みかん栽培と、その周辺の四季

みかんの木を栽培しています。四季折々の周辺作業を紹介したいと思います。これを通じて交流できたらと期待しています。

寒さの中で、梅が芽をつけています

2010年11月30日 05時24分30秒 | 

梅の芽がふくらんでます

11月24日に、遠路みかんの収穫を手伝いに来てくれた友人が見つけました。
私自身は、みかんの実に気を取られていて、気にしてなかったのですが。

梅の花は、早いものでは、12月末には1つ、2つは咲きはじめます。
神奈川県の西部では、曽我では梅まつりもひらかれます。
これから本格的な寒さに向かう時だというのに、
人が、思わず寒さに襟を立て、マフラーを巻いている時に、梅は花を咲かせ始めます。
「万花に先駆けて咲き出す梅の花」、
ふるくから梅を楽しみにしていた人たち、
『万葉集』でもたくさん歌われています。
当方は、花はもちろんですが、世俗的に6月の実も楽しみにしているのですが。

今年の梅は、3月30日の凍霜害で、小田原の産地は大きな被害をきたしました。
漬け梅用の実が、幼果が、黒く枯れて消えていきました。
自然は時に厳しさをしめします。それを認識させられる事件でした。

来年こそは、この芽が花から実まで、しっかりと無事に生育してほしいものです。


早生みかんからフツウウンシュウへ

2010年11月29日 04時40分34秒 | みかん栽培

収穫の移行-早生からフツウウンシュウへ

11月28日は、天気は晴れでしたが、風が強く吹いていました。
収穫も7回目、早生は主要な部分を終えました。
これからフツウウンシュウにむかいますが、まだ初めのうちです。

写真は、今回収穫したフツウウンシュウの木です。
葉の中にみかんが隠れています。

峠を越えた早生の収穫からみられることは-、
早生みかんの収穫は、去年が22コンテナ、一昨年が20コンテナでした。
今年は、まだ10コンテナしかないのですが、主要な範囲を終えています。
残りは、全部で3コンテナくらいでしょう。
要するに、去年よりも、一昨年よりも、収穫量がかなり減るということです。

問題は、フツウウンシュウも早生に準じて、同じ傾向を示すはずです。
これが、現実になると大変なことになります。
この予想に対応して、販売計画を修正しなければなりません。
増やすことは簡単なんですが、減らすのは大変です。
あてにされている人たちに、
謝って打ち切らなければならない場合が出てくるということです。
くわばら、くわばら・・・の12月になりそうです。


豊臣秀吉の石垣山につくった一夜城跡

2010年11月28日 05時14分09秒 | 南神奈川の郷土史

石垣山の一夜城跡

11月25日、友をさそって一夜城にのぼってみました。
小田原の隣、早川の石垣山の頂上にあります。
農道が整備されているので、すぐ近くまで車で登れます。

豊臣秀吉の小田原攻めには必ず出てくる一夜城ですが、
実際にその城跡が、完全に残されています。
写真は、その二の丸です。なかなかの広さです。
その奥のこんもりした所が、本丸です。

崩れた石垣が、あちこちにゴロゴロと転がっています。
確かに本丸の位置からは、南東側に小田原城を見下ろすことが出来ます。
相模湾の見渡せる、なかなかの絶景です。
たった80日間で、この山頂に城を築いたとは、驚異的な力です。
歴史の語り草となっている話に、事実的な根拠があることが感じられました。

今は、山頂にいたる山肌は、みかんの段々畑になっています。
みかんがオレンジ色に輝いている今の時期です。
さながら゛夏草やつわものどもの夢の跡゛といったところです。


豊臣秀吉の小田原城・北条氏の包囲網

2010年11月27日 06時26分23秒 | 南神奈川の郷土史

豊臣秀吉の小田原城の包囲網(郷土史の第二弾)

11月25日、友を案内して早川の石垣山の一夜城跡を散策しました。
秀吉の天下統一の最後の仕上げとなった、小田原北条氏攻めです。
その本丸跡に秀吉軍の包囲の様子が絵図で紹介されていました。

これまで上杉謙信にも武田信玄にも落とせなかった小田原城でしたが、
関八州の覇者は、全国から秀吉の下に集まった連合軍を目前にすることになりました。
「小田原評定」をいくらかさねても、らちは開きません。
北条氏も、この大軍勢に対しては白旗を上げざるを得ませんでした。
戦国時代にピリオドが打たれ、天下統一がはたされた戦いでした。
周辺の出城の八王子などでは、実際に刃の死闘があったそうですが、
小田原では多勢に無勢で、戦にはならなかったようです。
実際、秀吉が武将たちを集めて茶会を開いた庵跡が、根府川には残っています。

今は、石垣山はみかんの段々畑が広がっています。
秋の青空の下、みかんのだいだい色が輝いています。
ここでも、「夏草やつわものどもの夢の跡」は、みかん畑となっていました。


源頼朝の石橋山古戦場跡

2010年11月26日 05時04分44秒 | 南神奈川の自然

石橋山の古戦場をたずねました

11月25日、みかんの収穫を応援しに来てくれた旧友を送る途中に、
源頼朝が最初に蜂起した石橋山によりました。
古戦場の跡には、佐奈田霊社がひっそりとありました。
戦での死者を追悼して、ずーっと守られてきた神社です。

戦場となった石橋山は、いまはすっかり、のどかなみかん畑となっています。
海岸の道からチョッと入るため、ひっそりと静かな神社です。
写真の裏手にはみかん畑が、段々畑としてひろがってました。

この初戦では、300対3000の軍勢で追い散らされた頼朝は、
箱根の山すそを追討され、「おおわらわ」の落ち武者となって逃亡、
やがて真鶴町岩の海岸から、九死に一生をえて、
小舟で房総の千葉へと渡たり、軍勢の結集をはかりました。
そこから鎌倉時代が開かれるわけです。
当方のみかん園のある場所が、真鶴町岩、頼朝が船出した所です。

この日のみかんの収穫は、午前11時には一段落しました。
それで、友を送る途中、周囲にある史跡をいろいろ巡った次第です。


フツウウンシュウミカンの収穫が始まる

2010年11月25日 18時59分32秒 | みかん栽培

フツウウンシュウの初収穫に助っ人が

11月25日、神奈川県西部の真鶴のみかん園でも、
ついにフツウウンシュウミカンの収穫が始まりました。
フツウの収穫も、去年と比べるて、1週間から10日の遅れです。

11月24、25日の収穫は、今年6回目の収穫となりますが、
この初収穫に、遠路はるばる軽井沢から旧友が助っ人に来てくれました。
ありがたいことです。
写真は、助っ人によるミカンもぎの様子です。

彼の人の本業は、ブルーベリー栽培です。
同じように果樹を栽培してますから、成熟果を見極めて収穫してくれました。

その彼のブログアドレスです。
http://plaza.rakuten.co.jp/hotchiberry/

果樹として共通する点、また違う点もあります。
いろいろお互いの状況を、夜にも交歓しながら、
今日一日の収穫を応援してもらいました。
まだ、成熟したみかんをつけている木は2本なのですが、
おかげで、今日の初日としては、フツウウンシュウミカンを、
2コンテナ(40キロ)収穫することが出来ました。

いよいよ収穫は、早生からフツウウンシュウに移りました。
これからが本格的な収穫にはいっていきます。
今年は、ざっと見ると、裏年の木が多々目につきますし、
カミキリムシによって半身不随にさせられた木も目立ちます。
はたして収穫量がどのくらいになるか、なかなか予測が立てにくい。

すでに去年の納品先に、減らさざるを得ない旨、連絡しているのですが。
どのくらいの収穫減をきたすか、わかりません。
なかなか供給量と需要量とを調整するのにヒヤヒヤものですが、
これからひと苦労しそうな今年の収穫模様です。

 


早生に続いてフツウウンシュウミカンも色づきはじめました

2010年11月24日 05時55分31秒 | みかん栽培
いよいよフツウウンシュウミカンも色づきはじめました

11月初めから早生のウンシュウミカンの収穫が始まっていましたが、
ここへ来て、フツウウンシュウミカンも色づきが始まりだしています。
11月20日、フツウミカンの色づきのすすんだ木の、果実を試食してみました。
合格でした。

早生は収穫したときがすでに食べごろですが、
フツウウンシュウミカンは、収穫してから1週間くらい置いた方が美味しくなります。
味試しが合格になると、こちらも一週間後位から、ぼちぼちと収穫が始まり出します。
当みかん園には、20本のフツウウンシュウの木があるので、
早生よりもフツウウンシュウの方が主力になっています。

いよいよミカンの収穫も佳境にむかいだします。
美味しいみかんが提供するために、12月いっぱい、最後のひと踏ん張りです。
ただ、今年の収穫については、すでに紹介してきたように、
カミキリムシの加害にあって、実質的に、2本の木が枯らされてしまいました。
今年の収穫量が去年より減るのは避けられないのですが、

はたして、全体でどのくらいの収穫量になるか。
収穫はどのくらい減少するか。
あちこちに提供を約束してきた手前、心配するところです。
「えぃ、ままよ」、苦慮してもはじまりません。
たとえ逆立ちしても、すでになっている果実が増やせるものではありません。

年末までのあと6週間、
天候にめぐまれれば、あと12回。
着実に成熟したものを収穫し、
箱詰めして、出荷していくことです。

姿を見せた初冬の富士山

2010年11月23日 07時26分35秒 | 南神奈川の自然
富士山が姿を見せました

11月20日朝、小田原厚木道路の小田原PAから見えた富士山です。
肉眼では見えにくいのですが、登山道が白い線として見えます。

秋の空は変わりやすく、23日朝の東京は雨。
おそらく次に富士山が見える時には、
三合目くらいまでは真っ白になっていることでしょう。

いよいよ冬の時期に移りつつあるということです。
みかんの収穫も本格的な時期となり、
いよいよ楽しくも忙しい12月にむかいます。

カミキリムシの出した木くずをみつけました

2010年11月22日 04時21分02秒 | みかん栽培
カミキリムシが出した木くずを見つけました

前回紹介した、カミキリムシの小さな幼虫を見つけたみかんの木ですが、
その同じ木で、やはり11月20日のことですが、
基幹処理を終えたところ、根の一部から白い木くずが出ているのを見つけました。

これはカミキリムシの大きくなった幼虫の仕業です。
カミキリムシの幼虫が根の中を加害している時に出す木くずです。
根の中に入り込んで、坑道をつくるように内部を食い荒らしているわけです。
秋のみかんの木の手入れの一つは、この木くずに注意することです。

さっそく今回も、木くずの出ていたあたりの草や土を除いてさがしたのですが、
確かに根の中に幼虫がいて、木くずの出ていた所に坑道があるはずですが、
いろいろ探したのですが、その坑道が見つかりません。
放置するとこのみかんの木は枯らされてしまうのですが。
仕方ありません、今回は引き続き観察してゆくこととしました。

みかんの木を枯らしたカミキリムシは、これか

2010年11月21日 07時07分19秒 | みかん栽培

みかんの木を枯らしたのは、この幼虫か

11月20日も、みかんの収穫作業に出かけたのですが、
収穫作業の前に、みかんの木の基幹を点検してみました。
基幹部分に樹皮のひび割れした個所があり、
収穫していて、それが気になっていたものですから。

ひび割れした樹皮をナイフで削り取ってみました。
樹皮の下から、写真の幼虫が出てきました。
長さは1センチ弱、太さは1ミリ弱の透き通った幼虫です。
おそらく、これがカミキリムシの幼虫です。
おそらく、夏に生みつけられた卵からかえった幼虫です。

樹皮の下に住み着いて、樹皮のひび割れを広げさせていきます。
それもみかんの木を弱める原因になっているでしょう。
これがさらに2年目には、2,3センチと大きくなって、
基幹や根の中に坑道を掘って、奥へ奥へと食い進んでいきます。
そのために、みかんの木は根からの養分を上に送れなくなり、
やがて木全体が枯れてしまいます。

今回、2本の木から3匹の幼虫を駆除しましたが、
今年は、まだ少ない方です。
以前は多くの木にいたので、大仕事の駆除作業になった年もありました。

これがみかん栽培にとって、大敵となっているカミキリムシの幼虫です。


いよいよ早生みかんの収穫がすすみ出しました

2010年11月20日 06時11分16秒 | みかん栽培
いよいよ早生みかんの収穫です

北限の産地、神奈川県西部でも早生みかんの収穫が始まっています。
写真は11月15日の早生の木の枝です。

当方の早生みかんは、ほんの5本ですから、大したことはないのですが。
広いみかん園を管理している農家の人たちは、収穫作業で大忙しでしょう。
当方の何十倍の作業を進めているわけですから。

草取り、施肥、病害虫対策・・・、一年間の苦労してきた成果が収穫される時。
最も楽しくもあり、大変な時でもあります。

今年のみかんは、成熟しだすのが遅かったのですが、
ようやく、遅ればせながら、ここにきてすすみ出しました。
みかんの成熟は、去年より1週間から10日遅くなっています。
すでに紹介しましたが、晩秋のこれまでの陽気が暖かかったからです。
しかし、この数日まえから、朝晩の冷え込みが本格化してきています。
成熟の進展が、遅れを取り戻すかのように、これから速度をアップするでしょう。

果実のつき具合はどうか。
木によっては表年と裏年を極端にあらわす木がありますが、
その比によって、その農家の年年の収穫量がかわってきます。
全体としては、゛まずまずでしょう゛(JAの職員)とのことですが、
当方では、去年より少ないように思いますが、よくはわかりません。

収穫予想は出荷の予定数にかかわりますから、
「わからない」では済まされないのですが。
約束が実現できるかどうかにかかわっていますから。

そうであっても、農業は自然条件と木のコンディションに大きく影響を受けます。
人の都合が、たくさん生産物が欲しいと思っても、
すでに木になっているものしか採れません。それ以上は無理です。
工業であれば、残業して生産を増やすこともかのうかもしれませんが、
そうしたわけにもいきません。無いそでは振れなくなります。

これから、12月にはいるとフツウウンシュウミカンに移り、収穫は本格化しますが、
ゴールは12月末、年の内にはウンシュウミカンの収穫は完了します。
あと1カ月余、忙しい時期が続きます。
日曜農夫も、週2日のペースにたかめて、
みかん農家の作業のミニ体験をすすめます。

寒いはずだ、雲の切れ間の富士山

2010年11月19日 05時00分50秒 | 南神奈川の自然

富士山が雲の切れ間から見える

この数日で朝晩の冷え込みが厳しくなって来ています。
11月18日、みかんの収穫で真鶴を往復しましたが、
その途中、朝8時ころ平塚から見えた富士山です。

東京は午前6時ころは小雨が降っていましたが、
こちら平塚あたりでは、雲の切れ間から富士山が見えました。
しかしそれも午後には雨雲の中となり、数時間の姿でした。

みかんの収穫も、午前は夜半の小雨の雫を乾かせるためにひかえて、
午前11時過ぎから収穫開始して、1時間余で終了です。
まだ初期ですから、それほどみかんは色づいていません。
幸いでした。店じまいした後、ほどなく小雨が降りだしてきました。
木が濡れたら、収穫作業は出来ませんから。
作業を終了して移動しだしたら、降り出したというわけです。

いよいよ秋から冬へ、季節が移りだしています。
この数日、下界は小雨が降りましたが、
富士山は雪が吹き荒れていたでしょう。
おそらくこの瞬間、今もそうでしょう。
すそのの全体にうすく雪がついていたし、
だいぶ下まで降りてきています。

富士の白雪-富士山の姿は下界の寒暖計の働きをしてくれます。
すそのに雪が降りてくるほどに、下界の寒さもきびしくなってきます。
みかんが色づくには、適度な昼夜の寒暖の差が必要ですが、
その寒さがやってきているということです。
冬がすぐそこまで来ていることを示しています。


今年のみかんの収穫は、始まりが遅い

2010年11月18日 05時19分58秒 | みかん栽培

始まりが遅い、今年のみかんの収穫の特徴

11月15日、今年3回目のみかんの収穫に行ってきました。
神奈川県西部の真鶴のみかん園でことです。
今回は、早生みかんを1コンテナ収穫してきました。

今年はあちこちで、みかんの色づきが遅れているとの話を聞きます。
みかんの収穫のはじまりについて、今年と去年とを比較してみました。

去年                   今年
10.24 味見
10.28 早生0.5c収穫
10.31 早生2c
11.3  早生4c            11.3  味見
11.7  早生5c            11.7  早生1c収穫
11.15 早生2c、フツウ1c     11.12 早生1c
                       11.15 早生1c

収穫の量については、扱う木の本数で多少の違いはあるにしても、
収穫の時期については、早生ウンシュウとフツウウンシュウについて、地域では類似しているでしょう。

これで見ると、みかんの収穫、つまりみかんの色づきが、去年より1週間から10日遅くなっています。
早生では、去年は今ごろは山場を過ぎていたのに、今年はこれからはじまりです。
フツウウンシュウミカンについては、本格的には11月末から始まりですが、
今ごろ、いつもなら少しは見られるはしりの部分ですが、まだまったく早すぎて手出しが出来ません。

このみかんの色づきの遅さですが、
これは、秋から冬への移行が、今年は例年と比較して暖かいこと。
朝晩の冷え込みが比較的に弱く、昼間と夜間の温度差が少ない事を示しています。
みかんの色づきは、紅葉のすすみ方と同じですね。

では、このままのペースで、すべてが後ろにずれていくかというと、違います。
年末の収穫の終わりは、ほぼ同じですから、どこかで遅れの巻き返しがある。
色づきが急速にすすみだす時があるということです。
その時は、色づきの速度に対応して、収穫作業のテンポアップがもとめられるでしょう。
今はスローでも、やがてネコの手も借りたくなる時がありうるということです。

とにかく、そうした特徴をもちながらも、みかんの収穫作業がはじまり出しました。


だんだん園の収穫祭の食卓は(その4)

2010年11月17日 19時39分39秒 | みかん栽培
だんだん園の収穫祭(その4)

11月13日、小田原・早川のみかん園(「だんだん園」)での収穫祭。
みかんの収穫を中心に、回を重ねてきている交流会です。

みかん畑に用意されたテーブルには、手づくり料理の品々がならんでしました。
それは主催者のご家族が、創意工夫して、手間暇かけて準備したグルメの数々です。
カボチャパイ、赤飯、ラッカセイ、パン、漬物、梅ジャム、ブルーベリージャムなど。
さらに、シイタケやサトイモを煮こんだみそ汁。
ほとんどが「だんだん園」で収穫された作物です。

交流会には、この地域のコメ生産者や、農業を営む人たちがいます。
遠方の東京、千葉、横浜から参加した家族ずれの人たちもいます。

その場所は、相模湾を望む早川の石垣山の中腹です。
段々畑がひろがるみかん園の中での交流です。

みかん狩りを楽しみ、みかん畑の自然を満喫し、生産者の人たちの苦労を知る、
そして豊かな産物の数々のもてなしを味わえた、
まさにみかん体験と、楽園のようなひと時でした。

企画・準備されたSさん、ご苦労様でした。
みかんの収穫作業の大変忙しい中を、ありがとうございました。

小田原・早川のみかん畑(その3)

2010年11月16日 05時12分49秒 | みかん栽培
早川に広がるみかん畑(その3)

早川のみかん畑で、11月13日行われたみかん狩りですが、
みかん畑が山肌にひろがる様子を紹介します。

遠くから眺めるだけで、間近に見る機会はなかなか無かったのですが、
今回、だんだん畑のみかん山に踏み込まさせてもらいました。
一見して、大変な仕事だということが分かります。
農道の幹線は、路も整備されていますが、
枝葉の搬送は、みかんを籠にかついで運び出すしかないでしょう。
みかん畑を管理する仕事は大変な労働です。
静岡のお茶畑もそうですが、綺麗なんですよ。眺めている分には。
しかし、そこで生産する仕事となると、大変な苦労が必要となります。

この地域のみかんづくりも、
大きな活気があったのは、戦後から1970年前半くらいにかけてでしょうか。
終戦前後から、山肌を切り開いて、段々畑をつくったようです。
大きな情熱が、山々の景観をかえて、みかんの産地にしました。

早川に関しては、紹介したように、(よく紹介できてないんですが)
三井財閥の番頭さんが、私財を投じて、山肌を開拓したこと。
その努力も、大きな力の一つだったようです。
今でも山で頑張っている人もいますし、
農家の人たちから、敬意をもって語られています。