いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

第2部 夢か現か

2009-11-14 22:27:33 | 夢か現か

第2部は、すいかが目覚めたもののまだ夢うつつの状態のことを思い出しながら記述します。

10日間ぐらいですが、先にアップしたブログと読み比べると面白いかも知れません。

書かれた内容は根拠の有るもの無いもの、ごちゃ混ぜですので、とりあえず、すべてフィクションであると了解して下さい。

では

第1話:K大病院 6月14日(日)

 目覚めたと言ってもとりあえず目が開いただけである。身動きひとつできず、自分の身体感覚さえ無い。ピンポン玉のような丸い玉が2つあり、それらがぐるぐる円運動をしているのが自分自身であるというような認識だった。
目覚めて意外に思ったのはそこがK大病院であったことである。入院したのがK病院でその後意識がなくなったのであるから転院していることは知らないわけで、意外に思ったのは当然であろう。但し、悪夢の中ではN病院にいることになっていた。K大病院は自宅と同じ市内にあり、私自身はこれまでお世話になったことがなかったが、お見舞いなどで、何度か来たことがある大きな病院である。それで早速、今いるのがK大病院のどの辺りなのか、建物が頭を巡る。
 が、まだ夢うつつであり、マンガの世界であった。そのとき感じたのは、その病室は屋上に積み重ねられた、雨風が吹き込む簡易作りであった。その方が、寄せ集めて大部屋を作るのに便利なのである。実際、ここも大部屋であり、患者、看護師、医師が雑魚寝をして暮らしている。私は、瞼と眼の玉しか動かせないので、天井しか見えない。が、不思議なことにここの天井にはドアがある。なんと間に合わせの建屋であることよ、と思ったのである。
 さて、看護師たちは実にせっせと仕事をしている。雨が降れば窓を閉め、天気になれば洗濯物を干す。入れ替わり立ち替わり私の様子を見てくれる。忙しいことこの上なしであった。その中に娘の姿もあった。やはり看護師見習いとして働いているようだ。
 私はここで命を助けてもらった。もちろん無償である(治療代等当然有償、悪夢第10話の「取引」がないの意味)。そうか、たとえ無償であっても死んだ人を生き返らせたとなると高度な医療技術がニュースになる。近々記者会見があるかも知れない。「アンビリーバブル」に取材されるかも知れない。K大病院が一流病院であることを世に示す絶好のチャンスかも知れない。
 スキンヘッドに黒縁の眼鏡を掛けたT先生がいた。その人が主治医だろうか。何か話しかけてくれた。私はどうやら簡易病室を組み合わせた大広間にいるようだ。カウンターの向こうに医師、看護師の姿が見える。病室はいつも明るくて一週間くらい朝、昼、夜の区別がつかなかった。時計も見当たらなかった。時計の代わりに古めかしい湿度計(?)のようなものが壁に掛かっていた。
 夕方、若手の医師たちに取り囲まれた。点滴を入れる端子を取り付けるとのこと。肩か腕か覚えていないが、動脈に点滴の管を通すという処置であり、最先端医療技術である。管が動脈の中を通り、全身を巡る。滅茶苦茶痛かったが我慢した。医師たちの中に一人ベテランがいて、ごく自然に管を出し入れするコツを他の医師に伝授していた。血液の流れに逆らわないように処置すればごく簡単に、痛くなく管を通すことができると言う。どの辺りに動脈があり、どの方向に血液が流れているか、まるで見えている如くイメージできることが重要だと力説していた。この人は透析が専門の腎臓内科の先生だった気がする。美人看護師がいた。医師たちから「ちゃん」付けで呼ばれていたので強く印象に残っている。私がまだ朦朧としていると思ってか、皆リラックスしたムードであった。この日、とりあえず顔合わせのため、リハビリの先生がやってきたと思う。他の医師、看護師が着ているような水色の白衣ではなく、ちょっと緑がかった独特の白衣を着ている。太極拳か少林寺拳法をやってそうな細身の先生だ。(夢か現か)

第2話:息苦しい夜 6月15日(月)

確か目覚めた翌日だったと思う。朝から回診があり、数人の若手医師と学生がぞろぞろ患者を見て回る。私は大便がしたかった。近くにトイレもあった。ちょっと車いすにでも乗せてトイレに連れて行ってくれたらどれほどすっきりするであろう。そんな思いをよそに、医師は病状の説明や、医療器具の扱い方などを学生らとディスカッションしている。実習授業の一コマのようであった。ついにトイレは叶わなかった。感染のおそれがあるのでトイレは行けないとのことである。その日はとりあえず我慢したが、夜中に大量の大便が出た気がする。結局自分は寝たきりで、寝返りすら打つことができないことに気づく。トイレなどまだまだである。

家族、特に妻が一日3回、精一杯面会に来てくれる。「すいか」と呼ぶ声が聞こえ、マスクをした妻の顔が視界にはいる。面会者は新型インフルの影響か皆マスクをしている。耳元にスピーカを置き音楽を聴かせてくれた。このときの曲が今も耳について離れない。これに反して妻が帰った夜が地獄の始まりである。痰が溜まったり、息苦しくても看護師に訴えるすべがない。また看護師たちもいつも忙しくなかなか構ってくれない。但し、床ずれ防止のため、定期的に寝返りを打たせてくれる。まさにその時が勝負どころで,できるだけ楽な体勢を確保しなければならない。まず、十分痰を取ってもらいたいと思うが、大抵、先に看護師2人がかりで身体の向きを変える。こちらは口の中に痰や唾液が溜まっているので横を向かされるときに口からよだれの如く首筋へこぼれる。きたないというか、気色悪いというか、いやな感触であるがどうしようもない。そちらに気を取られていると、いつの間にか胸の上に腕がある。自分の腕だが、動かせないので重くのしかかり、胸を圧迫し息苦しくなる。また、足には枕を挟んでどうにでも動かせないようにさせられる。足や腕は調子の良いときにはちょっとぐらい動かせるが、枕を挟まれたり、布団を掛けられるとそれをはねのける力がないのである。このように看護師のされるままにして置くと次の寝返り時まで苦しい時間を我慢しなければならない。そこで、できるだけ楽な体勢を確保するため、少しずつ反抗する。寝返りを打つ瞬間、わずかな力で手を解き、布団もなるべくかけられないように目や表情で訴える。この人扱いにくいね、と思われる位がちょうど良い。それでも中には解いた手をわざわざ再度組ませる看護師もいる。何気なくやっているようで恐ろしかった。(夢か現か)

第3話:もうろう 6月16日(火)

次の日、肺に溜まっている水を取り出す処置があるようで、大広間で待つ。リハビリの先生がやってきて、ゆっくり大きく呼吸しろとか何やら言っている。そのとき私は痰が引っ掛かっていたので取って欲しかったが、それはしてもらえなかった。後で看護師さんがリハビリの先生の言ったことが判るかと尋ねたので難しくて理解できなかったと答えた。ともあれ、この日はずいぶん待った。肺を見るのであるから鉄板のガードを取り外すのだろう。実はこのとき、私の肺はロボットのような鉄板で覆われているものと思いこんでいた。これは後日に思い返せば、呼吸器を挿入していた違和感のなせる業であろう。私は呼吸器というものを単に口に咥えているだけだと思っていたが、実際には管が気管まで挿入されていたのである。さて、その鉄板が外されて直に肺が外気にさらされたとき、ふと細菌性の埃を吸った気がした。これはやばいと思ったとき、どやどやと医師団がやってきた。そして胸のレントゲンを撮るまさにその一瞬気が遠くなり、その場に倒れた。「すいかさん、大丈夫ですか。判りますか。」次の瞬間意識を取り戻したが、これはまだまだ大変だと強く思った。倒れたことは、後に妻に文字盤会話で伝えているが、妻が怪訝な表情をしていたのも無理はない。倒れるも何も、私はずっと寝たきりなのであった。
 さて、私が倒れた所為で、予定していた肺に溜まっている水を取り出す処置が中止になり、医師団が去っていった。そこへA先生がやって来て、鼻をくんくんとかぎ回る。そして点滴の端子が一カ所臭うので感染しているかも知れないという。確かこのとき私はスーッと屁を放っていたのでその所為で臭うのであり、端子が感染しているのではないと思った。そこへ別の先生がやってきて、臭いで判断せずに無条件にもう一カ所端子を作る方が早いと言う。それならということで、動脈に管を通すという非常に痛い処置が始まった。まず指であちこち触り、動脈が通っている場所を捜す。次に止血消毒剤のようなものをべっとり塗る。と、また場所の確認をする。など、こちらが覚悟を決めているのに、手際よくしてくれない。これは患者泣かせである。「ちょっとチクッとしますね。」やっとメスを入れる準備である。実は、これはメスではなく針だったようであるが、動脈に針を刺すので滅茶苦茶痛いのである。まさに歯を食いしばり、ひたすら耐える。ただ、この強烈な痛みが運動神経を刺激するようで、しっかり手を握りしめることができるようになったし、少しずつ足を動かせるようになっていった。
時々、医師、看護師が「身体がかゆい?かゆくない?」と尋ねる。私は声が出ないのでかすかに頷くか首を振って答える。身体の方は実際、かゆいと云われればかゆいが、それほどかゆくもない。適当に返事をしていたが、どうも感染を疑っていたようだ。とりあえず薬疹と云うことで決着したようである。

あいかわらず夜はあまり眠れない。看護師たちが影絵のようにあちこち動き回り何かしている。もちろん看護をしていたのであるが、それだけだろうか。夜なので皆ヒソヒソと話し、こちらには聞こえない。疑心暗鬼で眠れないのである。我々患者は大広間の和室に雑魚寝しているように見える。同じく医師も雑魚寝している。ここは医師、看護師、患者が一心同体で生活しているようだ。山本周五郎の「赤ひげ」で有名な小石川養生所を思い浮かべる(?)。
ダーン、ダダダ、ダーン、ダダダという音が聞こえる。列車の音のようでもある。これとは別に救急のサイレン音も常時聞こえている。列車の音は自分の心音かもしれない。結構早く、息苦しくてついていけないときがあり、時々リセットされる。私の身体には生命維持装置がついているので、息をしなくても死ぬことはない。その他、警報音やモニター音などいろいろな音が聞こえ強迫観念に縛られる。何か判らないけれど恐ろしいのである。早く朝になれと思う。(夢か現か)

第4話:ファブリーズ 6月17日(水)

この日は麻酔が切れたのか比較的調子よく手足が動き、文字盤を用いた会話ができるようになった。まどろっこしいが、黙っているよりましである。まず、話題になったのがファブリーズの話である。その日は痰の吸引装置が故障していて吸引が不十分なように感じた。何が不十分かというと痰を吸引した後に気管支拡張剤のようなものを吸って、スッーと息が楽になるのに、それがなかったのである。この気管支拡張剤の正体は実は市販のファブリーズであり、実際「ファブリーズした?」と叫ぶKばあの声を何度も聞いていた。そこでこれらのことを家族に訴えるために、文字盤で「ファブリーズ」と書いた。要は、気管支を拡張して新鮮な空気を吸いたいのである。そのキーワードが「ファブリーズ」であった。私は真剣に「ファブリーズ」を訴えたが、全く理解されず、見当外れの返事ばかり返ってくる。その場にいた看護師もキョトンとしていた(実際は爆笑を必死にこらえて苦しんでいたようだ)。
 次に、K病院入院以降の自分の状態や、みんなの近況、職場の様子について尋ね、これまでの状況をざっと知ることができた。とくに、K病院で意識を失ったことに関連し、夕べ、レントゲンの際に倒れたことを話し、まだまだ油断できないことを訴えた。

夜は眠れず、目を開ける。看護師にとっては寝ていると思って私の方を見ると目を開けているので気味悪かったであろう。あまり近づこうとしなかった。このころからナースコールを持たせてもらっている。昼間はしっかりと手に力が入ったのに夜は力が入らず、ナースコールが押せなかった。ナースコールを持たされてそれが使えないというのは精神的に大変つらい。呼吸は胸に痰を引きずって非常に苦しい。苦しくて看護師も来てくれずもうだめかと思ったとき、スキンヘッドのT先生が現れて、「ゆっくり大きく息をしてください。」とのんびりしたことを言う。ただし、ちょっと心音の速度を落としてくれたようで楽になった。(夢か現か)

第5話:H看護師 6月18日(木)

夕べの続きで朝は非常に苦しかった。妻の面会が待ち遠しく何度も夢を見る。「ゆっくり大きく息をする」のは理解できるが、それよりも胸の痰を取るのが先ではないかなどと思う。また、心音にせかされた感じで十分息を吐ききれず、二酸化炭素がたまったのがこの日のようである。
 体調が悪く妄想を見た。ベッドごと特別室に連れて行かれる。そこで何をするでもなく放置され、さては今後回復したときにどういう人生を歩むかよく考えろということかと合点する。場合によってはこのまま死んでもらうということか。この病院の院長と中国から来た達人が昼食を取っている。何の達人か思い出せないが、たしか生死を操る能力があるというような設定だった。その後の展開がどうなったか覚えていない。以上、妄想の話。
 昼間はなるべく早く体が動かせるようになりたいと思い、家族に足をもんでもらい刺激を受ける。この日、男のH看護師が担当になる。これまでも毎日、担当看護師が決まっていたはずであるが、気づかなかった。H看護師は自ら名を名乗って担当であるといってくれた。顔つきや話し方が昨年研究室にいた学生に非常によく似ている。親戚かもしれないなどと思う。この看護師は何かにつけて十分な説明をしてくれたので、一番気に入っている。また、痰の取り方も丁寧で上手である。一口に痰を取るというが、喉にチューブを突っ込むわけで、オエッとなるし涙が出るという、非常に苦しい処置である。それでも、その後飛躍的に呼吸が楽になるからちょっとでも痰が引っかかると取って欲しいのである。さて夕方、教授回診か手術かわからないが物々しい雰囲気に包まれる。私は呼吸器をくわえているため口が唾でくっ付いて固まってきたので何とかしてほしいと訴える。H看護師はちょっと待てといい、看護師の人員削減もありなかなか手が回らずごめんと言う。どうもタイミングが悪かったようである。この一件はA先生が処置してくれた。唾で固まったところを切開するかも知れないなどと恐れたが、丁寧に掃除をしてくれてすっきりした。しばらくして緊張した雰囲気が解け、元の状態に戻った。H看護師も穏やかにナースコールを渡してくれ、何かあればコールしてくれという。彼は寝返りの際の「重さ」も十分理解をしてくれて、足に挟む枕や布団など極力排除してくれた。ただし、夜、先生に付き合ってちょっと持ち場を離れるのでその間だけナースコールできないように手袋をしますと言った。これが「前回?」も経験した恐怖の手袋である。手袋のせいで手がどんどん暑くなり、体が熱くなり、息苦しくなるのである。2,30分程度で戻ってきたと思うが、私は真っ先に手袋をはずしてもらった。このとき、もしそのまま手袋をされたらどうしようという不安を抱いていたが、幸いすんなりはずしてくれてほっとした。(夢か現か)

第6話:観察室 6月19日(金)

「今日、観察室に移るよ」と妻がうれしそうに言う。これは一歩出世したようなもので、病状がよくなった証拠だそうである。そういえばここはいつもキンコンキンコンという警報音やらピーピーというモニター音やらが鳴り響いている。これらの切羽詰った雰囲気から解放されるのは確かに有難い。昼ごろベッドごと観察室に移った。このときの光景がまた夢うつつなのである。観察室にベッドで移動したのだが、とりあえず扉を開けて中に入ったすぐのところに放置された気がする。ちょうどお昼時か、右手方向から「Yさん、ごはんよ。」という声が聞こえる。どうも右手は和室らしい。Yさんが座ってちゃぶ台でごはんを食べている。その後、私のベッドが入ったこともありドタバタと清掃している様子である。その中にHばあと娘の姿がある。窓に布団のようなものを干す。窓を開けてYさんが飛び降りないように見張らないといけない。食事が済み、Yさんがなにやら看護師に文句を言っている。看護師も子供相手のように噛んで説き伏せるが話は堂々めぐりになる。やがて、Yさんのうんこがしたいという声、看護師のうんこをしないといけないという声などうんこ騒ぎが始まる。どうやら観察室ではYさんが人気者のようである。さて、実際には私がこの部屋に入ってきた扉はなかったらしい。また、当然ながら和室などなかった。和室と思っていた奥の方にこの部屋の扉がありそこからベッドごと運ばれてきたのであった。
Yさんの声は聞こえてもどういう人かわからない。観察室で始めての夜も緊張してあまり眠れなかった。やはり、看護師たちが影絵のようにあちこち動き回り、何をしているのか気になる。また、翌日気管切開手術があることも気になっていたかもしれない。(夢か現か)

第7話:気管切開 6月20日(土)

病室(観察室)に手術用のライトが搬入され、いよいよ気管切開手術が始まるようだ。手術と言えば普通はベッドごと手術室に連れて行かれるものと思っていたが、今回は逆に手術用の道具が搬入されるのである。ライトを付けたり消したり、近づけたり遠ざけたり、いろいろと点検している。私はそれほど緊張も何もなかったように思う。点滴からの麻酔だと思うがいつの間にか意識が薄れ、気がつけば手術の後処理を行っているようであった。A先生が力任せにのどを押し付けてくる。喉仏が潰れそうな勢いである。その後ホックを数箇所止めるような音がして終了。緊張が解けたような話し声が聞こえる。私はちょっとホックがきついと思った。皮膚が突っ張る感覚である。痛くないですかなどと尋ねるので、ちょっときついと答え、ホックの位置を緩めてもらった。さて、この麻酔で身体の動きが再び鈍る。今がチャンスとばかりに、A先生がまた、点滴の端子を作る処置を行う。「ちょっとチクッとしますね。」確かに麻酔のおかげで痛みは薄いがやはり精神的につらい。この手術に伴い、握力はほとんどゼロに戻り、手足も動かせなくなったと思うが、そうでもなかったか?首は痛いというか、重くてぐっと押さえつけられているような感覚があった。
その後、大便意を催した。そういえば昨日Yさんがうんこ騒ぎをしていた。私もとりあえずナースコールしてうんこを訴える。どんな風にしてくれるのだろうと思っていると、電気を当てるといい、何か装置を持ってきた。なるほど円板のようなものから電気が出ているように見える。それを尻に当てると便意を催すのであろう。おなかがぐるぐる鳴り、ガスだけ出たが、腹の力が弱くとうとう出なかった。ナースコールし、出ないという。もうちょっと当てておきますかというので、ハイと言いそのまま眠ってしまった。後に「電気」は「便器」の聞き違えだったことに気づく。さて、ふと気がつくと、栄養士の先生(男性)と指導員(女性)が顔を見せ、よろしくと言い、献立、メニューなどに関する意見を今度教えてほしいなどと言っている。確かに名前を聞いたが忘れてしまった。指導員の方は私を知っている様子だった。私はまだ何も食べていないのに、ここの病院は気が早いと思う。この件は、夢だったかもしれない。

6月21日(日)

 喉は痛いというより重い。呼吸器のホースの重さを少しでも支えて欲しいと訴えるが、看護師、妻とも不思議そうな顔をする。ああ、この場面も前回(?)あった。重いというのは全くの勘違いなのだ。ビニールの蛇腹ホースである。これより軽いものがないくらい軽い。痛いのが重いと感じるのであろう。辛抱するしかない。人工呼吸器、吸引装置は命に関わる装置なので、安全装置、警報装置がいくつも設置されている。トゥルトゥットゥトゥと音が鳴ると看護師が「います。いますよ。」と応える。装置が作動中なので担当者が居るでしょうねという確認音であろう。(夢か現か)

第8話:ほのかに甘い水 6月22日(月)

このころからおしっこが良く出るせいか、飲み物のことばかり頭をよぎる。そういえば前回(?)も気管切開後飲み物が飲めるようになって、朝、あったかいカプチーノを飲んだことを思い出す。今日は透析已むなしの話が出ていたが、そんなはずはなかろうと楽観している。それより、ビールが飲めるかどうかが気になる。まあ、無理にアルコールを入れることもない、ビールが飲めなければ麦芽飲料水で辛抱するさ。ウイスキーボンボンのようなものを口に放り込んでプチッと噛めばほのかに甘い味のする麦芽飲料水が病院の売店(もしくは薬局)に売っているはずで、ここの医師たちは忙しいのでそれで間に合わせの栄養を取っているのである。実際、ここでも歯を磨いてくれるときに注入する水はピンク色をしたほのかに甘い水で、麦芽飲料水に違いない。

6月23日(火)

午前、回診があった。腎臓内科の先生が教授らしき先生と透析の件で打ち合わせている。まだ結論を下すのは早い、もう少し様子を見ようということで合意していた。その後、A先生がまた、点滴の端子を作りに来る。右足に激痛が走る。勘弁して欲しい。ベッドは極限まで起こして、座位を取る。観察室の様子が赤ちゃん目線から子供目線で眺められるようになる。こうなると、天井にドアがあるとか、和室に居るとか思いこんでいたことが、錯覚であることに気づかざるを得ない。いよいよ夢うつつから脱却できたようである。看護師がうがいと称して水を飲ませてくれた。こんなに水がおいしいなんて。そうか、ここの水は麦芽飲料水でほのかに甘いのである。(夢か現か)

第9話:過呼吸パニック 6月24日(水)

本日透析日。透析をするにはいろいろな準備と手順が必要で、右肩のあたりでごそごそ作業をしている。準備をしに来た先生または技師の人は、透析には専用の端子が必要で、点滴の端子と共用できないようなことを言っている。透析は要はフィルタなので詰まりやすく、点滴の薬などを混ぜたくないということらしい(?)。端子が詰まると別の端子を作らなければならず、また痛い思いをすることになるので、うっかり聞き流すわけにはいかない。が、どうやら今回はこれでOKらしい。

6月25日(木)

 この日、初めて車イスに乗った。足に力が入らず、頭がふらつきたいへん恐ろしかったが、ともかく一歩前進である。呼吸器がいつのまにかはずされており、気道チューブからは酸素が入っていた。
 夜。雷が鳴り雨が強かったと思う。家族が帰る直前、呼吸がおかしくなった。呼吸が浅いというか、うまく吐けないというか、息苦しい。今や呼吸器が外されているので、このまま逝ってしまうのではないかと焦った。生きる目処がついたとき、死の恐怖が甦ったものであろう。パニックになっていた。いつの間にか寝ていたが、家族もこのまま帰れず廊下のベンチで一夜を明かしたと錯覚した。過呼吸でパニックに陥っていたようである。そういえば、幼少の頃、泣き出すと止まらないという癖があったことを思い出す。親から、いい加減泣き止みなさいといわれ、自分も必死に泣き止もうとするのであるが、息が引いて止まらない。しゃっくりのようなものである。これって、もしかするとサイトカインストームになる資質かも。泣き出すと止まらない人、しゃっくりがなかなか止まらない人、多臓器不全に要注意、ですかね。(夢か現か)
 

以上、夢か現かの話は過呼吸パニックをもって終了である。
ブログもこれで一旦終了する。
すでに発病から5ヶ月以上経過し、病後は順調である。
これ以上ブログに書くようなことが起こらないように祈りつつ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第1部 悪夢 | トップ | 【ごあいさつ】これからのす... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

夢か現か」カテゴリの最新記事