6月14日、梅の収穫に行った帰り道に、前々から気になっていた途中にある石橋山古戦場に寄ってみました。
源頼朝が伊豆に流されて20年、反旗を掲げて伊豆の平氏方の館を急襲したあと、立てこもった石橋山です。追手の大庭三郎景親は3000騎(平家物語では1000騎)に対して300余騎、源平の最初の戦いがここで行われました。
1180年8月23日です。
頼朝はこの最初の戦に惨敗し、たった7騎となって箱根山から湯河原、真鶴へと逃げて、ようやく岩海岸から小舟で房総半島へと落ちのびることができました。
『平家物語』卷第五「早馬」の冒頭で、石橋山の戦いが清盛に報告されています。
みかん畑を往復するたびに、その途中で石橋山古戦場の標識をみて通っていました。しかし、そこがどんな所か、途中下車して足を踏み込むことは、今まで一度もなかったのです。
夏草や兵どもが夢の跡
きっと、石碑くらいが残っているのかなと思っていましたが、
今回訪ねてみたら、違っていました。
初めて知りましたが、佐奈田霊社という社がそこにありました。
「霊社」という名詞を初めて知りました。
ひと気が普通にみられる社務所も隣にありました。
祭られているのは、その戦で討ち死にした岡崎四郎義実の長男佐奈田与一義忠(当時25歳)だそうです。この人物の名前も初耳です。
この社は、確かめてはいませんが、おそらく源頼朝が石橋山の戦いで亡くなった人を追悼して建てたのだろうこと、それから時代がかわっても静かに守り継がれてきていること。それらが古い社と人の動きの中に容易に想像できます。
今は、あたりは一帯は、のどかなみかん山になっています。
梅の収穫の帰り道に、長年の疑問に対する収穫がありました。