みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

期日前

2012-12-06 22:17:50 | 日記

期日前投票に行ってきた。初めてかも(。・_・。)ノ
マスコミの情報操作に影響されることなく「経験」と「考え」と「感」に従って投票した。

その後 吉野に向かい吉野山にある「金峰山寺・きんぷせんじ」に行ってきた。
真夏の金峰山寺や 全国の鬼たちが集まってくる節分には良く訪ねるが、冬まっただ中に訪ねたことは無かった。

寒い。気温は3℃ぐらいかな

でも、秘仏の蔵王権現がご開帳されていた。しかも9日まで。

好運!

秘仏を拝んで 本堂を出ると西の山に夕日が正に沈みかけていた。

三年前の真夏の興奮は すっかり遠い昔。

金峰山寺に吹き荒ぶ寒風はほんとうに冷たい

大淀から下市口、明日香から橿原、大和八木を経由して里寺に戻った時には 氷点下になっていた。

北海道では またもや冬の嵐。

もはや冬の嵐では表現が物足りない

有り難くない 「物足りない」
科学は必要以上に進化したものの、人類の意識が足踏み状態。

東北の次は、奈良と和歌山の山間部。そしてこの冬は青森や北海道。

警鐘はいやと言うほど鳴り響いている。

次は何だ?次は何処だ?
人間の意識次第だ

A NEW DAY

2012-12-06 12:12:57 | 日記

父から子へ

時は選べない

昨夜、今年最後の老人会があった。

仏教の老人会ではないが、参加者は阿弥陀さんを拝み、念仏し、龍樹菩薩の「十二禮」をお勤めする。

住職としての挨拶が毎回ある。寺に戻って来て暫くは「何時も同じ面子の老人たちに話をするっていってもなー」と 心のこもらないスピーチをしていた。

話しておきながら、どうでも言いような内容に自己嫌悪で ますます老人会での挨拶が嫌になって行った。

ある時 ため息をついていると「いやいや話すのは嫌だろうが、老人に取ってはこの老人会が最後かも知れない。老人は話しを聞きたがっている。内容は何でもいい。老人に取って話しを聞くことは生きてる証しなんだ」とアドバイスされた。

確かに。その通りだ。

この数年で顔なじみの老人が数人来なくなった。

老人会では 大した話しや話し合いは無いが、毎月の会合に顔出して、話を聞いたり、話したりすること自体が大事なんである。

ちなみに昨夜の拙僧話し。先ず「ほんこさん」への参加御礼、草引きやお供物作りなど準備に対する感謝を述べた。140年前の前卓(香炉や花瓶、燭台を置く机)を修理するタイミングが来たので修理に出したことを話す。

本堂の仏具だけでなく、寺の住職もガタがきていて、椎間板ヘルニア+脊柱管狭窄で坐骨神経痛があること。猿にスコップを投げて 肩の腱が断裂してることを話しした。

私も修理が必要な年だと
軽くジャブ話しをして 拙僧の同年代の中村勘三郎さん死去についてコメントし、生死は順繰りでは決してないと話す。

今の年寄りと我ら中年だったら間違いなく お年寄りの方が元気ですよね とありきたりな話しもした。
気の利いた道理や仏法話しでも出来たら良いが、なかなか難しい。

結局 凡庸に話しを締めくくった。

人生を80年近く生きてきた老婦人9名の顔をしみじみと眺めた。

深い深いしわの中に 在りし日の若さと輝きを垣間見た。

ひとりひとりの人生が まるでフランスのオムニバス映画のように見えてきた

何故かアリアリと…

この里に縁があって嫁いで来た時から 昨夜に至るまでのそれぞれのヒストリー
ラスベガスに招待されて 見た CELINE DIONの「A NEW DAY」のストーリーのようでもあるし

在りし日の銀座シネスイッチで観た「new cinema paradise」の感傷だった。

老婦人や老人たちの シワに刻まれた歴史 人生がじんわりアタマに浮かんだのだ。

日本が貧しい時代や 負けた時代から

裕福で自信を取り戻した時代を生き抜いてきた老人たち

コレからの日本は それこそ熟成文化の次元に突入する。

政治だけでは 次元シフトは出来ない

政治を動かす 有識国民の数と質が一番大切だ。

老人たちの歴史と人生に幸せと感謝を感じつつ

新たな時代を幕開けと 願い 動き続けることを

地味に しみじみと 念じた。

new paradiseから ニュー パラダイム

コレからの

A NEW DAY