みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

晴天だ 空気もいいぞ

2012-11-25 10:55:01 | 日記
今朝は霜がバリバリ

空は真っ青

真っ青に 紅葉は更に映える。

あーー 気持ちいいー
でもって拙僧の病状と言えば、 痛み度数変遷(指数100→我慢出来る限界の痛み)

16日→100 17日→180 18日→100 19日→140 20日→100 21日→120 22日→100 23日→110 24日→80 25日→85

一週間を経て 一昨夜初めて熟睡出来た

嬉しい。

痛みは日により、時間により波をウチながらもやわらいで来ている

嬉しい

もちろん ウンチは痛みでゆっくり出来ないし、風呂もシャワーだけだ。寝返りは下手にすると激痛が走る。
だが、激痛の感じが変わって来て、神経がねじ切られる激痛→焼け火箸で神経が焼かれる激痛→神経が熱く強く痺れる→その痛みが時々になる→痺れる姿勢にならなければ痺れの痛みは出なくなっている。

みたいな変化をしてきている。明らかに悪化はしてないようだ。

一番ワルい、ワルくなる姿勢は「椅子に座る姿勢」である。木で出来た四つ脚の椅子に長時間座っていたのが直接的原因だし、最後は国会議員会館の便所便座であった。

椅子は大事だ。しかし拙僧には合わない生活用具である。天敵は木の四つ脚椅子。

症状が軽くなったので、昨日はNさんちのおばあさん三回忌(&旦那さん33回忌)の法話に行った。まだ座ることは出来ないので、お勤めは頼んで、法話を立ちながらさせて頂いた。

異例な年忌法要だが、この三回忌にはどうしても お話しをしたかったのだ。
施主さんのYさんは拙僧の幼稚園の先生。受け口で美人で舞子さんのような風情の先生だった。

幼心に歌を唄う楽しさと華やかさを覚えたのは Y先生の存在が大きい。拙僧がロックボーカリストを目指した原点はY先生の「歌の授業」だと思うのだ。

自信を持ったのは、その頃母親らの前で歌った村田英雄の「王将」だった。西田さちこさんの「アカシヤの雨」も歌ったかも知れない。
未だに拙僧のフェバリエットシンガーは「西田さちこ」さんである。西田さちこと言うネーミング以外は180点だ。特に声は微妙に鼻にかかっていて若干かすれているが艶やかで天鵞絨(ビロード)のように滑らかで世界一の魅惑声である。みなさんご存知の「珈琲ルンバ」も西田さちこさんのヒット曲だ。

いずれにしても、拙僧の音楽の原点とも言うべき存在のN家・Y先生から年忌法要に当たって お願いと挨拶の手紙が来た。

年忌法要の依頼は電話のない頃は施主さんが直接寺に頼みに来られた。時代を経て「直接」「電話」が半々となっている。そんな中、手紙での依頼は珍しい。

Y先生からの手紙は達筆であった。

字が美しいのはワルくない。文面から香水のかおりがするかのごとくである。
そして、また その内容には「三回忌法要」に対しての「万感の思い」が込められていた。

枚数にして二枚程度の簡潔な文章だが Y先生の気持ちがこもっている。

亡くなったおばあちゃん(Y先生のお母さん)三回忌法要と併せて33年前に亡くなったご主人の法要の依頼である。

文面を要約すると「33年前にご主人が47才で亡くなったこと。その時息子は高校二年生。娘は中学三年生。育ち盛りだけどY先生は仕事で家に居ない。その留守を守り、母親・父親替わりに二人の子供を育ててくれたのは二年前に亡くなった母親(おばあちゃん)だった。96才と言う長寿は先に亡くなった主人の分も生きたのではないか…」と言うものだった。

簡潔な内容だが、文面の奥におばあちゃんに対するしみじみとして深い感謝の気持ちがジンジンと伝わってきたのだ。

座れないし、腰掛けられないから 法事のお勤めは出来ないが「お話し」だけは、やはり、させて頂こうと決めた。

まともに歩けないが、立っては居られるので送迎してもらい。お話ししに言った。

Y先生に許可いただきながら、手紙を読み上げ、息子さん、娘さん、それぞれの配偶者とその子供さんたち、血縁深いご親戚、近所の方々を前に お話しをした。

この法事に対する、亡くなったおばあちゃんに対する、また、早くに浄土に還られたご主人に対するY先生の思いの深さをしらされたこと、手紙に込められた「万感の思い」

その万感の思いを込めて お勤めするのが、法事法要であり、その中で念仏する「南無阿弥陀佛」は「おばあちゃん、ありがとう。ごめんなさい。そして、ありがとう」の思いのこもった尊い念仏である。とお伝えした。

自分が今、ここに生きて生かされている。

その不思議は 色んな方々の思いと支えによって成り立っている。

見える支えと見えないけれど必ずあるに違いない 支え。

Y先生の手紙を通じて、仏さんや仏さんに成られた方々の思いを知り、深めさせて頂いたのである。

お話しには行ったが、また仏法を知り、育てて頂いたのは私自信、みんなの僧自信だった。

みんなに教えるのではなく、
みんなに教えてもらってるのである

だから「みんなの僧」なんだよね きっと。

南無阿弥陀佛