ワカキコースケのブログ(仮)

読んでくださる方ありがとう

2015年、年始のごあいさつ(初夢とやくざ映画)

2015-01-02 17:17:17 | 日記


あけまして、おめでとうございます。

1ヶ月以上も更新していなかったのに、閲覧数は毎日、100以上。覗いてくださった方に、感謝です。
本年も、よろしくお願いいたします。






更新できなかったのは、仕事の年末進行がけっこうハードだったから。
それだけでなく、〈ブログではまとまった長文を書く〉のマイルールが、枷としてキツくなり過ぎてきたのを実感している。ブログを始めた2年前より、仕事にとられる時間が増えてきた。5千字、6千字費やして、好きなように書くことが、贅沢になってきた。

・ツイッターは気楽に書けるぶん、140字の制約がある。発見があったことを書くのには向いていない。

・フェイスブックは長文が書けるぶん、仕事関係の人にも読まれる面倒がある。「うちの仕事を断っといて、なに遊んでるの」などと言われちゃうデメリット。あと、(そういうことじゃないんだよ……)ってのが分からないひとほど、まめにピントのずれたコメントをくれてしまう、ありがた迷惑な問題。

以上を考えると、やっぱり、ブログっていい。
今年からは、短めに、もうちょい更新を増やします。長文にする時間がない、だけの理由で、引き出しの奥で腐らせてしまうメモごとが、去年(14年)はすごく多かった。大体、こうして前段を書いてるだけですでに、芸能人のブログの倍は書いているぞ。


初夢の話。
断続的なんだけど、フシギにつながって長いストーリーになっているものを見たので、書きおこしておく。

全体に、どうも、旅をしているようなんですね。何人かで。
一緒にいるのは、最近よくつるむ男友達に、彼が一緒に仕事をした舞台俳優さん、地方局のプロデューサー氏、一度だけお会いした女性、それに、中学で同じクラスだった女子。初恋の相手でもなく、特に親しかったわけでもないのに。現実にはまず顔を合わせることのない組み合わせだ。

彼らと旅をしているのだと夢の設定を解釈できるのは、乗り物と食事の風景ばかり出てきたから。
「機動戦士ガンダム」に登場した、ジオン軍の潜水艦みたいなものに乗ったり(その時だけ、夢もセル画アニメの映像になった)している。
食事の場所は、午前10時でランチタイムが終わるグリルだったり、中国の沼の魚だけを出す焼き魚料理専門店だったり。俳優さんがワガママを言うので、男友達と一緒に、溜息をついた。その合間に、鏡に映った自分の頭が、脳天の地肌がもろに見えるようになって、目の前がまっくらになった。

乗り物と、食事と、将来ハゲる不安。もしかしたら、それぞれ全く別の夢を複数続けて見ただけなのかもしれないが、なぜかロードムービーのようにつながった印象がある。
ロードムービーは、断章的なエピソードの連なりから成る構造が多い。それなりの数を見てきた分、夢の中でも無意識に(そういうものだ)と、バラバラの夢をひとつの流れにまとめられる、記憶に蒸着できるインフラが脳内に備わっていたのかもしれない。
きっちりかっちりした起承転結構造を持たないロードムービーを見るたのしさは、夢と付き合う感覚に近いのか、と考えるのも楽しい。

後半になると、そのつながりは、ちょっと劇的になる。
先に書いた一同のうちのひとりの実家を、僕は訪ねている。そのひとが作った作品(うなぎの肝を干し加工して作ったアクセサリー)を、家族に渡すためだ。どうも、旅の途中で死んだらしい。ここらへんが(旅の目的、辿り着くべき場所が途中で変質するあたりが)、実にロードムービーの後半らしい。

実家の事業は、そのひとの兄夫婦が中心になっている。
黄色いジャンパーを着て、小太りで精力的に働くお兄さん(夢の中で初めて会う架空のひと)は、「あいつは元気にしていたのか?」。「うるさいぐらいでした」と僕。
「そうかあ。家では俺に遠慮してたから。あいつは外に出てよかったんだよ」
お兄さんは、ひとりごととも、僕に聞かせるつもりとも、はっきりしないようにつぶやいた。

ここで、目が覚めた。
ここまで長くて見ごたえのある初夢、なかなか無いなー!何が叶ってしまうのか分からんけど、おもしろかったからいいや、と満足した。
しかし、気になるのは、夢に出てきた友人知人のうち、あるひとが死んだ展開になることだ。しかも、そのひとは現実に今、ひとり外国に滞在して仕事をしている。これが「正夢」になってしまうと縁起が悪いので、ツイッターやフェイスブックには書けなかった。

遺品を届ける場所が、旅のおわり。
これは、つい数日前に『兄弟仁義・関東三兄弟』(66・山下耕作)をケーブルテレビで見た、直截な影響ではないかと思う。

ただし、映画はそこから始まる。渡世人の北島サブちゃんが、遺骨を抱いて房州の漁師町へやってくる。死んだ兄弟分の骨を、実家に届けるためだ。そこでサブちゃんは、土地の一家の若頭(里見浩太朗)と意気投合し、一家に草鞋を脱ぐことになる。

山下耕作は、東映時代劇の後期、股旅ものが人気の頃に監督デビューして、任侠映画を手掛けたのは『兄弟仁義』シリーズが初めてだった。「自分では時代劇の延長のつもりで撮っていた」と後に証言を残している。
股旅もの(無職渡世人=基盤を持たない個人の漂白)から、任侠路線(固有の土地に一家を構えたやくざの話に。仁義の掟と、土地への執着=縄張り争いの集団ドラマは不可分のパラレルで描かれる)への転換を考える際には、かなり示唆的なオープニングだ。脚本は村尾昭。

……という風に、1本の映画だけでつらつら書いていくのも楽しいな。

山下耕作について久しぶりに思う延長で、『緋牡丹博徒』シリーズのお竜さんのことも久々に。
お竜さんは男には指一本触れない、触れさせないのに、憎い敵をドスで刺す。その時だけは男の胸に烈しく飛び込むことになる。この図式の倒錯的なエロティズムは、改めて考えるとドキドキするようなところがある。
この〈純潔と衝動〉を軸に、さかのぼれば大衆演劇の女剣戟、ひいては「プリキュア」シリーズに代表される美少女戦士アニメを一脈で語ることは、十分に可能だろう。なにしろ「プリキュア」の製作は東映アニメーションだ。「恋愛禁止」のAKBグループだって、実はみんなお竜さんっぽい。

ところが、それを最も端的に表している(と僕がかつて感じた)のは、『緋牡丹博徒・仁義通します』(72)。
監督は、『緋牡丹博徒』(68)を成功させて人気シリーズへと導いた山下でもなく、シリーズの代表作を作った加藤泰でもなく。
日活から来た、東映にとってはいわば外様監督の斎藤武市が、お竜さんのエロスを強く引き出している。しかし、斎藤は日活がロマンポルノへと大きく舵を取ったことで居場所を無くし、東映に移った人だ。濡れ場の演出が苦手だったはずなのに。
ここらへんの皮肉、綾もまた、反芻するとどんどん、いい味が出そう。

短めに、と決めたのに、一気に3千字以上書いちゃった。

やくざ映画についてはこの十年近く、ほとんど、人前で熱く語ることはなかった。年末にジャンルのトップスターが逝っても、沈黙した。若い頃に、見ることと生きることが近くなり過ぎてしまい、卒業して距離を置かないと精神的にマズくなってしまったためだ。マニア・おたくの充足への道がキュウクツに感じられたとも言えるし、その充足を一点突破して専門家・研究家になる道から逃げた、とも言える。

それが思いがけず、あるひとに概要を説明する必要が出てきたり、ディアゴスティーニの「東映任侠映画傑作DVDコレクション」の創刊号をつい買っちゃったりして。やけぼっくいに火がついてしまった。

 

 


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