ワカキコースケのブログ(仮)

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インタビューについて・てさぐりの雑感

2013-03-24 03:02:05 | 日記

合間に、ひょっと更新。
昨日から公開が始まったドキュメンタリー映画『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』の監督インタビューをした。
 
以下、フェイスブックに書いたものをコピペ。
 
「こっそり告知させてください。明日公開の映画、監督インタビュー記事がneoneoのサイト(紙=雑誌の2号もそろそろ出ます)でアップされましたので。よろしければ……。

映画ライターとしての作業で、やりたくないこと第1位は常にインタビューです。毎回、手のひらに人と書いてのみこむほど緊張するし、終わった時に良い手ごたえを感じたことはいちどもありません。今回の大宮浩一さんをはじめ、監督さんがどんなにしっかりお話してくれようと関係なく、必ずクヨクヨ、(つまらないことばかり聞いた…)と自己嫌悪に陥りながら帰ります。お相手が真摯であるほど、なにか自分が恥ずかしくてたまらなくなる。
なんでこんなに苦手意識が強いのかと、フシギなぐらいです。構成作家業の初期に番組インタビューの聞き手をやってメロメロだったトラウマが大きいかなあ。「アナタの場合はそれがいいんじゃないの? いつまでも慣れない感じがさ」とポレポレ東中野の大槻さんに言われたことがあり、うーん、そっかーと思いもしましたが。でも、慣れられるものなら、慣れてみたいよ春の夜。
まあ、質はともかくとして、毎回、神に祈りながら必死でやらせて頂いている次第です。」
 
 
幸いこの記事自体の業界の人ウケはよくて胸をなでおろした。(僕の仕事は基本的に裏方なので、一般の方には、監督と映画に興味をもって頂くきっかけになればよい。その代わり、業界の人に裏方の仕事として水準クリアと思ってもらえるかどうかは気になる。セッション・ミュージシャンのようなものだ。

といって、卑下したりするつもりで「苦手」と書いたわけでなく、本当に、できればやりたくないのだ。

新作映画インタビューは、ひとりに複数が順番で会う、変則的な
お見合いに近い。大体30分、長くて1時間の限られた持ち時間で「はじめまして」から始め、相手から、その人だけの言葉を引き出すところまでいかなくてはいけない。実はかなり異常な時間なのである。でもって、それを丁寧にまとめ、他では読めない、オリジナルの記事にしなくてはいけない。
と、あんまり自分でハードルを上げているから、毎度ヘトヘトになり、必要以上に重たく感じているのも事実なのだが。おざなりなインタビュー記事が多いことへの危機感から、がんばらざるを得ないのだ。

では、おざなりなインタビュー記事とはなにか、はここではあんまり書くのはよす。

危機感というのは、ガキの頃に完全にハートを奪われてしまったジャンルに対する、責任感みたいなものだ。この年になっていまだに、そんなに「映画が好き」かどうかはなんとも言えないんだけど、「映画が好きな自分が大好き」さんたちにホビーのように好き嫌い優先で安く扱われるのを見るのは耐えられない。ハンサムな監督や俳優にやさしくしてもらって「素敵な方でした!」とSNSではしゃいだうえで凡庸な記事にする方々には、とりあえず僕は、neoneoでは原稿を依頼しない。
そういうわけで、ひとさまにも余計に厳しくなってしまうぐらい、
余裕がない。いいインタビュー記事にしたい、というより、映画といういきものの価値を下げる側に回りたくない思いで一杯一杯……が正確だ。

おざなりとは逆の例をひとり。
某映画祭の広報・宣伝チームのボスに紹介されたその人は、ボスの頼みで、本職の合間に、上映会場
でのゲストのQ&Aを公式記事におこしている人だった。
その記事をいくつか読んでみて、自分と同じにおいがする、と思った。
小さく叩けば小さく響き……じゃないけど、会場での
平凡な質問には平凡な答え、が少なくない。それをレポート記事にするのはけっこう事務的な作業なのだが、その人の文章には例え平凡な内容のQ&Aでも、おざなりには伝えたくないという、ピリッとしたものを感じた。
いずれは監督の発言として必要な資料になるかもしれない。参考文献として読まれるかもしれない。そんな未来の映画好きや研究者に対して、恥ずかしいマネはできない。おそらく、そういう気持ちでまとめている。同じにおいというのも僭越で、ああそうか、自分もこうでありたかったのだと気づかせてもらった感じ。
その人の
本職は書籍編者者で、なんと荒川洋治の評論集などを手掛けている、と知った。
http://www.shigatsusha.net/
こういう人と知己を得ると、うれしいし、自分もちゃんとしないと恥ずかしい、と思うのだ。


ほんとに雑感で、インタビューとは何かについてちゃんと考える手前のままだった。
ブログの自己省察(プライマルスクリーム)効果を利用して、 いずれ整理してみたい。
ただ、僕の場合でいうと、良いインタビューとはかくあるもの、と自己規定しているイメージのもとはどうやら、沢木耕太郎『若き実力者たち』、筑紫哲也『若者たちの神々』、猪瀬直樹『日本凡人伝』などといった、いわゆるニュー・ジャーナリズムの時代の本のようだ。
学生時代に読んだこういうものに比べたら、やはり冷や汗が出る。「若木さんのインタビューはいいね」とたまさか言ってもらっても、そんなにきもちよくお鼻を伸ばせない。いくら自分でハードルを上げても、まだ低いと思ってしまう。あこがれの先には、当然のように『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』という怪物的書物がエベレストのように鎮座していたりするのだ。そこまでとても視座に置く余裕がない。やはり、インタビューは「苦手」です。でも(だから)、たまに話が来ると、怖い怖いやりたくない、と思いながら受けてしまうんだよなあ。  

 

 

 

 

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