♪「わくらぎ」の部屋へようこそ♪ 

わくわくと安らぎをコラボしたら「わくらぎ」になりました。ワンコ好きが気ままに綴る日誌。よろしくお願いします♪

立ち上がりました

2014年10月10日 | わーく&らいふ

2014年10月2日、夫の念願だった仕事が正式にスタートしました。

生まれたての小さな会社ですが、

社会のお役に立てればの意気込みは結構大きいかも。

名前は【株式会社アイラック】です。

お時間のある時にでもHPをご覧いただければ幸いです。http://i-ruck.jp/

私も新人(笑)サポートスタッフとして、コミュニケータとして動いています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

そんなこともあって久しぶりにブログを開いて、

心機一転、ブログ名を変えてみました。マイナー過ぎるチェンジですが(笑)

同時に併設しているFBの基本データも追加工事をしました。

こだわりの強い趣味のコーナーは相変わらずですが、

よろしければチェックしてみてください。

 


会いたい人に会えないということ。

2014年03月10日 | わーく&らいふ

新聞のある投稿欄を読んで胸が詰まりました。

30歳という若さで息子さんが急逝し、7年たっても受け入れることなどできず、

空を見ても、人を見ても涙が溢れてくる・・・。

会いたくて会いたくて、息子に早く迎えに来てほしい。

夢で会えた息子をビデオに撮りたい。

 

そんなやり場のないつらい思いをしてこられた60代の女性が、

七回忌の法要を終えて、

母親がずっとこのまま悲しんでいても、天国の息子は安心してくれないだろう・・・

と思えるようになり、

やっと前を向くことができそうになったという思いを綴った投稿でした。

 

この7年間の悲しみ、苦しみ、つらさは、いかばかりだったでしょう。

 

とても慕っていた兄を急に失った森山良子さんも

「なだそうそう」(涙が次から次へあふれてくる)の歌に募る思いを込めていますね。

会いたくて会いたくて、きみへの思い、なだそうそう~~と。

 

 

60代の女性の投稿は

人生には思わぬ試練が訪れることを

心のどこかで覚悟していなければならないことを、示唆してくれました。

そして、その苦しみからいつか解放される日もくることを信じようと

思わせてくれる投稿でした。

 

3.11に寄せて。

 

 


この三連休が実質正月休み

2012年01月09日 | わーく&らいふ

この年末年始はちょっと緊張する来客があったため例年になくハードだった。
仙台出身の客人も2日には旅立ち、ダラッとしたのも束の間。4日から仕事始め。
故にこの三連休が実質正月休みなのだ。


そんな訳でショートに呟く暇もなかった分、ブログで振り返ってみよう。
そそ、年賀状でブログ読んで下さってる、と書いてくださった何人かの方々、
ありがとうございます。励みになります。

■さて、振り返りのトップは「踊る」ニュースのこと。(話題遅すぎにご注意!)

社会現象となり、邦画実写記録を塗り替え、数々の話題を提供してきた「踊る」が
9月公開のOD4でファィナルになると報道された。
その世界観や対立の構造と群像劇が好きでずっと追っかけてきた。
終焉は不意討ちではあったが「とうとうか、そうなのか」と受け入れるのに
さほどの困難はなかった。
最初に読んだツイッター記事に依るとファィナルの事件は
「エネルギーサミット」の時に起きるようだ。

映画・ドラマ関係者や脚本家はやはり昨年の3.11で起きた事、思った事を
角度は色々あれど抜きには語れないだろう。
お茶目な社会派を自負する「踊る」がどのようにそこを織り込むのか
暖かい目で見守り隊。
http://movies.jp.msn.com/news/article.aspx?articleid=811697


■次はNHK「紅白」と日テレ「笑ってはいけない」の振り返り。

大晦日のテレビ、我が家的には昔は紅白オンリーだったが
息子達の成長と共に「紅白」メイン時々「笑っては・・」になり
昨年はとうとう「笑っては・・」がメインになってしまった。

「笑っては・・」の作り方は、紅白の裏番組として実に良く出来ていると思う。
ストーリー性や連続性が全くないので
紅白の合間にちょっとチャンネル変えて
どこを切り取って見ても笑えるという気楽さがある。
ゲスト演者が大物であればある程、まじめに演じれば演じる程可笑しい。
(特に三田佳子さん。よくまあ演ってくれました!!!!!)

加えて、毎年のベタなマンネリズム(お約束)が更に笑いを誘う。
そんな連続性も年々支持を広げているのか、
昨年大晦日の民放視聴率ではトップだったようだ。(18.7%とか)

人は何故にこんなに笑いを求めるのだろうか。
笑ってる時って、そう言えばな~~~んも考えてない。
きっと脳のどこかのタガがはずれ、ストレスから解放されるんだろう。


■最後に駅伝の話題。

年末年始にかけて雪上や氷上のウインタースポーツも大好きだが、
駅伝やマラソンも大きな感動を貰えるスポーツだ。

注目は都大路の全国高校男子駅伝。
からの元旦の実業団ニューイヤー駅伝。
からの2日3日の大学対抗の箱根駅伝。

広島県代表の強豪世羅高校は昨年も優勝したが、
彼らが卒業して大学生となり箱根で、更に実業団で活躍という
その成長過程も見どころで毎年追っかけている。
そう!少年野球から甲子園、神宮そしてプロ野球での活躍を
楽しみにするという・・・あのオヤジ目線と同じですな。

そして広島に住む者にとっての駅伝の集大成は
天皇杯 都道府県対抗男子駅伝なのだ(1/22)

今年の見どころは箱根で前年のタイムを8分も縮めて
圧倒的勝利を飾った東洋大の山の神こと柏原キャプテン。
福島の代表としてエントリーするだろう、と言われている。

福島の苦しみに比べたら自分の苦しみは1時間ちょっと。
と故郷へ思いを馳せたコメントをしている。

同じく福島出身で早大から中国電力駅伝部に進んだ佐藤敦之選手も
福島からエントリーするのではないだろうか(願望だが)
広島で募金活動をし、被災した故郷に県人会を通じて
義援金を届けたという。(中国新聞)

広島世羅高校出身で明大の鎧坂は地元広島からエントリーするだろう。
箱根で3位への追い上げは凄かった。
もっとも最後10区は東洋大の独走ばかり映ってたから
どんな走りで順位をあげたかは不明。(ワイプででも映してほしかったよ~)

とにかく男子駅伝の正式エントリーは明日11日が
発表らしいから楽しみに待とう。

実質正月休みも今日で終わり。
さて、そろそろお昼の用意でもしよう。

あ、遅れ馳せながら本年もよろしくお願い申し上げます。


みなしごワンちゃんネコちゃん救援隊

2011年03月23日 | わーく&らいふ

うちの柴わんこを購入した元ブリーダーさんが被災地に行き、
押しつぶされた民家の周囲から犬1匹、猫4匹を保護して
広島で一時預かりをしています。
その新聞記事→
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103180201.html

元ブリーダーさんは今はペットの売買は一切やめています。
先日可愛いワンちゃんネコちゃんを見たくなって
立ち寄った時、知りました。
「もうペットを物のように売り買いするのがイヤになったんです」
(ペットホテルとトリミング、フードやグッズの販売は続けておられますよ)

そして今は
虐待を受け傷つき捨てられた犬やネコ、
飼い主の病気や高齢化、転勤など様々な理由から
飼えなくなった犬やネコたちを預かり譲渡するNPO法人として
活動されています。

 

今回の被災地入りもその一貫なのでしょう。

元ブリーダーさんは金髪に口髭で外見はいかついですが
心優しく、動物愛護の精神に富み、だからと言ってカタブツさんではなく、
話しててとっても面白い不思議な魅力の持ち主です。

以前ペットショップをされていた頃、購入時のセミナーは必須でした。
もちろん我が家も家族全員で当時のショップに伺い
犬の性質、しつけ方、病気について、心構えなどの講習を受けました。
こういうの、どこのショップでもやるもんだと思っていろんな人に
聞いてみても「そんな講習はなかったよ」の答えがヒャクパー。

そんな手間のかかることをして
まだ生まれて一ヶ月だったうちのワンコにめぐり合わせてくれたことに
感謝しています。


 


 
フィーリングカップル1対3(うちの柴ワンコ対ネコちゃんたち)


福島出張のその後

2011年03月20日 | わーく&らいふ

2011 3.11 14:46 

あれから10日たった。
なかなか気持ちがまとまらなかったけど
個人的な記録として書いてみようと思う。

11日(金) 仕事中に宮城沖で大地震、大津波があったことを知った。
数十分後、休憩から戻ってきた人から東京も震度6だと知らされた。

まさか?!
東京までそんな震度になる?というのが素朴な疑問だった。

15時過ぎに休憩がとれワンセグを見て愕然とした。

宮城沖に続いて福島沖、茨城沖と震源地は南下していたのだ。
関東の震度が6というのも理解できた。

社会人一年目の長男の勤務先は品川。
メールを入れたが即返ない。
男の子だからそんなもの。いつものこと。と思いつつも心配。

そして15:53やっと来た返事には
「今 福島県いわき市の〇〇発電所にいます。
こちらは無事なので安心してください。」

福島は震源地。
地図で確かめると息子のいる発電所は海辺にある。
しかし本人が無事というのだから一旦落ち着き、
夫と次男にも連絡。
二人とも知らなかった。


帰宅してTVで悲惨な映像が繰り返し映し出され、不安は増幅。
福島の原発の心配も重なりメールをするも返信なし。

阪神大震災で折込済みではあったが
やはり夕方からは連絡が途絶えた。
通信状態悪化に更に拍車をかけてはいけないので
こちらからの連絡は我慢することにした。
伝言ダイヤルにも長男はメッセージは残していない。

長男の本社に電話しようかと夫に相談するが
まあ待て・・・と。


そして19時頃 帰宅途中の夫の携帯に着信あったと
連絡が来た。
「発電所の電話を借りてかけている。
今夜はここにに泊まらせて貰うから心配ない」 と。
その電話でこちらからのメールは一切届いていないことが判明。

どなたと出張しているのか、上司はどんな指示を出しているのか、
どんな状況なのか、揺れは?津波は?
休める所はあるのか
一切尋ねていないという夫に私はがっかりした。
が、発電所の人や同行の上司(先輩)方がいる中での
詳細な会話は気を使うだろうから聞かなかった・・・と。

そうか、そうだよね。

学生の頃は金頼むも物送れも近況報告も
みんな私に連絡していた長男もこういう時は父親にするんだ。
と思うと何やら寂しいような・・・でも感慨深かった。

私の携帯にかけでもしたら質問攻めにされ
一言ではすまないし
他の人に迷惑をかけると判断したのだろう。
 

詳細がわからぬまま眠れぬ夜を過ごした。
きっと被災地もそうだろう。
ずっと胸がザワザワしていた。


翌日12日土曜日。
朝から映像は悲惨さを増して報道される。
福島は地震と津波と原発の心配が重なる。

 

そして夜の22時過ぎに夫の携帯にやっと着信あり。
「これから発電所の人の車で取り合えず水戸まで送って貰う」とだけ。

道路事情はどうなのか、水戸からの電車事情も不明。
余震も頻発。
しかし無事を信じるしかない。

 

そして明けて13日夜中の2時にメールが届いた。
「無事に川崎の寮に戻りました」 
心の底からホッとした。

「本当にお疲れ様でした。
寮もいろんな物が散乱しているかもしれないから
気をつけて確認し、ゆっくり休んでください」
返信の時、長男は一斉送信していることに気づいた。
翌朝、夫と次男にもメールが届いたことを知った。

 

川崎の寮でゆっくり眠れただろうか?
13日夕方電話してみた。電話は繋がった。

この時初めて長男が経験した惨状を聞いた。
福島の揺れは立っていられない程の揺れだった。
発電所の建物の1階は津波で浸水し、
最上階(5階)の会議室で夜を明かした。
上司や技術の先輩たち4人で乗ってきた社用車は
津波に流された。

発電所の人に水戸まで送ってもらったあとは
時間的にもタクシーしかなく4時間かけて都内、
そして寮のある川崎まで帰った。

男の子だし元々おしゃべりな方ではない長男は
余分な形容や修飾をせず淡々と話すが
それだけにトラウマになるほどの体験をしたのではないか
と察した。


被災地にお住まいの方以外にも
旅行や出張で被災した人も多いと聞く。
地元の自治体が把握していない住民以外の人は
確認が取りづらいだろう。

 


息子が滞在したいわき市は被曝をさけるために
勧告されたエリアからは随分離れている。
だから良かったとか言えない。

長男は車が好きなこともあって
クリーンな代替エネルギーについて勉強したいと
大学院でバイオエネルギーを研究した。


同じエネルギーの供給に携わる職業、発電所に縁のある仕事。
福島の原子力発電所のことは人ごととは思っていない。

しかしながら、他方では
縁あって(夫の転勤で)広島に住む者にとって
原発の問題はいろいろ思うところもあるが、
最前線の現場で命懸けで働いている方々の安全と健康、、
その方々のご家族のお気持ちをお察しします。

 

10日たった今日、
夫が長男のPTSDを心配して電話してみろというのでしてみた。
してみたら、ここぞとばかりにちゃっかり「金 頼まれた」

水戸からの10万円近いタクシー代を上司先輩が多めに
払ってはくれたけど新入社員の自分にも痛い負担があり、
経費はまだ下りないし、み〇ほ銀行のトラブルでATMも使えないから
25日(給料日)までがピンチなのだと。
わずかながらの義援金を送金した。

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