雜感(追記)
私は「良心に基く自由」を重んずると考へるが、この自由や或は個人と云ふ考へには注意が必要である。吾々國民にせよ、何にせよ自由だの個人だのと云つてゐれば、道徳的にをかしくなるものだが、殊に天皇皇后兩陛下や御皇室の方々にいたつては、自由だの個人だのと語られるやうでは困る。
天皇陛下が個人としてのお氣持ちを述べられてはならないやうに、皇室の方々にしても、自由だの個人だのと云はれるやうでは、示しがつかない。天皇や皇室については血統が大事といふのは勿論だが、その大前提を土臺にしたうへで、天皇陛下や御皇室の方々には、無私と云ふ在り方が求められる。
佳子内親王は、眞子内親王の問題について、
と述べられたと云ふ。
が、皇室に關して、「當人の氣持ち」だの「一個人としての希望」だのがあつてはならないし、抑、皇室の方々がお「考へ」を述べられる事自體、あつてはならないのである。
それに何より、皇室の方々ではなく、一般の國民であつても、常識的な人間であれば、結婚となれば、「一個人」の問題に終始せず、それは家と家との問題である。
「天皇と國民、有徳である事と無知」
「紀元節にて日本の傳統的精神に就いて考へる」
「神事と天皇」
私は「良心に基く自由」を重んずると考へるが、この自由や或は個人と云ふ考へには注意が必要である。吾々國民にせよ、何にせよ自由だの個人だのと云つてゐれば、道徳的にをかしくなるものだが、殊に天皇皇后兩陛下や御皇室の方々にいたつては、自由だの個人だのと語られるやうでは困る。
天皇陛下が個人としてのお氣持ちを述べられてはならないやうに、皇室の方々にしても、自由だの個人だのと云はれるやうでは、示しがつかない。天皇や皇室については血統が大事といふのは勿論だが、その大前提を土臺にしたうへで、天皇陛下や御皇室の方々には、無私と云ふ在り方が求められる。
佳子内親王は、眞子内親王の問題について、
姉が結婚に關する儀式を延期してゐることについてですが、私は、結婚においては當人の氣持ちが重要であると考へてゐます。ですので、姉の一個人としての希望がかなふ形になつてほしいと思つてゐます。
と述べられたと云ふ。
が、皇室に關して、「當人の氣持ち」だの「一個人としての希望」だのがあつてはならないし、抑、皇室の方々がお「考へ」を述べられる事自體、あつてはならないのである。
それに何より、皇室の方々ではなく、一般の國民であつても、常識的な人間であれば、結婚となれば、「一個人」の問題に終始せず、それは家と家との問題である。
「天皇と國民、有徳である事と無知」
「紀元節にて日本の傳統的精神に就いて考へる」
「神事と天皇」