三浦瑠麗著「21世紀の戰爭と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされてゐるのか」(新潮社)
けふ、廣島の丸善にて購入。まづは「あとがき」を讀んだ後、本文を讀んでゐる最中であるが、感情論を一切廢した「戰爭と平和」に關する論攷である。そして筆者である三浦氏は、民主國家の國民であれば、誰もが、戰爭を「我が事」として捉へる仕組みが、平和實現の爲に必要と主張してゐるが、之に感情的に反對する「平和主義者」は、今の日本――殊に私が住んでゐる町の廣島市民――に多いだらう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/cb/28c8657d24128183a622d2544aeb1c21.jpg)
三浦瑠麗著「21世紀の戰爭と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされてゐるのか」(新潮社)
けふ、廣島の丸善にて購入。まづは「あとがき」を讀んだ後、本文を讀んでゐる最中であるが、感情論を一切廢した「戰爭と平和」に關する論攷である。そして筆者である三浦氏は、民主國家の國民であれば、誰もが、戰爭を「我が事」として捉へる仕組みが、平和實現の爲に必要と主張してゐるが、之に感情的に反對する「平和主義者」は、今の日本――殊に私が住んでゐる町の廣島市民――に多いだらう。
かうして私の中に、民主國家には彼ら(※自衞隊)をきちんと處遇し、死地に追ひやらないやうにする責任があるといふ發想が芽生えた。讀者の中には、私が子供を持つ母親として徴兵制を論じることに忌諱感を抱かないのかと、いぶかる方もゐるかもしれない。けれども、子供を戰火から遠ざけようと思へば、やはり私はこのやうな形で本書を書くしかなかつた。戰後秩序が崩れようとしてゐる現代の世界において、民主國家が平和を守つていくためには、國民が戰爭を「我が事」として捉へる仕組みがどうしても必要だ。實際、それは私たち自身のことなのだから。
本書「あとがき」より(※本書は略字現代假名遣ひ)
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三浦瑠麗著「21世紀の戰爭と平和――徴兵制はなぜ再び必要とされてゐるのか」(新潮社)