドがなかったはずなので、観光客は皆ここで給油して帰る。このようなプロジェクトを知事に提案しよう。地元の活性化と財政再建に少しでも寄与できればよい。・・・夢の話である。



第2話:細菌性肺炎:不活性ガスボンベに要注意

私がこの度肺炎で入院したのはガスボンベが原因であった。不活性ガスのボンベの中には嫌気性の肺炎球菌が蔓延していることは業界の常識である(夢の話ですからでたらめです)。勤務先のI先生も知っていたし、入院したK病院のN先生もその専門であり、酸素を用いて治療するとのこと。妻は初めは半信半疑だったが、I先生にそのことを教えてもらい、またガスボンベ会社の人からも同様のことを聞かされ、間違いないと確信したようである。私も確かそのような話を以前聞いたことがあったのに、うっかり忘れていた。(夢の話)



第3話:生死をさまよう

ガスボンベが原因で昨日はもうダメかと思っていたが、先祖の墓がある寺に最近若い住職がやって来たそうで、彼が一生懸命何やら謡ってくれたおかげで、呪いが解け、助かる希望が出てきた。近所にあるS葬儀社にて葬儀の準備が始まっていたが、必ずしも死の呪縛を受けていたわけではなかったのである。実際、よく見ると縦方向がスカスカであり、これなら簡単に死のポテンシャルから抜け出せると思った。なんだ生き延びるではないか、ホッとした反面、せっかく葬儀の準備をしているのに簡単に生き返って良いの?とちょっと思った。ともあれ、住職に感謝。(夢の話)



第4話:デジャブ

簡単に生き返って良いの?などと思わず、あのとき簡単に生き返ればよかったのに、次の日は一転して調子が悪く苦しくて助かりそうにない。今回は心臓が弱っている。前回は心臓が丈夫だったので、絶対に死なないと思っていた。ところで前回って何のこと?

今回のような状態は実は以前経験したことがある。呼吸器を咥えたこともある。自分で寝返りが打てない苦しさも知っている。いたずらにナースコールできないように両手に手袋をかぶせられたことも経験済みである。また、呼吸が苦しく痰を取ってもらうことも知っていた。これらはすべて前回経験したことであるが、前回って何のこと?その後どうなったの?

わからない。きっと夢を見ていたのだと思う。もしかしたら前回など無かったのかも知れない。

ただ、少なくとも今回は夢ではなかった。夢なら目覚めよと思ったが目覚めることはできなかった。なぜなら、肺炎でK病院に入院した事実は鮮明に覚えていたから。ただ、この既視感はいかにも不思議である。(夢の話)

(デジャブについては後日あれこれ考え、ひとつ気付いたことがある。それはすぐに忘れた、或いは記憶が飛んだという現象ではないかということだ。つまり、こうだ。例えば見知らぬ道を歩いていたとき、一瞬、記憶が飛んだとする。次の瞬間やはり見知らぬ道を歩いているが、あれっ、前に来たことがあるぞ、右手に風車があったはずだ、と思い右を見ると確かに風車がある。これはデジャブだと思う。しかし実はさっきから見ている風景にすぎず、何らかの理由でその記憶を失っただけではないか。そのようなことを考えている。)



第5話:N病院にて

妻が密かにN病院の「終末ケアサービス」に登録していたらしい。これは予め会費を払っておけば、いざ「終末」というときQOLを高める質の高いケアサービスを施してくれるというシステムである。そんなわけで、今N病院にいる。ここはKばあが昔看護師の駆け出しとして活躍した病院でもある。Kばあは今でも看護師たちから大先輩という尊敬の念を集め、張り切っている。娘がボランティア的に看護師見習いをしている。少しでも父のそばにいたいということかと、感慨に浸る。

N病院のエレベータで、処置室に行く前の待合い病棟のようなところに運ばれる。そこで、一見普通だがちょっとおかしい男の看護師に出会う。この人は私の娘がボランティア的に看護師見習いをしていることに感激してくれている。また、後に知ったことであるが、私の勤務する大学のO研究室の出身だと判る。それは良いのであるが、何かの拍子に行動がいきなりフリーズすることがちょっとおかしい点である。また妄想癖がある。私が自分の研究の話をすると、それを他の看護師たちにまるで自分が研究しているかのように話す。これらのフリーズ癖、妄想癖のため、年を食っている割にまだ正式な看護師の資格が無く、他の女性看護師からは留年看護師と呼ばれ一段低く見られている。

さて、夕方いよいよ処置室のようなところに運ばれる。そこで眼鏡をかけたK大出身の若い切れ者医師に、目の玉をくりぬかれるような非常に怖い処置を受ける。どのようなことをされたか忘れたが、とにかく、もう死ぬ、と思うくらい恐ろしかった。私は何とかここを乗り切ることができたが、命は風前の灯火だったのである。

今は心電図、呼吸、酸素濃度などすべて機械がモニターするが、ここは看護師が付きっきりで、心音などを自分の耳で聞いている。つまり、看護師は私と一緒にベッドに寝ている。私は自分で身動きできないので、1時間ぐらいすると足がしびれたり、しんどくなる。と、その頃を見計らうかのごとく、床ずれ防止のため寝返りを打たせてくれる。または、痰が溜まり本当に苦しくなるとスッと痰を吸引してくれる。しかし、ちょっと足がしびれたからと言って、またはちょっと痰が溜まったかっらと言って、何もしてくれず眠り続けるのである。電動ベッドの足の方を上げて、屈曲する姿勢にし、私の手を胸の上で組むだけで呼吸が苦しくなり、そのまま死なせることも可能である。即ち、私の容態をぎりぎりまで見切った究極の看護術がそこにある。(夢の話)



第6話:ついに臨終

医師、看護師の間で臨終のカウントダウンが始まり、ゼロを叫んだところで、一部の看護師などから「よっしゃ」という興奮した叫びを聞く。実際には臨終といっても直ちに冷たくなるわけでなく、連続的に意識があり、耳が聞こえる。尾籠な話で申し訳ないが、このときどうしても大便意をこらえきれず漏らしてしまう。そのため異臭が立ちこめる。これは親族の皆様にはたいへん申し訳なく思った。特に、S先生はこのにおいに弱いらしく、しょっちゅう咳払いをし、たいへん気の毒であった。

看護師たちが話をするのが聞こえる。それによると死んでも耳が聞こえることは良くあるらしい。なので決して死者の悪口を言ってはいけないそうである。ある時、あまりにひどいことを死者のそばで話したので、死者が、けしからんと叫んで抗議したらしい、などとまことしやかに語り合っている。また、死ぬ間際はアンビリーバブルな世界なので何が起こっても不思議はないとのこと。実際、自分もこうして看護師たちの話が聞こえているわけである。(夢の話)



第7話:通夜の出来事

Hばあが親戚中に訃報を流す。誰もが皆、私の父のことと聞き違えるが、そうではないと知って驚きの様子でやってくる。Hじいも車いすでやってくる。自分もまさか両親より先に死ぬとは思っていなかった。

通夜の用意が始まる。場所はN病院もしくはその向かいの建物のようだ。私はいまだに意識があり耳も聞こえる。ということは、実はまだ死んでないのではないだろうか?さては生命維持装置がついた脳死状態か。
いつもは看護師が適当な時間間隔で寝返りを打たせてくれていた。そうでないと足がしびれとてもつらい。ところが、この夜の当番は例の留年看護師である。ここで彼はなぜかフリーズしてしまう。寝返りを打たせてくれずにじっとその場に立ちすくんでいるのである。これには参った。このため足がしびれ、胸が押され、たいへん苦しい状態を辛抱するしかない。いとこのKがこの状態に気づいたのだが、何かしてくれるわけでもなく、ただ留年看護師に向かい「この状態で何もしないのは困ったね。」と冷たく言うだけでる。ああ、他に誰か気づいてくれないか、それだけを考え時間を過ごしたが、皆、別室で通夜振舞に興じる声だけ聞こえ、こちらの様子を全く顧みてくれない。宴も下火になった頃、とうとうKばあがこの状態に気づき、留年看護師を叱咤しながら寝返りを打たせてくれ、私は助かった。やれやれ、この日は死なずに済んだ。そもそも死ぬ前に通夜をやるのは順番が間違っているわな。前に臨終のカウントダウンを聞いたものの、私は本当に死んでいるのか生きているのかわからなかった。が、とにかくこのとき生き延びる可能性はあったわけである。(夢の話)



第8話:生き延びるか

翌日夜明け前に妻がやってくる。朝一番の電車で来たらしい。私はせっかく助かったのだからさっさと病院を引き上げたいと思っていた。Kばあが、ゆうべの留年看護師の不始末に関して、N病院の最高責任者である文部科学大臣(もしくは厚生労働大臣)でK党のS医師に抗議する。なぜ、不適正な看護師を雇うのかというわけであるが、病院にはそれなりの事情もあり、簡単ではないらしい。あまりにも些細なことを言うと、かえって機嫌を損ねる結果になる。私はこの時、とにかく病院を引き上げるべきであったが、どうも心臓に不安を感じていたのでぐずぐずするうちに日が暮れる。ここでまた生き延びる可能性を潰してしまったのであった。

もし、生き返って大学に戻ったとするとどういう貢献ができそうか。おそらく元の鞘に収まることはできないだろう。おりしも蝉の季節が訪れる。大学はクヌギの木がたくさんあり、多くのクマゼミがいる。ある仮説の下に、この生態について24時間観察することによって、その仮説を実証しレポートにまとめれば有名な雑誌ネーチャーに論文投稿できる。その仮説とは。従来説では蝉は○年間地中で暮らし、最後に地上に出てくるという決まり(秩序)がある。が、必ずしも○年間地中にいなければならないことはない。必要に応じて前倒しで地中に出てくるものもいれば遅れて出てくるものもある。その原理を支配しているのは無秩序性であり、統計的な無作為抽出原理である。これは個を無視している。生物はそもそも個がなく種であり類であった。現代人はあまりに個が強く生物の本能に基づく行動が減っている。無秩序性の再発見は現代社会に対する警鐘としても大変意義のあるものであろう。このようなストーリーを24時間カメラで観察することによって実証するわけである。さらに明け方に地中から蝉が出てきて脱皮する瞬間の写真が撮れれば言うことなしである。このように実験できなくても論文が書けるというような、そのようなことを考えていた。

もう一つ考えていたことがある。脳科学者が脳卒中で倒れて左脳をやられ、芸術家に転身したテレビを見たことがある。私もたとえ生き延びたとしても脳をやられているかも知れない。そのときはすっぱり研究をあきらめて、ご機嫌なアメリカ人になろう。アメリカ人になって大学を案内するのである。おいらはトム。麦わら帽子をかぶり、トロッコ電車に乗って唄を歌いながら大学案内をする。「まず、ここをみてくれ。ここには最先端研究のパネルがあって、おいらがみんなによく分かるようにかみ砕いて説明するさ。次にこのトロッコ電車に乗ろう。右手に池があるだろう。この池には50年に及ぶ研究の歴史があるんだぜ。」などなど。夕暮れには大きな鉄板でキャベツ焼きを作り、みんなにふるまう。もちろんビールも用意する。「さ、みんな、今日は楽しかったかい。おいらは飲まないから駅まで送るぜ。」このような構想を学長に示し、地域に密着した大学の知名度アップが実現できるなら、トロッコ電車を作ることなど安いもんだというわけで、研究能力を失った自分の存在価値をここに見出そうとした。(夢の話)



第9話:心臓手術

さて話を戻し、S医師の指示で一番腕の良い若手医師か女医かによる心臓の手術をしてもらうことにする。といっても柿の種のような心臓を最新のメスと接着剤を用いて2つに分離するというような意味不明の手術である。手術の準備をしたがいつまでも執刀しない。よそ見をしたり、鼻唄を歌ったり、いやと言うほど時間をかけ、そのときが来るのを待っているように見える。やがて夜も更けた頃おもむろにメスを入れる。見事な手さばき。娘が勉強のため見学していたが、なにやら手にしていた光る装置のスイッチをオンオフし手術のじゃまになっていた。手術の後でそのことを告げられる。さて、看護師が2つに分離した心臓を取り出しその鼓動をひたすらモニターするうちに夜明けを迎え、朝になる。最終的に心臓が止まったかも知れないし、まだ動いていたかも知れない。このように心臓の音などを自分の耳でひたすらモニターすることが医術または看護術の基本であるそうな。そういえばこれまで、看護師が抱きついて患者の音を聞きながら眠っていたことがしばしばあったと思う。体位を変える、容態の変化に気づくなど要所要所で目を覚まし適切な処置を施してくれいた。

この病院は毎朝決まった時間に門を開ける音がする。ギーッという音であるが、守衛さんが開けるのであろう。郵便受けをあらため、朝刊を取り静かな朝を迎える。私はもちろんその音しか聞こえない。ついでに、夕方にはオッテ、オッテという音が聞こえる。これはホテルと言っているそうだ。病院の見舞客用の宿泊施設が近くにあり、一泊2000円で泊まれる。その呼び込み音がオッテ、オッテと聞こえるのである。私は初め何の音やらわからなかったが、Kばあがホテル、ホテルと確認するように復唱するのを聞いて、納得したのである。(夢の話)



第10話:狂気の医療実験

翌日、S医師による診察がある。手を当てるだけで病気が治るという評判のゴッドハンドの持ち主である。この日も手を当てながら、なにやら取引をしたがっているように見える。衆議院選を控え、命を救う代わりに党に献金をお願いしたいというような気配を感じた。百万円ぐらいは出しても良いと思ったが、妻はその気がない。結局、家計を圧迫するくらいならこのまま死んだほうがましかと思い、何も申し出なかったので救命措置、ゴッドハンドは効力を発揮されなかった。看護師が小さく「バカね」とつぶやいた気がした。

この夜狂気の医療実験が行われる。そのきっかけを作ったのは私の眼である。時々看護師が瞳孔反射を確認するため私の目を開いて懐中電灯を当てる。そのせいかどうかわからないが、この夜のある時から自分で目を開けることができるようになった。今どういう状況か、時々目を開けて周りを確認する。そのうち、ある看護師に気づかれ、うわさになったようで、ある時看護師が見ている前でまともに目を開けたので、その看護師は悲鳴を上げて気味悪がった。この患者はけしからんということで、特別注目を集め、やがて医療実験として身体をもてあそばれるようになる。首謀者は当直の若手医師と例の留年看護師である。かれらが何かと理屈を付けて新薬の注射をし、致死量を超える注射をする。どうせもう既に死んでいるというのが彼らの行為を正当化する理屈である。私は注射の度に痛い思いをする。いくら死んでいても痛い思いをするのは良くないと思う。Kばあがそういうことをさせないよう頑張っていたが、医師には逆らえず黙認の態度。彼らはどんどんエスカレートし、ついに娘まで加担させる。父が痛い思いをしているのになんと無神経な子かと嘆く。そこへ訃報を聞いて次々と教え子たちが弔問に訪れる。まず、S電工のM君、会社から直接来たといって香典を持って現れた。こちらは話ができず、また医療のじゃまになりそうなのでしばらくして帰る。香典はどうしましょうと看護師に尋ね、その辺に置いといて下さいと看護師が答える。くすねるつもりか。次にT君が来たと思う。また、S君が来た。S君は、漫画かゲームの知識と思うが、死者をよみがえらせるツボを知っていて、私の頭のてっぺんを親指で強く押していた。そのおかげか、私はよみがえることになる。その他誰かが来たがもう忘れた。学生を代表してM君が来てくれたことは覚えている。いつものように軽く笑みを浮かべてなにやら話していた。夜明けとともに医師の狂気は消失し、静かな朝を迎える。私は、どんな処置をされても心臓が丈夫な限りなかなかくたばらないぞ、と思っている。まだ死んでないということなのかどうか不明。(夢の話)



第11話:葬式当日

翌朝の新聞が話題になる。新型インフルエンザ流行の記事の他に、iPS細胞の研究に絡み、政府が倫理よりも研究開発を優先させることを決定したとのことである。即ち、医師が研究開発の名の下、何をやっても許されるという特権を得たわけである。この決定により、猛烈な勢いで医療の研究開発が進んだ。特に、N病院はその中心的な役割を果たす。若手医師が、両手にメスを持ち、研究開発特権により手術しますと宣言するだけで、好きに切り刻むことができるようになる。前夜の狂気が政府によって正当化されたわけである。一方、新型インフルエンザの流行である。弔問に訪れたS先生が変な咳をしていたが大丈夫だろうか。葬儀に出席のあとすぐにヨーロッパに行く予定とのことである。読経の声、木魚をたたく音が聞こえる。

さて、葬儀の段取りである。S医師がS先生と旧知の仲らしく話が弾んでいる。これは一席設けなければならないと張り切ったのがKおじさんである。医療関係者または大学関係者を集めた会合が企画された。私は頭、身体を高貴な香りのするソープできれいに洗ってもらい、死に装束を身につけさせられる。また、いつ目を開けるか判らないのでいつも誰かに見張られている。私はフォーマルな場を乱さないよう、誰もいないときにそっと目を開けることにする。葬儀場はどこかのホテルのようである。この日ホテルのロビーで中国かインドの要人(女性)が暗殺され騒がしい。日本政府は事前に情報を掴みながら事件を未然に防ぐことができなかったようだ。トカレフ銃はほとんど音がしないので周りの人は全く事件に気づかなかったなどと言っている。さて、葬儀場ではI先生が「このようなことは初めてのケースです。」などと説明しているのが聞こえる。K病院のN医師の姿もある。2人の女性を相手に肺炎治療のセールスをやっていた。「ね、最後の挨拶だけど母さんちょっと聞いてくれる?」といってT君がKばあ相手に挨拶のリハーサルを始めた。「兄さんは超伝導の研究に取り組み、・・・」詳しいことは私に直接聞いてくれたらよいのにと思いながら聞いていたが、まずまずの挨拶で流石と感心した。読経の声、木魚をたたく音が聞こえる。私は会場とは別の部屋に安置されている。やがて焼香が終わったらしく、読経が止む。遺体と対面したい方はこちらへどうぞという司会者の声がする。数人がこちらにやってきた。私は目を開けないようじっとしていた。その後例の会合が開かれたが、D先生も来られていて、かなり高度な、政治的な視野に立った学者、医者間の意見交換がなされたようで、有意義な一日になったようだ。但し、その内容に関して私は知らない。私はここの焼き場で荼毘に付されるのを待っていたが、会合が長引き今日は無理とのことで、明日に延期される。(夢の話)



第12話:厚労相の査察官

翌日、いよいよ荼毘であるが待ったがかかる。遺体の治療跡に不審な点があるということで、厚労省から査察官がやってきた。名前を聞いたはずだが今は思い出せない。Kばあが密かに告発してくれたのだろうと思う。病院に戻され、注射跡の色がどうのこうの細かな質疑応答をしている。病院側は例の留年看護師の挙動に神経を尖らせている。彼が余計なことを言わない限り何とかこの場をしのげると思っている。結局のところどうなったかは知らないが、ともかくこの日も荼毘を免れた。(夢の話)



第13話:ついに目覚める

さて、荼毘であるがこのまま焼かれてはたまらない。こちらは死んでいるといっても意識はあるし耳も聞こえる。場合によっては目も開けられる。これはいったいどういう状態なのだろう。とりあえず脳死状態であると納得している。この場合生命維持装置が働いている限り冷たくならないので荼毘に付すならまずこれをオフにしてもらわなければならない。そして冷たくなった遺体を燃やしてもらう。それともこの際思い切って目を開けてみようか。この場合ゾンビのようにかなり気味悪がられると思うが。そういえば時々、「すいか、早く目をあけていいんやで」という娘の声が聞こえる。TとJがN病院から最寄りの駅にある喫茶店でなにやら話をしている。「なんか、こちらの話に反応している見たいやで・・・」そうこうしているうちにまた痰が口の中一杯になってきた。取って欲しいと思い、情けない顔の表情を作る。Jたちが気づき、看護師に話す。例の留年看護師がそこにいる。彼はすぐにこちらの意図をくみ取り、「痰を取って欲しいのですわ」と言いながら口の中を吸い取ってくれる。ああ、楽になった、と思うと急に緊張が解けおもむろに目を開く。「おっ、目が開いた!」妻が飛んでくる。「すいか、よかった、わかるか、すいか」「ここがどこか判る?K大病院。ここで命助けてもらったんやで。」へぇK大病院?どういうこと?(夢から目覚める話)

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