ホテルのフロントで、デンパサール行きの飛行機を予約した。バタビアエアーが40万ルピアだった。他の飛行機会社が65万程度なのに対して格安なので、ここを選んだ。以前、インドネシアに来たときには、ガルーダ、ムルパティ、センパティの3社のみだったと思うが、ここ数年の間に、飛行機会社の数が倍増している。競争が激化し、バタビアのように格安航空券がでるようになったのだろう。
飛行機は、8時15分と決まった . . . 本文を読む
闘鶏にいった。はじめてバリに来た1991年に、民博の佐藤先生につれていってもらって以来である。バリは様々な面で十分に刺激的な島だが、闘鶏にまさるものはない。男達の熱気、かけ声、鶏の表情、飛び跳ねる姿、したたる血、バリの激しさを感じることができるのは、闘鶏しかない。バロンダンスもケチャダンスも、観光客向けに去勢されてしまって、ただの見世物にしか思えない。
闘鶏の賭けの仕組みを、マデさんに聞いた . . . 本文を読む
みなは朝から市場にいったが、私たちは夢の中だった。朝は市場で買ってきたナシ・チャンプル、昼は豚の丸焼きをスライスしたナシ・チャンプル、夜は弁当型ナシ・チャンプル。ナシ・チャンプルな一日であった。
午前中は土地区画整理の調査に関する作戦会議。3年生には、宿泊許可の申請と両替にウブドゥのまちまで行ってもらった。とりあえずローカル・ランド・オフィスで資料収集と思ったが、今日はクリスマスで休みだとい . . . 本文を読む
伝統への問いはまだまだ続く。
ソリキさんがへんな人形を買った。イリアンジャヤの人形をバリ人がリメイクしたものである。バリ・ウブドゥのまちなかには、石像や木彫や絵などが数多く並ぶ。芸術のまちと呼ばれるゆえんでもある。しかしその中にはバリのものではないものが数多くふくまれる。「バリのものではない」とは何をもってそう言うのか。そのモノの、センス・かたち・技術などがバリの伝統的なものではないものを原 . . . 本文を読む
アジア都市建築入門という本があったらいいのにと思う。アジアを歩くときに、最低限これだけは身につけておけといえるような、知識やセンスが盛り込まれた本である。今回3週間の調査を組むに当たって、厚さ8cm程度の資料集を作成した。A4判で厚さが8cmとなるとかなりの重量で、持ち歩くだけで大変なのであるが、この内容がコンパクトにまとまっていればと思う。今回の資料集は、結局1冊でまとめきれずに、2冊になった . . . 本文を読む
マデさんとのお別れ。ロンボクへの出発。結局、チケットがなかなか取れず、28日に船でロンボクに渡り、その日はスンギギ泊。翌日バヤンへ向かい、バヤン泊。31日の朝8時の飛行機しか取れなかったので、前日はチャクラヌガラ泊。結局1泊2日のバヤン滞在となった。どういう状況が展開されるかは、皆目検討がつかない。
私がバヤンに1ヶ月滞在したのは、93年だったと思う。既に10年も時がたっている。みんな変わっ . . . 本文を読む
スナルの手前のレストランで、カンチに声をかけられた。10年ぶりの出会いなのに、すれ違っただけで、名前がわかるなんて。10年前の滞在のとき、近くに住んでいたこともあって、しばしばいっしょに遊んだ。あの時11歳。小学校5年生だった。そう言われれば面影を感じたが、私はまったくわからなかった。11歳の子どもが覚えていてくれるとは、と驚いた。リンジャニ山のなだらかな斜面をなにげなく眺めながら、一人で感動し . . . 本文を読む
バヤン・ティモールの中心的な住区グブック・テンガの住居の現状を一つ一つ調べた。変化の特徴をいくつか指摘できる。一つは火を外に出すことである。イナン・バレをもつ伝統的住居では、入り口入って左奥にかまどを置くが、既に使われていないものもあった。ブルガや住居の隣、入り口の脇に調理スペースを作るケースがほとんどである。新しい家で、住居内にかまどをもつものは皆無である。就寝分離が進むのも特徴の一つである。 . . . 本文を読む
朝グラナダホテルを出て、8時半にバリ着。マデさんに再会。3日ぶりである。1時間ほどお茶を飲みながら、別れを惜しむ。白石とはここでお別れである。何かあれば白石を頼むと言い残した。少なくとも車はお世話になったほうがいい。いまどき1日10万ルピアは安い。空港からウブドゥまでだけでも、普通車で8万ルピアである。キジャンクラスだと10万ルピアが相場ではないか。
かつてつきあっていたバヤンの友の一人が3 . . . 本文を読む
今回フィリピンでは英語、インドネシアではインドネシア語を使って基本的にコミュニケーションをとったわけだが、インドネシア語はしゃべれないとしても、英語はしゃべれないはずはない。中学・高校と6年間も勉強しているわけで、少なくとも中学英語は理解できるはずだし、それならば自分の意志を伝えようと思えば伝えられるはずである。しかし学生たちは、コミュニケーションをとろうとしない。勝手に自分は英語ができないと思 . . . 本文を読む