深津深弥は隣の席に座る、冠座此穂乃花を見ていた。冠座此 穂乃花は、深弥から見て周囲から浮いた存在に見えた。クラスの人間とよく話しているところを見ると、一見愛想よくみんなと話していても、どこか他人と一線を引いていると深弥は思った、だがそれも、よく注意しながら見ていないと判らない位の感じだ。
誰かと仲よく話していても、冠座此穂乃花が教室の外で誰かと一緒にいるところを、深弥は見たことが無かった。
昼休みはいつも校内の図書室にいるし、授業が終わればすぐさま家に帰る。
実は、深弥は以前に偶然冠座此穂乃花が図書室にいる所を発見し、冠座此にいくつか質問したことがあった。
「冠座此さんって帰宅部だよね?友達と遊びに行ったりしないの?」
「えぇ、一人でいるのが好きだから、ほとんど無いわね」
冠座此は手にもつ文庫の小説に目を落としながらこたえた。
「へぇ、やぱっり」
「やっぱりって?」
穂乃花は深弥を見て首を傾げた。
「いや、なんとなくそんな感じがして・・・孤独が好きなんだ?」
「深津君は孤独が嫌い?」
「どうだろう、でもさみんなと話していると楽しいとは思うよ」
「孤独がさみしいなんて、誰が決めたのかしらね?」
「え?」冠座此はつぶやくような小声で言ったので、深弥は聞き取れなかった。
「ううん、なでもない。独り言」
「みんなでワイワイ騒ぐのが好きな人がいるように、一人でゆっくり過ごすのが好きな人もいると言うだけの話よ、深津君」ゆっくりと深弥の方を向いて、微笑みながら冠座此は答えた。
「でも、教室ではみんといるよね?」
「そう、教室ではなるべく話し掛けられたら答えるようにしているし、自分からも話し掛けるようにしているの。教室内で孤立するにはそれなりに労力がいるし、リスクも高い」
「リスクって?」
「出た杭は打たれやすい、私、これでも協調性は重んじる方なのよ」
「あぁ、いじめとか、ね。じゃあ、今も?」
冠座此はまた小説に目を落とし、答えた。
「そう、協調性豊かでしょ?」
「たしかに」
深弥はそれ以上の質問を止め、図書室を後にしたのだった。
そんなことを思い出しながら、深弥は授業中に冠座此の横顔を盗み見ていた。穂乃花の視線が黒板の内容を書き写していたノートから深弥の方へ移動した、穂乃花と目があった深弥はとっさに視線を前にそらした。
その後、深弥は一週間に一度くらいのペースで図書室を訪れ、穂乃花とたわいの無い話をするようになった。
「最近良く会うわね」
「部室に行く途中に図書館があるからね、部室と言っても美術室だけど」
「それ、答えになっていないわ」穂乃花はクスリと口の端を上げた。深弥は話題変える。
「最近は放課後も図書室にいるね、どうして?」
「本を読むためよ、ここは図書室だもの」
「えーと、そうじゃなくて、前までは昼休みの時にしかいなかったじゃない」
「今続き物の小説を読んでいるの。借りて帰るのは手続きが面倒だし、持って帰るのも重いし、だからここで読んで行くの」
「ジャンルは?」
「ミステリィ」
「推理か、むずかしそうだ」深弥は眉間に皺を寄せて言った。
「そんなこと無いわ、別に推理しながら読まなくても、自然に答えは出るもの」
「ふ~ん」
穂乃花は黙り込んで小説を読み始めた。
「さて、そろそろ行こうかな」
穂乃花はちらりと視線だけ深弥に移し、「さよなら」と、一言いって。読書に没頭した。
深弥はこれ以上邪魔をしては悪いと思い、図書室から出る。そう思うなら最初から行かなきゃ良いのに、と自分で思った。
毎回十分程度。そんなことを何度も繰り返していた。
それからすぐに、学校は夏休みに入り、学校に行く機会はすくなくなり、深弥は穂乃花に会う回数は、ぐんと少なくなった。だが、深弥は部活で学校に行った時はかならず図書室に顔を出した。
穂乃花がいるかもしれないと思ったからだ、いたからって別に用があった訳ではなかったが、特に理由もなく深弥は図書室に顔を出した。
穂乃花がいない時もあったが、いることの方が多かった。
「夏休みなのに良く来るね?」深弥は後ろから穂乃花に声をかけた、穂乃花はゆっくりと振り返る。その仕草は姿勢良く、凛としていてどこか美しかった。
「おはよう、深津君。私、夏休み中に百冊は読もうと思って」
「そんなに?もうそろそろここにある本は全部読んでしまうんじゃない?」
「そんな訳無いでしょ、何冊あると思ってるの?」
「うん、もちろん冗談」
「深津君は部活?」
穂乃花は首を傾げながら聞いた。
「そう、夏休み中に今描いている油絵を完成させようと思っているんだ」
「ああ、深津君美術部だっけ?油絵を描いているんだ?今度見せてよ?」
「それは構わないけど、冠座此さん絵に興味なんかあったの?」
意外な申し出に深弥は驚いた。
「いいえ、全然」
穂乃花はくすくすと笑いながら首を横に一往復させた。
「なんだ、冗談なの?分かりずらいなぁ、君の冗談」
「いえ、絵画には興味ないけど、深津君が描いた物なら見てみたいわ」
「困ったな、もしかして期待されてる?」
深弥はしかめ面をして頬を掻いた。
「えぇ、このくらい」
そう言うと穂乃花は右手と左手を30cmくらいの間隔でひらいた。
夏休みが終わりに近づいてきた頃、深弥は寝坊をした。部活に遅刻しそうになった深弥は、その日図書室に行くことはなく美術室に向かった。
「なあ、深津」
「ん、何?」深弥はキャンパスに筆を走らせながら答えた、声をかけてきたのはクラスメイトで同じ部の横間だ。
「昨日さ、美術室に来る途中、図書室で冠座此さんと話してなかった?」
横間の質問に深弥はドキリとした、だが何故ドキリとしたのか自分でもわからなかった。
「うん、いたけど」
「もしかしてさ、二人とも付き合ってる?」
「何に?買い物とかトイレとか?」
深弥は思わず動かしていた手を止めて答えた。
「なんだそれ、ごまかすためのギャグかなんか?すげぇツマンネ、はっきり言ったろか?お前達恋人同士として交際してんのかって言ってんだよ」横間は途中から声のトーンを抑えてしゃべった。
「いや、違う」
「ほんとか?」
「うん」
「なんだ、冠座此さん部活同の掲示板で美術部の予定見てたから、お前に合わせて学校にきてんのかと思ってた」
「冠座此さんが?それっていつの話?」
「夏休みに入る前かな」
「それって本当に美術部の予定を見てたのか?」
「ああ、だって本人に聞かれたもんな。ほら、うちの部ってほとんど自由参加じゃん、それで、はっきりした予定は無いのかって」
「ふーん」深弥はまたキャンパスに向かって描きだす。
「しかし、うらやましいなぁ、冠座此さんと二人きりで話ができるなんて」横間は腕を組んで唸るように言った。
「なんで?好きなの?冠座此さんの事」
「いや、別に。俺にはレヴェル高すぎだよ。でも、彼女欲しいなぁ」
「好きな人、いるの?」
「いないけど、なんとなく」
「適当だな、それって好きな人がほしいのか?それとも恋人がいるって言うシチュエーションが良いのか?」
「そうだな、とりあえず恋愛がしたい。そう言うお前は彼女欲しくないの?」
「横間ほどは思わないな、なんとなくで好きでもない人に時間を裂くのも嫌だし」
「ふ~ん、お前つまりそれって・・・本気で言ってるなら鈍感にも程があるぞ」
横間は呆れて言った。
「どう言う意味?」
その日、深弥の絵は完成した。
帰り、深弥は今日はまだ図書室に行っていないことを思い出し、もう穂乃花はいないだろうと思いながらも、 図書室に向かう事にした。
図書室の前まで来て深弥はドアを開けた。
すると意外なことにも穂乃花はまだ窓際の机でいつもどうり姿勢良く、小説を読んでいた。もうペ-ジは残り少なかった。
「あれ?来ていたの?」
「こんにちは、深津君。いえ、もうこんばんわかしら?」
深弥は穂乃花の前の席に腰かけた。穂乃花の読んでいる本を見ると、青とピンクのぼやけたハートマークがランダムに散りばめられた表紙だった。タイトルを見ると 「活字の恋」とあった。
「それ、ミステリィ?」
「え?」
「その本」
深弥は穂乃花が持っている小説を指さして言った。
「あぁ、これの事?ううん、今日は恋愛小説」
「へぇ、冠座此さんミステリィ以外も読むんだ」
「今日はたまたまよ、気まぐれで」
「おもしろい?」
「さぁ、深津君が読んで、どう感じるかはわからないけ ど、私はつまらないわね。ジャンルの問題ではなくて、作者がダメね。単純にへたよ、出版社もよくこんな本を出したわね」
穂乃花の意外な感想に深弥は驚きと共に、その見た目とのギャップにおかしさを感じた。
「結構辛辣だね」
「私もつくづく人が良いなって、自分で自分の事を思ったわ、これを最後まで読もうとしているんだから。でも、自分で買っていた本ならどうだったかな」
「もっとベストセラな、恋愛小説はなかったの?」
「あったけど、もう読んでた。で、適当に手にしたのがこれ」
穂乃花は深弥に表紙をみせて答えた。
「なんでみんなは積極的に恋愛をしようとするんだろう?」
深弥は穂乃花の持つ小説に視線を固定したまま、つぶやくように言った、実際に深弥は穂乃花に聞いたつもりも無かった。
「なに、どうしたの?」突然の深夜の問いに穂乃花は驚いた。
「ん、いや。恋愛になんの意味があるんだろう?って思ってさ」
「哲学?」きょとんとした表情で穂乃花が聞いた。
「いや、ただの疑問」
「恋愛に・・・意味なんて無いと思うよ」
穂乃花は小説に目を落としながら言う。
「まあ、物事の意味合いなんてとことん還元して行けば、意味のあるものなんて何も無いけどね。でも、特に恋愛には意味も存在価値も無いと、私は思う」
「じゃあ、なんで大多数の人はこれほどまでに恋愛にのめり込むのさ?」
穂乃花は次のページを捲ってから深弥の顔を見て言った。
「そんなの、単純で原始的な動機よ。恋愛は楽しいの、加えて中毒性も高い」
穂乃花は左目をつむり、人差し指だけ立てて口元へ持って行くジェスチャを見せた。深夜にはどんな意味を持つジェスチャかわからなかったが、穂乃花がやると、どこか妖艶な雰囲気があるな、と深弥は思った。
「楽しいから、たとえ一つの恋が終わってもまた次の恋に指針を合わせて、無理やり恋人を探し出そうとする。前に経験した恋愛の楽しさを忘れられない為に、まだ生まれてもいない恋心を、その辺の好みの誰かに備え付けようとするの」
「冠座此さんにもそう言う経験が?」
「うん、すぐに意味が無いって気づいたけど」
穂乃花は窓の外を見ながら答えた、外の空は奥に進むにつれて明るく輝くオレンジ染まっている。対象的に手前の空は夜の闇が迫り、中間の空は淡いピンクとも紫色ともつかない、美しいグラデーションになっていた。
「何の意味が?恋愛の?それとも・・・」
「次の恋を探す意味が。だって、好きな人は一人が限界だもの」
穂乃花は深弥の疑問を先読みして答えた。
「その恋は、実っていたの?」
「ある意味では、世間的には実らなかった・・・のかな?」
「どう言う意味?ふられたの?」
「いいえ」
穂乃花は首を横に振る。
「相手にもう恋人がいたとか?」
「いいえ」
また、首を振る。
「じゃあ、どしたのさ?」深弥は顔をしかめて聞いた。
「べつに、どうもしなかったわ」
穂乃花は視線を窓の外から深弥の顔へ移した。
「私、好きな人に何も求めていなの、と言うか、そもそも他人に対して何かを期待していない。だから、恋人として交際したいとか、そういう事にも興味が無いの」
深弥は答えない。穂乃花の複雑な人格が少しづつ見えてきたからだ、ただ見えてきたものを理解するのに時間を要するため、深弥は答えに詰まった。
「ねえ、深津君。恋愛に必要なものってなんだと思う?」
突然の質問。深弥は混乱する思考を、質問の回答に費やし、少しづつ考えを整理し、言葉に抽出して答えた。
「なんだろ・・・やさしさとか、相手を思いやる事とかかな?」
「ブブー、不正解!」
穂乃花は両手でバッテンを作る。
その仕草が深夜にはとてもおかしくて、思わず噴き出してしまった。
「なにそれ?じゃあ正解は?」
「正解は、その人を好きだって言う自覚よ」
「自覚?」
「そう、それが無いと何も始まらない。優しさや思いやりは、相手に気にいってもらう為の装飾に過ぎないのよ。愛なんて結局、なんの混じりけの無い純粋なるエゴ。愛したい、愛されたい、何かしてあげたい、してほしい・・・すべて相手の意思を無視して湧き出てきて。何かを相手にすることで自分の欲求を満たすの」
「・・・」
「そして、気づいたの。私はその人の事が好きで、私の意識の中にいてくれさえすればそれで良いって。私の思いは私がはっきりと自覚してさえいれば何の不自由も無い。後は気持ちが風化するのを待つばかり。これが私のエゴ」
「それは、寂しく無かったの?」
「うん、中学の頃の話だし、気持ちと一緒に執着心も風化していったから。今も昔もなんとも・・・きっと私にとって恋愛はそんなに重要な要素ではないんだろうな」
「・・・そう」
深弥はそれだけ答えて黙った。なんとなくだが、穂乃花の考えが理解できた、恋愛が重要ではない、と言うのは深夜にして見ても同じだったからだ。そんなものが無くてもおそらく・・・なんの支障もなく生きていける。こんな意見は統計的にみても、最も少ない位置の意見だろう。
そして、深弥は理解した。人々が盲目的に恋愛を賛美する理由を。
それともう一つ、自分がこうも足しげく図書室に通う理由も。
そう、楽しいのだ。この穂乃花と話す意味の無い時間が。穂乃花意外の人物がここにいても自分はなんの興味も示さないだろう。
どれも意味が無い。だが、意味が無いからこそ、のめり込む。
開いた窓から風が流れ込んでくる、風は、体にまとわりついた湿った空気を洗い流す。穂乃花は小説のページが風で捲られないように手で抑えている。
深弥は思った。たぶん、自分は冠座此穂乃花が好きなのだろう、この他人を受け入れず、孤高を望む少女を。何も望まず、何も与えることの無い、この少女を。
だから、意味も無くここへ来る。いや、意味はある、ただ、その意味にはなんの価値も無いだけだ。
「はははっ・・・」
深弥はおかしくなって笑った。
「なに?どうしたの?今日の深津君は変ね」
穂乃花は眉をひそめた。
「うん、どうかしているんだ、僕。でもその理由が今分かってさ、それがおかしかったんだ」
「理由って、何?」
穂乃花は首をわずかに傾けた、その運動に伴い長い髪が肩から流れる。
「たぶん、僕は。君の事が好きなんだ」
風が流れる、わずかな時間を伴い。
「そう・・・」
穂乃花は小説に視線を戻す。
「うん」
また、窓から風が流れる。風は穂乃花のそろった前髪を静かに揺らす。
深弥は立ち上がり、開いた窓により、外を眺めた。校舎と街並みの額縁に中に淡いグラデーションが広がっている。人が再現するには困難な色合い。少なくとも今の深弥には、できない。
穂乃花は小説を読み終え、ページを閉じる。そして、深弥の隣に並び、外の景色を眺める。
「そうだ、この前言っていた絵、今日完成したんだ」
「じゃあ、見に行かなきゃ」
穂乃花は両手の人差し指と親指でL字を作り、それらを合わせ、四角い窓を作った。
「深津君はどんな絵を描くの?」
「風景画、空を描くことが多いかな」
穂乃花は深弥の方を向いた。
「そう」
そして、穂乃花の方から唇を重ね合わせる。
一瞬の出来事。
無音。
ブラスバンドの練習の音が消えた。
オレンジ色の光。
わずかな時間の接触。
体はそっと離れる。
少女の微笑み。
「私も好きよ。深津君の事」
「でも・・・付き合ったりはしないんでしょ?」
穂乃花は口の端を上げて答える。
「えぇ」
そう言うと、穂乃花は自分の荷物をまとめ始める。
「磁力の無い鉄みたいな人だな、冠座此さんは」
穂乃花は振り返る、遠心力で髪がふわりと膨らんで、また萎む。
「それってアルミニウムの事?」
右の人差し指を自分の頬に持っていき、首を傾げながら穂乃花は言った。
「それじゃ、またね。深津君。今度は絵を見せてね?」
「うん、期待は程々に・・・あっ!ちょっと待って」
深弥は穂乃花を呼び止める。
「聞きたいことがあるんだけど」
「なあに?」
ゆっくりとした口調で聞きかえす穂乃花。
「同じ部活の奴に聞いたんだけど、美術部の予定を調べてたみたいだけど、どうして?」
「わからない?」
穂乃花は腕を組む。
「なんとなしには」
「じゃあ、それが正解」
穂乃花は右手人差し指を前方に差し出しくるくると回すジェスチャをした。
「そう、それじゃあ明日僕はここに来るけど、君は?」
「たぶん、いるかも」
穂乃花は図書室から出ていく、深弥はそれを見届けてから、窓の下にある本棚に腰をかけ、また窓の外を眺める。
夕日はまだ沈みそうも無い、だけどそのおかげで綺麗な夕焼け空をもう少し眺めることができる。
あと、どのくらい眺められるだろうか・・・あの少女を。
いつか、この夕日と同じく、見えない領域に消えてしまうのではないだろうか、その時自分は、この気持ちが風化するのを待つだけになるだろう。
彼女に装飾は無い、装飾に目を止めることも無い。
「期待は程々に、ね」
深弥は溜息と共に言葉を漏らした。