みかん栽培と、その周辺の四季

みかんの木を栽培しています。四季折々の周辺作業を紹介したいと思います。これを通じて交流できたらと期待しています。

みかんの実が、4.5センチに

2009年07月31日 07時14分40秒 | みかん栽培
みかんの果実が肥大しています
これはフツウウンシュウミカンの果実です。
7月26日に、枝先に目立つものを撮りました。
大きさを測ったら、4.5センチに育っています。

ウンシュウミカンの収穫は、早生が10月下旬からですが、
このフツウウンシュウは11月上旬からです。

すでに梅雨の雨で、畑の土は水気を十分とっています。
甘いみかんができるには、夏の暑い日差しが大事になってきます。
気候は例年と比べると、今年は少し違いが指摘されます。
まだ梅雨明けころだというのに、秋の象徴のヒグラシが鳴きだすくらいですから。
多少の編差はあっても、そうした中でも、
夏から秋へ、みかんの果実が順調に育ってほしいものです。

今どきのスダチの実

2009年07月30日 20時24分42秒 | みかん栽培
スダチの実です

スダチの木が1本あります。
2004年8月に植えた木ですから、5年生です。
去年、一昨年くらいから、果実を沢山つけるようになってきました。

写真は、7月26日のひと枝の様子です。
多分に実をつけ過ぎているようですが、
それは自然に任せて、あえて摘果はしません。
今年もたくさんの収穫が期待できそうです。

スダチの収穫は、9月中旬のころから始ります。
みかんの収穫は10月末からですから、
それより少し早くから、スダチの風味が味わえるようになります。
12月初旬くらいまで、毎回少しずつ収穫が続いていきます。

スダチの利用ですが、サンマや豆腐に、しぼってかけると、味が引き立ちます。
四国の人たちは、うどんにかけて食べるそうです。
和食には、季節の味と香りを添えるために、欠かせない存在のようです。
私などにでは、まあ無くても別に問題はないのですが、
しかし、グルメの人の中にはこだわる人がいるようです。
あれば、あったで、よりいいんじゃないかとは思っていますが。

「雑草」という草は無い

2009年07月29日 22時17分34秒 | ミカン畑の周辺

「雑草」を解明しようとおもっています

基本的なことですが、「雑草」という草はありません。
必ず、個々の草には固有の名前があるのですが、私などの意識では「雑草」の一言にくくられています。
最近、何とか、せめてその雑草の固有名詞が何なのか、知ろうと思い始めているところです。

この時期に、みかん畑でよく見かける草は、エノコログサとメヒシバです。
写真には、7月26日に真鶴で撮影したものですが、
雑草の中に、メヒシバの特徴的な穂先が写っています。
穂先が七本くらいに細くわかれていて、はたきのように広がっているのが特徴です。 他方、メヒシバと茎の様子がよく似ている草ですが、エノコログサがあります。
よく一般には「猫じゃらし」と言われている草です。

両者は、穂先の形こそ、はっきり違っていますが、
根元と穂先の途中の、茎の様子については、たいへんよく似ています。
この二種、メヒシバとエノコログサが、何といってもこの時期の強敵です。
この時期に「雑草」、「夏草」としても草刈り対象にしているのは、この二つです。
大汗をかいて草刈りをしているのは、この二種類の「雑草」です。
ともにイネ科の一年草で、この時期にひと雨ごとに繁茂して来ます。

最近、あらためて気がつきましたが、
メヒシバとエノコログサは、都会の道端でもよく見かけます。
東京の板橋区、中山道沿いの道端でも、よく見かける二種でもあります。


みかん畑、効果があったカミキリムシ対策

2009年07月28日 20時22分26秒 | みかん栽培
カミキリムシを3匹駆除しました

7月26日のみかん畑でのことです。
1匹目は、みかんの木の根元で加害しようとしていた生きているカミキリムシでした。
今回は、その他に2匹、根元の近くで死んでいる死骸を見つけました。
この間に実施したカミキリムシ対策が、ある程度は効果があったということです。

この6-7月の時期に合わせて、
1.根元周りの草刈り、2.基幹の防虫剤の塗布、3.スブラサイド剤の散布、4.巡回しての監視、それらの全体的な駆除活動の成果です。
6月27日に最初のカミキリムシを発見してから、その後みかん畑に来た日に、連続5週にわたり「毎回安打」でした。
今回の3匹を含めて、合計で16匹になります。

もしも、それらの活動を防ぐことなく許していたら、
ミカンの木はこの1-2年の間に、かなりのダメージを受けていたでしょう。
もしかして枯らされてしまった木もあったかもしれません。
しかし、今回駆除できたのは、実際のごく一部です。
実際には、もっともっとたくさんのカミキリムシが活動しているはずですが、
確かなことは、少なくとも、その内の16匹の加害の動きを止めたということです。

それは、みかんの木を守る上で、この時期の重要な成果だったと思っています。

みかん仕事の後は、湯河原温泉

2009年07月27日 22時35分34秒 | みかん栽培
みかん仕事の後、湯河原温泉「ゆとろ」でひと休みです

7月26日は、すでに5連続で週末をカミキリムシと対じしてきました。
今回は、みかん畑の見回りだけにして、休養を心がけるようにしていました。
それでも、いざカミキリムシと出合うと、対抗心が働きだします。

午前5時半発で、午前8時から10時近くまで作業をして終わりにしました。
こちらの体が、それ以上根をつめると、おかしくさせられてしまいます。
午前10時、直ちに後片付けをして、湯河原温泉に移動しました。

この頃の箱根路は国道一号線が渋滞します。
進路を逆にして、隣町の湯河原温泉・「ゆとろ」に向かいました。
『ゆとろ嵯峨沢の湯』(神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜1191 0465-62-2688)
日量400トン、単純アルカリ性イオン泉です。
入浴料は、1050円。車で10分くらいのところです。

ホームページもありました。
http://www.yutoro.co.jp
ここも、おすすめの日帰り温泉です。

みかん畑で大汗をかいて、くたびれた後は、何よりのひと時です。
これで、体もシャキッとして、帰りの運転も軽快なドライブにかわります。

クマゼミ

2009年07月26日 19時51分16秒 | ミカン畑の周辺
クマゼミ-神奈川県西部です

7月26日、みかん畑を見回っていたら、何やら上から落ちてきました。
セミでした。飛び立つときの鳴き声からしてクマゼミです。
ところは、神奈川県真鶴町でのこと。

クマゼミの「シャー、シャー」との鳴き声はときどき聞くようになったのですが、
高い木の上なので、その姿はなかなか見れません。
こうして近くで見れるのは、めずらしいことです。

ニイニイゼミはどこでも共通かと思いますが、
クマゼミは、同じ関東平野でも、東京にはまったくいません。
東京で鳴いているのは、ミンミンゼミとアブラゼミです。
この80キロの間に、すみ分けの境界線があるようです。

お茶の木を整姿剪定しました

2009年07月25日 22時02分12秒 | ミカン畑の周辺
お茶の木を整姿剪定しました

7月19日にお茶の木の整姿剪定をしました。
すでに、7月19日にその時のことを紹介していますが、

この剪定は大事だったと思います。
カイガラムシがお茶の木につきやすいことを実感しています。
剪定することで、太陽の光が内部に当たるようになると、
そのカイガラムシは居場所を失います。
薬剤散布もたしかに大事ですが、剪定はもっと大事だとおもいます。

これまでは、ミカンの手入れのことで手いっぱいでしたが、
今年からは、お茶の木の管理についても視野に入りました。
「夏も近づく八十八夜・・・・」です。
これまでよりは、少しは頭と手をかけようとおもっています。

7月19日の剪定も、試みの一つです。
来年は、また美味しいお茶が出来るように、今からそれへむけての第一歩です。

紀貫之『土佐日記』とみかん

2009年07月24日 20時31分22秒 | みかん栽培
紀貫之『土佐日記』とみかん

承平4年(934年)に書かれた『土佐日記』。
著者の紀貫之が、四国の土佐守として四年の任期が終えて、京都に帰る間の旅路でのことを書いています。
12月21日の門出から2月16日に自宅に門入りするまでの日々の日記です。

南国土佐の長官だったわけですから、
みかんのことが、どのように描かれているか注目したのですが、
読んでみると一言もみかんの記述はありませんでした。

当時は電車もバスもありません。船旅です。
土佐の館を門出してから京都の自宅に帰るまで、今なら半日はかからないと思いますが、じつに55日もかかっていました。
京都に近づくと、梅や桜、松などが話題にのってきますが、
みかん(橘)については、一言もありませんでした。

紀貫之は、『古今集』の編者の一人です。
何らかの形で橘についてふれているだろうと期待したのですが、ありませんでした。季節が反対側だという事情もあったのかもしれません。

それでも梅については、2月9日の渚の院のところで、
「(難波から淀川を漕ぎのぼって)渚の院を見ながら進むと、背後の岡には松の木が、中の庭には梅の花が咲いていた。ここは、故在原業平中将が、

 世の中にたえて桜のさかざらば春の心はのどけからまし

という歌を歌ったところだ。
それに対して、今ある人は、似たように、

 君恋ひて世を経る宿の梅の花昔の香にぞなほ匂ひける

などと歌をたのしみながら、都の近づくのを喜びつつ、川をのぼっていった」との記述がありました。

 しかし、みかんに関しては、一言も記述されてはいませんでした。

金柑の花に実がつきました

2009年07月23日 20時30分21秒 | みかん栽培
プチマル金柑の実です

金柑の木には、花とともに実がついていいます。
このブチマル金柑の木は、2005年9月に植えた4年生の木です。
この写真は、7月19日に撮ったものです。

金柑の花というのは、ユニークな性格を持っています。
金柑以外の柑橘類の花は、そのほとんどが5月上旬に咲きます。
一般にみかんの花の季節というのは、5月のゴールデンウィークのころです。
ところがどうしたわけか、金柑の花だけは、
それよりも遅れて、7月の今の時期に咲いています。

しかも、金柑の花は、実が結果するまで、
2回でも、3回でも、時をずらせて開花の山場を作ります。
この写真では、一方の枝先には実がついています。
他方、その隣の枝には、つぼみがふくらんでいます。
このつぼみは、開花としては2番目の山場にある花のようです。

まだ幼木の部類ですから、それほど実はつけません。
今年の1月に初めての収穫がありました。
10個くらいだったと思います。
さて、ことしはどういうことになるでしょうか。

初夏、今時のフツウウンシュウミカン

2009年07月22日 20時12分26秒 | みかん栽培
初夏、みかんの果実です

7月19日は、関東地方も梅雨明けしたとはいえ、まだ曇りがちの天気でした。
しかし初夏に入っていることは確かで、蝉もニイニイゼミから鳴きだしています。
葉もの野菜も水不足になって、育ちが悪くなりました。

そうした初夏、この時期のフツウウンシュウミカンの果実です。
なかなかしっかりした実に育ってきているでしょう。
緑の常緑樹の葉のなかにあっても、しっかり存在が目立つようになってきています。
この間に自然による摘果作用、ジューンドロップを経て来ることで、
沢山の幼果のなかから、実際に生育していく果実が絞られました。
今では、ピンポン玉に近いくらいの大きさになってきています。

この時期、日曜農夫は、繁茂する夏草の刈り取り作業にとりくんでいます。
また、カミキリムシ退治などの病害虫を駆除する作業にもあたります。
秋に人前に出せるようなみかんをつくるためには、一般には目立たない作業なのですが、だがしかしこの時期の手入れこそが肝心になっています。

初夏の強い日差しの下で、また週末にしばしば降る雨の下で、
おおいに日曜農夫は汗を流しています。

ミカンの木に、またしてもカミキリムシの羽化穴が

2009年07月21日 21時05分21秒 | みかん栽培
またミカンの木に羽化穴があいてました

梅雨明け早々の、7月19日にミカンの木を見回ったところ、
またしても何本かの木に、カミキリムシの新しい羽化穴が出来ていました。

ミカンの木への加害は、この数年来の駆除対策により、
基本的には防いでいると思っていたのですが・・・。
ショックですね、甘かったようです。
実際には、羽化穴の出現したということは、
木の内部からカミキリムシが羽化して、成虫となって出て行ったということです。
この2年間、気付かなかった内に、幼虫が基幹の内部を食い荒らしていたということです。防除の対策が十分ではなかったということです。

この日、7月19日は、風が強くなったので、草刈りに作業を切り替えたのですが、
午後1時までの数時間の作業を通して、ミカンの木の基幹部分や付近の草むらで、
新たにカミキリムシの成虫を4匹を駆除することになりました。
ミカンの木は、全部で20本余しかありません。
そこで、今年になって、6月下旬からカミキリムシを全部で13匹を駆除したのですから。もちろん見つけれたのは、実際の動きのごく一部でしかないのです。
ほとんどの木が加害されているということです。

当初、6月末の初めの頃は、枝先の葉で見つけることが多かったのですが、
このところは基幹の根元付近になっています。
これまではゴマダラカミキリムシがすべてだったのですが、
それより小型で斑点のないカミキリムシも3匹まじっています。
基幹を加害しようとする、ちょうどその位置で見つかるようになってきています。

ミカンの木の基幹には、6月7日に防虫剤を塗布してあります。
だからカミキリムシは、基幹へは寄り付きにくいはずなのですが、
それでも防御策をくぐりぬけて、加害していたということになります。
今でも加害される危険が十分あるということです。

従って、まだまだ、もうしばらくは、少なくとも8月上旬までは、
カミキリムシを寄せ付けさせないように、ミカンの木をめぐる攻防戦が続きます。

梅酒と梅干です

2009年07月20日 17時43分40秒 | 
梅酒と梅干です

去年に仕込んだものです。
梅酒は去年の6月1日に仕込んだもの。
梅干は去年の7月29日につけたものです。
小田原の近くなので、なおのこと、
各家庭で自家製がつくられていると思います。

大方のものは、すでに胃袋の中へ消えてしまっていますが、
古酒や年代物になっていく味を比較しようと、少しだけとってあります。
もちろん今年の分の仕込みは終えています。
小田原の老舗の店先には、戦前に着けた梅干が棚にありました。

今の時期に味わえるのは一年ものです。
手をつけずに我慢してきた副賞です。
やはり一年間、我慢しただけのことはあります。
それぞれ最高の味です。
(もつとも自分で作ったものは、みな最高に感じるようですが)

初夏の暑さがこたえるこの時期に、
暑さを忘れさせてくれる、
とょっとした味わい、贅沢なグルメです。

めずらしく富士山が見えました

2009年07月20日 08時37分44秒 | 南神奈川の自然
笠雲のかかった富士山です

昨日、7月19日は全体としては曇り空。
週末、用事で平塚・小田原方面を通るのですが、
昨日は、近頃ではめずらしく富士山が見えました。
日常的には見える時もあるのでしょうが、
週末に関しては、4月頃から雲の中にかくれて見れませんでした。
梅雨の天気とは、そうしたものとあきらめていたのですが。
昨日は違っていました。

背景は曇りなのに富士山が見える。不思議です。
富士山の上半分には笠雲がかかっていました。めずらしい景色です。
どうやら曇っていいても、雨の心配はなさそうです。

笠雲と関係があるのでしょうか。
小田原方面では、風がときどき強く吹くようになりました。

お茶の木の整枝剪定をしました

2009年07月19日 20時45分25秒 | ミカン畑の周辺

お茶の木の整枝剪定

7月19日は関東地方は、雨こそ降らなかったものの、時々強い風が吹きました。
ミカン畑の薬剤散布を予定して出かけたのですが、
時々強い風が吹いてくるので、散布作業は途中で断念しました。

そのかわり、お茶の木の整枝剪定をすることができました。
お茶の木の枝先を刈り込むことで、来春に穂先がそろうようにして、
茶摘みをしやすくするために下準備をしておくわけです。

この地域は、みかん畑のまわりに、お茶の木がよく植えられています。
お茶の木は、低木なのでミカンの木の日照を妨げないし、
土手の崩落をまもってくれるためでもあります。
加えて、自前の新茶を楽しめるわけです。

5月の連休の頃、 八十八夜のころは、茶摘みが行われます。
ちょうどミカンの花がさいて、その香りが漂っているころです。
この地では、その時、製茶工場がかどうします。
JAの運営して、期間限定、7日間くらいでしょうか、稼働させます。
それぞれの農家は、摘んだ茶葉を工場に持ち込むことで、お茶にしてもらいます。
自分のところの茶葉をつかって、自前の新茶を味わえるわけです。
すでに40年来、その時期はずっと製茶工場は稼働し続けているのだそうです。

そうしたことを、60年近く生きてきて、ちっとも知りませんでした。
このあたりの人たちは、当地は茶どころではけっしてないけれど、
農家というほどの農家もないのだけれど、
ミカンの花の咲くころに、旬の新茶の味をずっと楽しんでいる。
だれが初めに企画し、現実化したものかは、わかりません。
しかし、今では当たり前な、自然になっています。
なかなか粋なことをしたものだと感じます。


スダチが生育しています

2009年07月18日 10時41分39秒 | みかん栽培

スダチが育っています

スダチの小木が一本あります。
2004年8月に植えた木ですから、5年生になります。
まだまだ小木です。

写真(7月12日)から、果実をつけているのがわかるでしょうか。
この一、二年に、果実を一段とたくさんつけるようになっています。
どうも土地がらとの相性も良いらしく、
去年に続いて、今年も続けての豊作です。
200個以上なると思います。

あと二か月間が過ぎたら、9月の半ばから、ぼちぼち収穫が始まります。
早生ミカンの収穫よりも、だいたい一カ月はやく、先行しての収獲です。
それから11月いっぱいくらいまでは、収穫を楽しめます。

食材として、スダチをどう生かすか、そこが問題になります。
焼酎に絞る、豆腐やうどんにかける。スダチ酒。
これくらいしか私にはレパートリーがないのですが・・・・。

何か他にスダチの利用の仕方を、
ご存知の方は、教えていただけると助かります。