わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

クールベ 眠り

2008-11-16 | 作品

 作品

眠り【わたしの里の美術館・作品】Gustave Courbet クールベ 眠り クールベ

  

 

 Courbet, Gustave. Sleep   (Le Sommeil)

 

 Le Sommeil was originally commissioned by the Turkish diplomat and art collector of the late Ottoman era, Halil Şerif Paşa, who had lived in Paris since 1860.[4][5] The painting was not permitted to be shown publicly until 1988, like a number of his other works such as L'Origine du monde. When Le Sommeil was exhibited by a picture dealer in 1872, it became the subject of a police report.[6] One of the models for the painting was Joanna Hiffernan, who was the mistress of fellow painter James Abbott Whistler at the time. Whistler's relationship with Hiffernan ended soon afterwards, and his opinion of Courbet soured.[1]

The Encyclopedia of Lesbian and Gay Histories and Cultures describes Le Sommeil as a "famous" painting. The painting created an impact in 19th-century art, because after the public display of Le Sommeil, a number of contemporary artists were influenced by the theme of lesbian couples. Repetition of this theme helped to lower the taboos associated with lesbian relationships.[3]

Today Le Sommeil is in the collection of the Petit Palais, a Paris museum.[4]
https://en.wikipedia.org/wiki/Le_Sommeil

 

 Le Sommeil (眠り) が、1872年に公開されたとき、これは警察へ報告されるべき事件であった。

つまり卑猥だとか反倫理性の咎で、取り締まるべき対象と、多くの人々の良識は認識していた。ところが、21世紀の現実では、これも「立派」な芸術と認識されている。そして、この「逸脱」は、現実の社会生活の中まで浸潤してきてしまっている。芸術の作り出す、架空の空間と、人倫がまもるべき規範の世界が、まぜこぜに成ってしまっている。そうした混乱が、米欧だけではなく、このニホンにももたらされている。

猥褻だとか奇異な現象は、人々を惹きつける。

しかし、ホモだとか、レズを現実生活で敢行すれば、それは病気だとか。あるいは、何らかの作為で、社会の混乱だとかを引き起こす。例えば離婚の勧めだとか。独身主義の宣伝だとか。金融資本の社会的跋扈によって、古き良き時代の家庭は、大いに蝕まれてきた。会社勤めは、男のある意味で甲斐性であった。企業は、家庭を養うだけの俸給を、家長たる男子に支払わねばならない。この命題が、日本では昭和の初期まで、常識ではあった。

 

ところが、離婚の勧めだとか、独身主義の跋扈。ひいては、ホモだとか、レズだとか。こうした近代病罹患者が増えれば、企業は雇われ人に、「一家を養うだけの賃金」を支払わずに済む。こうした姑息なたくらみが、最近のLGBTをチンドンする。そのカラ騒ぎの中に隠されている。

 

 

世界はキラキラおもちゃ箱・2】 

 No,91

ギュスターヴ・クールベ、「眠り」、19世紀フランス、写実主義。

これは美しく見えるが、むごい。ヤン・ファン・エイクのマリアの後で紹介すると、落差がひどいね。

これは男のエゴそのものだ。女から肉体だけを奪い、男の欲望専用のものとして描いている。人間の肉を着た木偶だ。もっと強い言い方をすれば、本物の肉体を使って作った、ダッチワイフだ。

 美しい裸体画はたくさんあるがね、これは最低だ。

いずれ人間は、こんな女を必要としていたのかと、あきれるぞ。女を、こんなものにしていたのかと。

 侮辱以前の問題だ。意識が幼稚すぎる。人間をこんなものにしてはいけない。

クールベはもっと馬鹿な絵を描いているがね、さすがにそっちはコレクションにあげたくなかった。
これは極上の技術を、もっとも低劣な精神にささげた例だ。
https://blog.goo.ne.jp/motherblue/e/c857c2208c0f8206997096f39166c3df

画に描かれている、同じ女性として見れば、この絵のエッセンスは、女性を単なる肉欲の塊。その様に描かれていて、実に不愉快だ。

この感覚が、常識的な人間の感覚なのだろう。

ところが、芸術至上主義の「芸術関係者」からすれば、現実の人間社会にも、この「新しい」(というか珍奇な)価値観が、溢れ出てくる。わたしの里の美術館の立場から診れば、芸術世界は、ある程度自由なもの。ところが現実の人間世界では、生物が集団生活を送る上での規範とかがある。また、種の保存だとか、繁栄のための生物的本能がある。つまり、性愛は男女の間で営まれる。それが、女と女だとかでは、病気だとか、種を途絶させる、変異なのだ。 

 

クールベ 1819 ~ 1877 

レズビアン

2018 08 01 眠ったままの、批判精神。【わが郷】

 

 

 

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