みかん栽培と、その周辺の四季

みかんの木を栽培しています。四季折々の周辺作業を紹介したいと思います。これを通じて交流できたらと期待しています。

戦いに負けた源頼朝の危機脱出-謡坂

2009年06月28日 12時18分56秒 | 南神奈川の自然

謡坂は頼朝が危機を脱出したところ

今回は、郷土の歴史の紹介です。
神奈川県真鶴町岩のバス停留所「謡坂」のすぐ向かいに石碑があります。
石碑は古く苔むして、読もうとしてもなかなか読めません。
「うたいざか」とは、なかなかしゃれたネーミングだと思いませんか。
この町にミカン畑があり、そこは帰り道によく通るところです。

源頼朝は、平家の打倒の旗を掲げたものの、初戦の石橋山合戦に負けます。
1180年8月23日、台風の中での戦いだったようです。
ざんばら髪になり、数人になり命からがら箱根の山に逃げたようです。
『平家物語』(卷第五 早馬)には、平家方の大軍が押し寄せせめたてられ、頼朝は7,8騎になるまで負けて、「大わらわにたたかいになって、土肥の椙山へにげこもり候ひぬ」と報告されています。
当時、この地は、湯河原・真鶴あたりは土肥実平の領地だったとのことで、
実平は、平家方の厳しい追討軍の探査から頼朝をかくまい、山中を逃げ回った後で、この岩海岸から遠く隔たった房総半島へ、頼朝を小舟で逃がしたということです。

命からがら逃げて、ここまで来た時に、ようやく「助かった」と確信したのでしょう。
実平が、これまでの無事を祝い、前途を祈ってこの坂道で歌い踊ったというのです。
しかし、ここから房総の対岸は、晴れた日に水平線にかすかに見えるくらいです。
小さな船でこぎ出す気など考えもつかない、なかなか危険な船出のはずです。
漁師の助けがなければ、いやあったとしとても渡れるものではありません。
しかし、実平は確信していたのでしょう。
前途にどんな危険や困難が待ち構えていたとしても、この数日間に体験した危険と比べたら、それ以下ということはないことを。
それで思わず、謡い踊りだしたくなったのでしょう。
それが語り継がれて、「うたいざか」の地名として残ったのです。

頼朝は、この危機を脱出し、ここ岩海岸から千葉に逃れることができたこと。
結果的に、味方となる兵力を集めることが出来きて、
それから源平の戦いが始まりだすわけです。

今回は、みかん畑のある故郷の残された、歴史のエピソードの紹介です。