ワカキコースケのブログ(仮)

読んでくださる方ありがとう

『No Image 7本のありふれた映画達』の巻

2020-05-04 19:03:55 | 日記


フェイスブックのほうで回ってきたリレー企画、7日のあいだに映画について1日1本、に応じて文章を書いた。てらいなく、ひねくれもせず、大真面目に正面から受け止めて書くうち、非常に場違いなものになってしまった。

映画通な人が三度の飯より好きな「誰も見てない珍品を私は見ている」アピール合戦に参加してるように映るでしょうけど、そういう文意ではないのですよってところは、なかなか届かなかった。

書いたもの自体が孤独になって、自分でもさすがに気の毒、という気持ちがあるので、ブログに転載しておいてあげたい、と思う。
最後の映画に合わせて、ぜんぶ画像はなしにした。

 

初日 『土俵の鬼たち』

 

♯映画チャレンジ ♯映画リレーのバトンがノンデライコ・大澤一生から来ました。

どういうものかと言いますと、↓のような主旨です。

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(「映画チャレンジ」について以下引用)
7日間の映画チャレンジとは、映画文化の普及に貢献するためのチャレンジとします。�#savethecinema に紐づけたいという試みで始めます。�参加方法は好きな映画を1日1作品、7日間投稿するというもの。

✳︎簡単に映画についての説明なしで予告編でもビジュアルだけでもOKです。

それをアップして、そして毎日1人のFBや Instagramにて、
お友達にバトンを渡してください。

そしてこのチャレンジに参加していただくようお願いします。�

今日、見たいなって思う作品でもいいし、思い出深いものでもいいです。もしくは新作で未見だったら、その期待値を書き込んでください。見た映画館とか、行きたい映画館でも素敵ですね。�国をまたぐと見れない作品でも、その存在を知りたいです。気軽にいきましょう。�

このバトン、アカウントがオープンじゃないと読めない方がいらっしゃいますが、かまわず続けます。

�バトンを渡してくれた人、渡す人のtagつけてね。�
やり方が正しいかわからないけど、正しさがあるなら、バトンを渡してくださる時にスタイルを変えてくださーい。

繋がるかなー。ゆっくりとリレーされていきますように。
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了解しました! 1日1本、映画をあげます。もう夜中だけど、これは4月28日分。
こういう「良かれと思ってチェーンメール」みたいなアイデアは元来避けてきましたが、僕よりもさらに性格の悪い大澤が、それなのに毎日コツコツ、ドキュメンタリーの良作を丁寧に紹介してるということに打たれました。
それだけの危機感が、映画に関わるみんなにあるんだなあ……と思います。

そんなに厳密なルールではなさそうなので、毎日はアップするつもりですけど、僕からバトンを渡す人は7日目に数人まとめて、とさせてください。

で。やるのはいいとして、今はSNSでは映画も本も「こういう時こそ名作を見よう、読もう」とタイトルがやや溢れ気味なので。

僕は、孤独な映画を選ぼうと思います。

孤独を描いた映画じゃなくて、存在そのものが孤独な映画ね。
関係者以外で見たことがある人に僕は会ったことがない、ほぼ存在していないことになりかけている映画。
珍品・駄作を弄ぶように嗤っては、それが「映画愛!」なんだと気持ちよさそうなマニアや好事家の方達の間でさえ話題にならない映画。

そういうのもあるんだぜ、と伝えるなら今かと。

1本目は、
『土俵の鬼たち』(94)

初代若乃花の半生をてらいなく、実直に描いたアニメーション映画です。松竹の全国公開作品。
大相撲で若貴ブームが起きている時に、初代をアニメで描こう、という発想自体は悪くなかったと思います。ただ、相撲ファンとアニメファンは別物で、そこをくっつけるにはどうすればよいか、が完全に抜けていた。
結果的に興行は惨敗。松竹では『渚の白い家』(78)以来の無残な数字、という話を当時聞きました。
そのため、DVD化もされないままです。

で、この映画の脚本の下書き(ノンクレジット)が、僕なんです。
いちおうは、〈反逆精神のみで勝ち上がってきた暴れ者が、トップになった(横綱に昇進した)途端、戦う相手がわからなくなり「オレはこれから弱くなってしまう」とクライシスに襲われる話〉などを組み立てたのですが、そういう要素はかたっぱしから除けられた。
仕上がったのは、もとから強くて家族思いで、出世しても強くて家族思い、な立派なひとの半生をなんとなくドラマチック風に描くものでした。

お披露目の試写の席で、隅からこっそり見た時、
(自分はこの先、どんなに頑張って映画に近づこうとしたところで報われないかもしれない……)
と冷たい、乾いた予感が胸に走ったのをよく覚えています。
それほど、あじけない、あじけない、あじけない映画だった。

実際、この後にピンで仕事をよくくれるようになった制作プロダクションは、これぞ知る人ぞ知る圧倒的に孤独な映画(実質はVシネマ)『8マン 全ての寂しい夜に』(92)の大失敗の負債を抱えて、企業やくざの勧誘商法ビデオだろうと、マルチビジネスのPRだろうとなんでもやる、という会社だったので、ものの見事に予感は当たってそのまま現在に至る。

僕は映画の女神が憎いし、チヤホヤされるのが大好きな映画の女神のほうも、僕が嫌い。そんな関係がずっと続いている感触があります。

まあ、
〈キャリアのとっかかりになるのを信じて必死で調べて下書きしたものが、松竹の歴史でも何本かの指に入る大コケ〉
というのも、なかなかなものでしょう! えっへん。

 

2日目 『ディックの奇妙な日々』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの2日目です。

始めた人のせっかくの主旨を意図的に曲げようとしてる、という性格の悪さは認めます。すみません。
ただ、「映画はいいものだステキなものだ、映画を見る環境を守ろう!」とすぐに盛り上がれる人の言う映画って、良品佳品や面白いもの、あるいは珍奇な魅力があるものばかりでしょう?
それって人間だと、美男美女、育ちのいい人、頭のいい人、魅力のある人、つまりお付き合いしてみたい人のことなんだよね。ベストテンを選ぶ立場になりたがる人と、大学のミスコンと、どこが違うんでしょうねっていう。

現実には、一度話をしたらもう充分な人、できれば口もきかずにすませたい人のほうが多い。
そういう人と会うことにも意味がある、と思いたいわけです。

今日は、
『ディックの奇妙な日々』(86・アメリカ)

公開は翌87年。ミニシアターブームの波に乗るかたちで、アメリカのインディペンデント映画祭で賞をとったものを数本パッケージにして連続公開したうちの1本です。
これは90年代に入ってからも地上波で深夜放送されましたし、僕のつきあいが狭いから知らないだけで、見たことがある人はFBフレンド内にもいると思います。

ディックというのは、高名なSF作家のフィリップ・K・ディックのこと。彼の隠遁時代がモデルなんです。
鳴かず飛ばずでスランプ中の作家が小さな町のある家に下宿するんだけど、部屋にこもったところで筆は進まない。ところがその家のおかみさんと娘に、妙に色気があって……という往年の『未亡人下宿』シリーズみたいなおかしみもありつつ、とにかく主人公は煮詰まり続ける。正味の話、面白くないです。

この映画が忘れられないのは、ディックが洗濯用粉せっけんの箱を見てワンワン泣き出す場面があるから。
ディックは、箱の横にある、せっけんの使用法を示した注意書きに打たれたのです。
限られた字数のなかで端的に、簡潔に伝えるべきことが書かれている。いいものを書いてやろう、よく思われようという邪心が一切ない。完璧な文章だ! なぜ自分はこんな文章が書けないんだ……って。

1本目で書いたように、僕の物書きとしてのキャリアは暗くスタートしたのですが、始めた後の道のりはもっと暗くて、書くのが怖くなって、ワープロに向かっただけで気持ち悪くなって吐く、という時期がしばらくありました。
そんな時に見たので、ディックの受けたショックがイヤになるほどよく分かりました。今思い出すだけで、もらい泣きしそう。

なんとかPR仕事をやってリハビリしている時、家庭用の血圧計の説明書を書く仕事がまわってきました。この映画のことを思って、心をこめて書きました。

「1 まず電源を入れましょう。それから、図①の電源ボタンを押します。電源ボタンの横にあるランプが赤く光ったら、電源が入っているサインです」

何度も推敲した。コンセントに電源を入れてないのにボタンを押して「動かない。不良品じゃないか」と早呑み込みするシニアを、この世界からひとりでも減らすために。
このささやかな作業が、またなんとか書く仕事ができるようになったきっかけの一つにはなったのでした。

3日目 『ホームカミング』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの3日目。4月30日ぶん。

仕事の都合で、てっぺん越したところですぐあげます。
「孤独な映画」について書く、というのが思いのほか性に合うのもありまして。
最近、無署名の業界誌仕事で「小津映画の偉大さ」みたいのを書いたのですが、これがほんの数行なのに苦痛で、苦痛で。映画に関してはダメなんです、別に自分が紹介しなくてもいい、評価の定まった大監督や名作について書くのが。
映画ライターとしてはケチョンケチョンに鳴かず飛ばずな理由がよく分かりました。

ともかく3日目は、
『ホームカミング』(11)

都心の企業を定年退職した途端に、実は仕事だけの人生で他にやることないクライシスに襲われた主人公が、それまで没交渉だった地域の住民と初めてふれあうようになるホームコメディ。
NHKとテレビ東京で定期的にドラマが制作される、いわゆる団塊の世代への応援歌。そういう題材の典型的なもので、至極おっとりしたものです。
大学に入ってから美学的な研究対象として映画を見始めた、という人が見たらほとんどどうにもならないタイプでしょう。

しかし見ることに関しては叩き上げな人にはね、いいんですよ。
なにしろ飯島敏宏監督作品。舞台がかつては地価も高かったニュータウンで、そこがシニアばかりの町になってしまった皮肉をビターな下味にしている。その町の名はいみじくも「虹の丘」。そう、飯島さんの最初期の演出作『ウルトラQ』第18話のタイトル「虹の卵」と重なる。

『ホームカミング』という映画は、『ウルトラQ』『金曜日の妻たちへ』を送り出してきた飯島さんの集大成なんです。
まだ空き地ばかりだった町で遊んでた頃に地底怪獣パゴスを目撃し、大人になり就職して、ローンで家を購入してからは切ない不倫に走る体験もし……そんな世代が老いてから、さあ、自分達と一緒に成長して今はさびれつつあるこの町をどうしようかという。
50年かけて飯島さんは、新興住宅地を描いてきたんだ。僕は試写で見ている途中でそこに気付いて、震えました。

と、めちゃめちゃ推して書いてますが。
ではなぜ、『ホームカミング』は「孤独な映画」になってしまったのか?

封切日が、2011年3月12日だったから。

公開中止にはならなかったはずだけど、早々に終了したと記憶しています。ちょっとハッキリしません。当時は、なにが映画館で上映されているか、チェックする余裕はなかった。

それまでも少しずつシリアスな役を演じ、バラエティでの顔とは違う、演劇出身の片りんを見せてきて、この『ホームカミング』でついに主役。俳優として今後新境地を開くつもりでいたが、公開が不幸な結果に終わったことで、その道は断念した……と、高田純次は『高田純次のチンケな自伝』(14 産経新聞出版)で率直に綴っています。
淡々とした、しかし無念が痛いほど伝わってくる一文でした。

ただ、そこで深く落胆はしたものの、バラエティのほうを肩の力を抜いてやっていたら、「テキトー男」としての再ブレイクにつながった、とも純次さんは明かしているんですね。コインの裏表だったと。

ここでようやく、このリレーの主旨に近づきます。
だんだん、じわじわと、新型コロナウイルスの影響って、思いのほか大きいのかも……となっていくなかで公開され、苦しい思いをした映画が、今「仮設の映画館」にかかっています。

島田隆一の『春を告げる町』は、「孤独な映画」にはならずに済んだんだ。いちおう仲間うち映画に近いもんですから、よろしくおねがいします。

4日目 『就職戦線異状なし』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの4日目。5月1日ぶん。

カジュアルな発想で始まっている7日間リレーを、どこともつながらないようにしている。しかも大真面目に。

前もって言いますけど、ご安心ください。7日目にはちゃんと僕で止めることにしました。
「画像をあげるだけでもOK」だろうと、7日連続がルールなんて誰にだって負担はあるし、こういう企画って今こそ楽しそうでノリがいいけども、だんだん惰性になっていく。困るのは、そうなってからバトンを渡された人。自分の番でやめると、なんとなく後味が悪いし、自分止まりにしたことで誰かになにか文句を言われないだろうか……と小さな心配まで抱えることになる。言い出しっぺに、あいにくそこまでの配慮はない。

僕は小学生のとき、「不幸のハガキ」を自分のところで止めたことがあります。
「このハガキを◯人に送らないと不幸になります」と書かなきゃいけない、チェーンメールの元祖みたいなやつね。思い切って止めたのはいいんだけど、その後かなりしばらく、不幸になる恐怖にひとりでのたうち回りました。あの、胃の沈むような不安は、ちょっと忘れ難い。

まあ、この年まで精進しても真打になれない負け犬なわけですから、ハガキの悪霊的効果は確かにあったのでしょう! そこは認めるぞ。ただ人に回さず、自分でしょいこんだ点だけは、よかった。

なので今のうちに、「若木康輔という野暮なやつが、自分のところで止めるとわざわざ宣言して止めた」前例を、ひとさまの安心材料として用意しておきたいのです。誰かに何か言われたら「若木ってのがもう、そうしているから……」と言ってくれたらよろしい。ふだん自分を「天才」だと言っているのは、こういう時のために使う。

ただし、いったん書くとなったからには、7日目までやります。
今回はかなりのメジャー作品なので、見ている人は多い。僕が単に、今まで誰かと直接感想を交わしたことが一度もない、話題になったことがない、というのが正確です。そういう意味での孤独な映画。

『就職戦線異状なし』(91)

かなり豪華なキャストをそろえた東宝の青春映画です。
しかも槇原敬之の「どんなときも。」はもともと、この映画の主題歌だったという。
なのに、ものすごく孤独な映画なんです。

公開当時、僕は見ていません。映画の専門学校を前の年に出て、公開される映画は全部気になるまっさかり。監督は人気の若手監督のひとり、金子修介だったのに、それでも足を運ぶ気になれなかった。
「月刊シナリオ」に掲載された脚本を、先に読んだからなんです。

空前の売り手市場といわれた、大学新卒採用が有利だった時代の、人気企業をゲーム的に選ぶ一流大学生達の姿を明るく、おしゃれに描いたもの。後半は一応、社会の現実を知ることになったりもしていくのですが、それはそうしないと筋がまとまらないからなだけの、便宜的なモラルだった。
全く自分と関係ない、興味の持ちようがない世界でした。

今見ると、それはもう、完全な噴飯ものです。バブルの時代に得な思いをした人は、みんな少しずつ魂を蝕まれていた。社会科学的なサンプルとしては興味深いでしょう。
ああ、「あの子は頭が悪いから」と言った子たちは、こういう青春時代を享受した人間の間から生まれてきたんだ、とよく分かります。

ただ、バブルに浮かれた当時の若者達を時流に乗って描いた、というと、実はちょっと微妙なんですね。
華やかに宣伝が打たれていた時から、メジャーはまだこんなものを作るのか……というズレた、こっちのほうが気まずくなる雰囲気はうっすらとだけど、確かにありました。1990年と1991年、わずか1年の間に、底辺で生きてる僕ですら、少しずつ空気が変わっているのを感じていましたから。
具体的に言えば「企業のPR撮影の打ち上げがグアム旅行」みたいな凄い話を、先輩達から聞かされることは急速に減っていた。

『就職戦線異状なし』を初めて見たのは翌年、1992年の、地上波での放送です。もはや1980年代末までの躁転的な世の動きのスピードは減速している、と誰でも皮膚感覚で分かってきた頃。いわゆる、バブル崩壊です。
ここでショックを受けました。もともと世間とズレていると脚本から感じてはいたけれど、1年経つとさらに、こんなにチグハグなものになってしまうのかと。
風俗・流行に乗った映画が、時代の潮目が変わった後に公開されることになってしまう恐ろしさにおいては、僕はこの映画以上の残酷な例を知りません。

付記:ただ、なにしろ金子修介ほどの監督ですから、かつてないほど青春映画が作りにくい時代(若い登場人物に悩みや苦労、理想があると笑われ、嘲りの対象になってしまう)に、それでも〈東宝青春映画〉〈東宝サラリーマン映画〉を作って観客に提供するための戦略はよくよく吟味したはずで、映画好きにとっては一種、ゲリラ戦を分析する面白さはあります。

 

5日目 『約束のハドソン川』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの5日目。5月2日ぶん。

書く時間がとれないうちに、夜中をこえました。今から取り掛かるのもなかなかの「仕事」感。これを一週間毎日やる、なんてバトンは、僕はやはり人には渡せないなあ。

僕より性格の悪い大澤一生のほうは戦略的で、もっと自分から発信したほうがいいのにSNSを動かさない若手監督などに、おしりを叩く意味でバトンを渡しているそうです。
今はもう、映画をこさえるだけで満足で、見せることまで考えない人間の数は余ってる。今後はますますいらなくなるぞ、と。なるほど。そういうことなら、このリレーはいい機会です。

今回の孤独な映画はこちら。
『約束のハドソン川』(09)

前回まで紹介した2本の映画の「孤独ポイント」は、劇場公開の時期がバブル崩壊、東日本大震災と重なったことにありましたが、これはそもそも劇場末公開。ソフトにもなっておらず、CSの洋画専門チャンネルで日本初お披露目になったものです。
ビデオスルーですらなく、CSスルー。おそらく、話題作の放送権を販売する際の抱き合わせだったのだろうと推測されます。

CSの洋画専門チャンネルではたまに、果たして向こうで公開されているかどうかも怪しい、本当はケーブル局が低予算で作ったコンテンツなのでは? と思われる、派手なVFXシーンは1回だけで、別カットを足した編集の工夫で「次々と新たな犠牲者が……」を表現するホラーとか、現代にやってくるだけだから特に大きなセットはいらないタイムスリップSFとかが、夜明け前あたりの時間に放送されます。

構成作家業で生きていくことになって、映画とは意識的に距離を置いて、でも映画ライターの仕事が回ってくるようになったので、映画とはなかなか縁が切れないのだ……と諦め、再び、月に20本前後は見る生活に戻ったのは2008年頃から。その後の数年間のあいだに、こうしたCSスルーもマメにチェックする時期がありました。
大体が、「孤独」である運命を最初からわきまえている風情の映画で、そっと見るのがマナー、というところがありました。

ところが、今回紹介したい『約束のハドソン川』は別格。CSスルーの孤独の映画群の中に置いておくとかえって仲間はずれになってしまい、かわいそうになるほどの映画(ドラマかもしれないが)だったんです。

ポールという男がある日、ハドソン川上流の町からニューヨークの河口までを、数日かけて全て泳ぎ切ろうと決意する。日が暮れるまで泳ぎ、夜はボートで休む計画。
ポールの親友ジェフと、夏休み中の女性教師リズがボートで同行することになり、ハドソン川を泳いで下っていく3人の風変わりな、しかし、もう若くないそれぞれの人生を見直す旅が始まる。

主要人物はこの男ふたり、女ひとりのみ。インテリの3人なので、ボートでやることがおしゃべりしかなくても、その会話や議論にキレがあって中身がある。そして、車ではなく、ボートによるロードムービー。
ひょっとしたら神代辰巳や藤田敏八が監督したか、荒井晴彦か高田純が脚本を書いた日本映画を、作り手は参照しているんじゃないか? と想像してしまうほどの、ATGっぽいしっとりした雰囲気。
これがCSスルーなのはもったいないな!……と、すごく思った、通好みの珠です。お見知りおきください。

ただ、ただ。
自分自身で気を付けたいと思うのは、この、「どうしてこれだけの良品が劇場公開されなかったのだろう」という言葉です。

『約束のハドソン川』はいいよ、とぜひ伝えたい僕の気持ちは100%好意に近いんですが、無意識に、劇場未公開作なら格落ち、とみなしているから推したくなっている。そういうところが、ないかどうか。

まさに今、緊急事態宣言下での公開中止、延期、待機となった映画は、劇場でかけられないことに苦しんでいます。
「映画はスクリーンで見てこそ本当の映画体験」「テレビやパソコンのモニターでは映画を見るうちに入らない」という、映画ファンや映画関係者の美しくも力強い言葉は、そういう映画をますます苦しめることにならないか?

僕はどうも、その点には慎重になるのです。
テレビの映画放送(特にNHK教育の「世界名画劇場」)やレンタルビデオがあったおかげで、中高生の頃から東西の映画を幅広く見ることができたからです。「映画は映画館で見る主義」だったら逆に、スピルバーグと寅さんと健さんと香港カンフーしか見ない子になっていた。そういう環境だった。
「映画は映画館で」と朗々とした声で言えるのは、日本やヨーロッパの地味な映画でもやってくれる大きな町に住んでいる人だけの特権なんだよなあ……という素朴な実感があります。

ともかく、今年の年末になればどうしたって、映画館が休業中のあいだの、オンライン公開のみの作品は劇場公開作品=ベストテン選出対象作品に該当する、しない、どっちにするのか? の議論が、関係者の間で避けられないようになるでしょう。
識者や映画ファンのみなさんにはそこらへん、ぜひ、丁寧に話し合って頂きたいと願っております。

 

6日目 『えきすとら』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの6日目。5月3日ぶん。

ここまで書いてきて、ようやく気付きました。実は縛りもへったくれもなくて。この世にある映画の大半は孤独なんだ。
僕以外にも見たことがある人と会って、感想を交わし合う。そんな映画はその時点で、しあわせな映画なんですよね。「話題作」だなんてことになったら、完全にエリート。

前回に書いた、月20本前後は見ていた時期のノートを見ると、タイトルが書いてあっても内容どころか、見たことさえ覚えていない映画が大半です。
年末に名刺を整理すると、大半はどこで交換したかも覚えていない肩書とお名前だったりします。
1回の打ち合わせの同席だけで事務的に渡してくる会社組織の人が多いからしかたないとはいえ、自分は人との出会いを大切にしていないな……と砂を噛むような思いを味わいます。映画に対しても、同じことをしているんだと凹みます。

その反省、反動もあって今は逆に、映画は、時間に余裕があったとしても月に10本程度に抑え、そのぶん1本ずつを丁寧に見ようと心がけています。
日本広しといえども、〈たくさん見ることを自らに禁じている映画ライター〉なんて、僕ぐらいのものでしょう! ……実作者のはしくれとの両立は、なかなか難しい。

一方で、むかし一度会っただけで、再会してみたい。でも会えない。そんな場合が、人でも映画でもあります。

今回は、
『えきすとら』(82)

DVD化されないままなのでほぼ幻の映画となっていますが、これこそ本当は、公開時に見ている人はとても多いんです。なにしろ、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』の同時上映作、いわゆる〈寅さんのB面〉でしたから。
この映画ばっかりは、今まで人と映画の話をしていてタイトルが出てきたことがないのはフシギではある。でも、僕のほうから「『えきすとら』って見てます?」と、水を向けたことも、ただの一度もないので、当然かもしれません。

自分からわざわざ話題にする気になれない映画。これもひとつの孤独な映画かな、と。

売れない俳優の、とことん売れない日々を描いたものです。ふつう、こういう映画は後半にはなんとか成功へのチャンスに転じるものですが、これは、やっとセリフのある役をもらったら、そこが完成品では場面ごとカットされていた、などどんどん売れない度合いが強くなる。
さらに、恋していた同じ役者志望の女の子は、大きな事務所に入れるようになり、新進の演出家とデキてしまう、えぐるような失恋がクライマックス。

70年代には多かった四畳半のいじましい青春ものが周回遅れで作られた、どこかそぐわないものになっているようすは、中学二年生にもうっすら察せられた。
しかも、当時から苦手な人が多かった武田鉄矢のアクの強さのうちの一つ、自己憐憫の陶酔感が特にフィーチャーされたものでした。
要するにすっごくウジウジした映画。これを見て胸が震えただなんて、とても人に言えなかった。ここで初めて明かします。

佐野亨編『心が疲れたときに見る映画 「気分」に寄り添う映画ガイド』(17 立東舎)という本に参加した時に僕は、
「人生と恋愛は好きな映画に似てきてしまうから、十代の時に見る映画には注意したほうがいい」
といった忠告を書きました。
『トッツィー』(82-83公開)の前半や、『(500)日のサマー』(09-10公開)の主人公の悪戦苦闘にめちゃめちゃ自己投影したことと併せて綴ったのですが、その時でさえ、『えきすとら』のタイトルには触れなかったんです。武田鉄矢が当時のヒーローだったことを、恥ずかしくて、隠しました。

ああ、武田鉄矢。金八と幕末青春グラフィティで、僕みたいなののハートを掴みに掴みまくった鉄矢。

いつだったか、加瀬修一という男とこっそり、「俺達はどこで、鉄矢と一緒に走るのに疲れちゃったんだろうね……」としみじみ話し合ったことがあります。『刑事物語』シリーズのハンガーヌンチャクは、まだ理解できた。『おーい! 竜馬』だってつきあえたよ。やっぱりあれかな、織金かな……みたいな。まわりに誰もいないのに、ふたりともつい小声になってしまうあたりが、実に鉄矢だった。
この時でさえ、『えきすとら』のタイトルは加瀬やんに言わなかった。僕が中二で見たっきりの映画ですから、年下の彼が見ている可能性はほぼないので、それでわざわざ口にしませんでした。正直なところ、禁断の鉄矢愛告白トークができる相手である彼にさえ、恥ずかしくて言えなかった。

そんな映画に、まさか、ここまで自分が似てしまうとは、考えもしませんでした。

つまり僕は、映画が〈みんなで楽しく見て、ワイワイ語り合えてつながれるもの〉だから好きになったわけではないんですね。
今もそう。〈映画談議に花を咲かせる〉というのは、本当はあんまりしたくないほうです。オフ=リアルの場では人一倍おしゃべりなほうだというのに。
映画というのはいつも、僕のなかにある孤独を落ち着かせるためのものだったんです。

付記:『えきすとら』の監督は、浅間義隆。『男はつらいよ』シリーズの山田洋次との共同脚本を長くつとめつつ、〈寅さんのB面〉を数本監督したひとです。松竹大船イズムの正統な継承者でありつつ、他の映画もどこか抜けが悪くて、映画好きの評判は決して高くないひとでした。でも、〈寅さんのB面〉を作り続けることは、寅さんのいない、脇役だけの世界―つまり僕らの日常は、つまらないものなのか? という大きな問いかけを常に自分に課すことであって。そこらへんのことは一度、「労働映画通信」というミニ媒体に書かせてもらいました。僕としてはもうちょいそこを検討して、作家論をまとめてみたい願望のある脚本家・監督です。『えきすとら』は、そういう意味では再見しておきたい映画ではある……。

 

7日目 『イヴの未亡人 夜のいそぎんちゃく』


僕以外に見たという人に関係者以外で会ったことがない、孤独な映画縛りの7日目。5月4日ぶん。

やっと解放される……。毎日書くのは、けっこうしんどかった。
ハッピーな主旨だったはずの企画をドンヨリしたものにしてしまい、申し訳ない気持ちはあります。映画についてちゃんと書こうとするほどあさっての方向にいくのは、自分でも残念です。

映画ライターの仕事をもらい始めた頃は、やるからには、売れる! メジャーになる! つもりだったんです。ギンギンに。数年がんばれば、ラジオのレギュラーのひとつぐらいは持たせてもらえるだろうと思ってたんですよ。せっかくなのでこれも初めて、正直に打ち明けますけど。

「さあ、次のコーナーは映画ライターの若木康輔さんが話題作から隠れた傑作まで幅広く紹介してくれる、ワッキーのシネ市場(マルシェ)です。今日もよろしく~」
「ハイ! ワッキーです。ゴールデンウイーク、いかがお過ごしですか? スタジオまでの通りの並木が、とっても爽やかな緑でした。ビージーズの『若葉のころ』を聴きたくなるのが、まさにこの時期ですよね。この曲といえば、そう、あの『小さな恋のメロディ』の挿入曲として……」
みたいなさあ。

で、書き始めたら、「映画芸術」誌を通して僕の文に反応してくれるひとがいた。福間健二さんと沖島勲さん。
紙媒体のライター一年生にとって、身内や知ってる人でなく、第三者からの感想があるというのは、とても嬉しいものです。しかもそれが福間さんと沖島さんですから、非常に光栄だった。
ただ、この時に、なんともいえん、暗い予感はあったんですよね。

(……どっちも若松プロ出身かよ……メジャー感ないじゃん……自分が映画のこと書いても、ダメかな……)

この予感も、しっかり当たりました。本当に失礼な話ではありますが、ふたりとも先に、若木康輔の限界を見抜いてくださっていた、ということかもしれません。

若松プロ出身ということは、成人指定映画=ピンク映画です。
ピンク映画というと今こそ、野心的な若い映画作家の登龍門だったのだ、という評価が定着していますが、実はそういう作品群は一部でございまして。大半は、ブルーフィルムの延長線で作られた、あくまでも男女の絡み中心のソフトコア・ポルノでした。

僕はそういう、作家性がないほうのピンク映画の専門館で学生の頃からアルバイトしていて、いったんやめた後も、2002年の閉館まで手伝いで通っていたんです。
新宿昭和館と併設されていた、昭和館地下劇場という映画館です。

今回の孤独な映画は、その昭和館地下で最後に見た、
『イヴの未亡人 夜のいそぎんちゃく』(00)

上階の昭和館のほうは、やくざ映画三本立ての名画座でした。なかなか歴史があるんですが、そのせいで一時は〈伝説の名画座〉みたいな存在になったので、なんとなく、人に言いづらくなっちゃった。

当時、閉館を発表した後は、ちょっとタイヘンでした。日雇い、外回りの営業マン、その筋の人……などが時間を潰してるのがもっぱらのコヤだったのに、閉館を惜しむ映画ファンのみなさんがどんどん来て、客層がガラッと変わって。
初めて見る顔の仕掛けてくる「昔よく来てたんだよ」な長話を振り切り、揃って死んだ魚のような眼をしたシネフィルの「ポスターください」を無視し、「灰皿(などの備品)をもらっていいですよね」に怒り。

「労務者の人が臭いんですけど……」と苦情を言われた時も、さすがにムカッときましたね。来てくれるのはありがたい話なんだけど、そっちがいつものお客なんだから。お客といっても、新宿御苑で拾った銀杏を持ってきてくれるからこっそり入れてあげる、という場合もあったけども。

あの騒ぎですっかりみんな、閉館マニア・アレルギーになった、という話は、川原テツ『名画座番外地』(07 幻冬舎)に書かれています。

閉館当日は、場内は満席だし、事務所もオーナーの関係者や東映の営業さんが出たり入ったりなので、僕はまるっきり所在がなくて。
地下で、最後に映画を見ることにしたのです。80年代ににっかつロマンポルノでアイドル的な人気を誇ったイヴの、カムバックしてからの何本目か。

地下は、上とは客層がやや違って、いわゆるハッテン場(ボーイズ&ボーイズの)のうちに入ったのですが、上と同様、閉館が近づいてからはいつものお客は来なくなっていた。しかも閉館マニア・映画マニアも地下までは関心がなかったようで、3、4人がポツンポツンと離れて座っている状態。いびきも聞こえていた。そんななかで、見ました。

十年以上、働きに来るというより、事務所の先輩にお古の服をもらったり、おばさんたちにメシを食わせてもらったりすることを目的に通っていた場所が数十分後には閉まる、新宿に居場所がなくなる、その事だけを考えながら見ました。

映画館がなくなるのを、僕も体験している。すごくね、寂しいことだよ。痛いほど寂しいよ。
それをお伝えしたくて、僕にとっての〈ラスト・ピクチャー・ショー〉が平凡なピンク映画だったことを、このリレーの最後に書いた次第です。

でもこの話には、続きもあるんです。

オーナー一家が新しくできるテナントに入れる映画館は、ミニシアターにする。昭和館の名残は一切消し、昭和館の常連だった客層は歓迎しない。なので、昭和館で長く働いた従業員もスタッフにしない。
この方針に非常に傷ついた僕は、そのミニシアターができても絶対に足を運ばないと決めました。実際はそのままスタッフとして新たに雇用され直した人もいて、呼ばれて行った時もあるんですが、お客としては本当に数年間、近づきもしなかった。

ただ、その間にも数人に諭された。
「若木はそう言うけどな、オーナーから番組を任された人達は中野武蔵野ホールから来ていて、みんな映画に熱心で、いい人達なんだぞ」

うーん……となって、ちょっとムキになって、涙目で怒ることもあったりして。
それから初めて見に行ったのは、なんだったかなあ。ここはここで、一から始めてがんばっているんだな、凄いな、と思うようになりました。

だから、こうも考えるんです。
あの時、もしも〈文化の灯を消すな! 昭和館を守ろう!〉的な盛り上がりが生まれて、オーナーを動かすほどになって、もしも昭和館と地下が存続することになったら、このミニシアターも生まれてはいなかったんだろうって。

何かが生まれるというのは、何かが終わるということでもあります。ドライなようだけど、そこが等価であることは僕達みんな、気付かない振りをしないほうがいい。

おっと。そのミニシアターの名前を書き忘れるところでした。

「K‘s cinema」といいます。今、〈仮設の映画館〉に参加して、作品を上映中です。
http://www.ks-cinema.com/

 

 


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