真っ青な昨日と打って変わってどしゃ降りの里。
昨夜も熟睡出来た。嬉しい。
痛み常在だが、指数50まで引いてきた。
手塚治虫さんの「どろろ」と言う作品が好きだ。荒唐無稽なストーリーだが、もの凄く説得力があってずんずん引き込まれた。
親の「業・カルマ」によって生まれて来た子供には 有るべき器官(耳とか鼻とか腕、脚)がほとんどない。有るのは口と肛門だけみたいな、ナマコのような人間。
そのような赤ん坊を僧侶が拾い上げ、作り物の目や鼻や耳を造作して 曲がりなり曲がりなりに見れる程度に見た目をし、剣術士に仕立て上げた(ピノキオぽい?)
しかし、剣術士が戦うのは人間ではない。妖怪たち。親の業で、失われた器官は なんと妖怪たちが一つずつ奪って行ったのだ。
その一つずつの器官や臓器を奪い返す為に妖怪と戦い、妖怪を倒す度に 臓器や器官が戻って来て、再生するのだ。
剣術士に 無くした器官が再生する時には七転八倒の苦しみを伴う。
そりゃそうだ。
イキなり目が出来たり、腕が生えたりするわけで。そりゃ痛いで、イキなりやと
手塚治虫先生は宇宙レベルの天才漫画家だ。
ある種、どろろでIPS細胞による器官再生を予見して それに至るまでの人類のカルマも道破していたのだ。
欲と言うカルマに翻弄され、因果によって生まれた子供が宿業たる妖怪との決闘に勝ち、無くした臓器や器官を再生する。そして、再生時の痛み。激痛。
おんなじではないが、拙僧の激痛の要因たる、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄も 己の中のカルマから発生したものだ。
簡単に言うと、無理をする道理のないモノやコトにこだわり過ぎて、無理をしたツケの因果である。
無理を承知でしなくちゃイケナイコトも往々にしてあるが、よくよく、しみじみ考えると無理を承知で する事は 往々にして自己満足であったりする。
頸椎ヘルニアも椎間板ヘルニアも脊柱管狭窄もしかり。
激痛の一週間を経て、腰や左脚全部の痛みは 今や脹ら脛下部からつま先に感じるところとなった。
治ってきたと言うより、新たに再生してきた左脚の気がする。
どろろは親の業から器官を失って生まれてきたが 、拙僧はワルい意味での頑張り過ぎ(カルマ)で頸椎や腰椎の神経を損傷した。
結果、罪の無い左腕や左脚に激痛をもたらし、通う血管にもダメージを与えて筋力を著しく奪ったのだ。
自分の中の妖怪と闘い、左腕や左脚をちょびちょびと再生していくほかは無い。
敢えての修行も時には必要だが、日々是好日の如く、日常の行動と言動の制御こそ「修行」そのものだと
つくづく 思い至った次第である。
改めて、手塚治虫先生の「どろろ」読み返してみよう。
Amazonさんに注文だ