ブログ内不定期連載「試写で見た映画」。去年はなかなか書けなかった。今年はもうちょい、がんばりたいです。
サンプルDVDを頂いた『ちびねこトムの大冒険 地球を救え!なかまたち』(1992・中村隆太郎)は、モタモタしているうちに、下北沢トリウッドでもう公開中。
未公開になっていたジュブナイル・アニメだ。1970年代にアニメブームが起きてからの、日本の劇場用アニメの特徴が、ものの見事に凝縮されている。のびやかな子どもの好奇心が地球の危機を救うことになる、風呂敷のたのしいひろげかた。作画の贅沢さ(セル画アニメの熟成期)。そして、劇場用アニメになると途端に要素を盛り込みがちにしてしまう、日本の商業アニメ全体の悪いクセが、この作品でもたっぷり。(あー、そうそう、世界中を舞台に賑々しくお話が展開すると大体こうなるんだ……)という。で、それが逆に、すごく懐かしい。好事家ほど面白いはず。
18日までやっています。
http://chibinekotom.com/
それに最近試写で見て、これはすごい!となったのは、アレクセイ・ゲルマンの遺作となった『神々のたそがれ』(2013・ロシア)。
地球の調査員が、中世ぐらいの文明レベルの星にやってきたというSF仕立て。その星の者達からは、別世界からやってきた者として、貴族クラスの尊敬と待遇を受けて悪くはないのだが、戦乱が相次ぎ、人々は粗野で強欲が常態だ。
そこで調査員はどうするか。「宇宙大作戦/スター・トレック」のカーク船長のように遅れた文明の惑星の人々を善導する……のとは逆。ミイラ取りがミイラになり、みんなと同じように泥だらけの床で眠り、朝から酒を飲み、たまに暴れたりして、徹底的にのらくらした毎日なのである。
常に画面には異形の者たちが詰め込むように収まり、みんなジロジロとカメラを見たり、アッカンベーをしたりする(この演出が面白くて謎だ!)。いちばんルックスが似ているのは、フェデリコ・フェリーニの『サテリコン』(1969)という気もするが、あっちが描いたのはローマ帝国の退廃。こっちは、ゲンナリを通り越して次第に惚れ惚れしてくるほどの猥雑とした混沌模様に、カオスや蛮性への憧憬みたいなものがたくし込められているのを感じる。大きな宗教が存在しない世界とはどんなものなのか、を描いているとも読める。
暗喩するものがそう簡単には読み取れないように入念に作られているので、神が徹底して無為である姿を通して、ひょっとしたら旧体制への郷愁も混じっているのかも……なんて考えると、なかなかヒヤヒヤするところがある。
それこそ、ソ連時代の、当局さえチェックできない位に風刺・批判を難渋に隠したSF映画が甦ったようなのだ。もう一回観ないと把握しきれない。
3月よりロードショー。http://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/#commentary
さて、今回取り上げたいのは、2013年の香港映画で最もヒットしたという作品。
『激戦 ハート・オブ・ファイト』
2013 監督ダンテ・ラム 香港=中国
2015年1月24日より新宿武蔵野館、シネ・リーブル梅田でロードショー
http://gekisen-movie.jp/
八百長で逮捕された元ボクシング王者で、今は借金取りに追われる身の上のファイ(ニック・チョン)はマカオに逃げ込み、ジムの雑用係になる。ファイに、ボクシングを教えてくれと頼むのは、スーチー(エディ・ポン)。事業に失敗し酒浸りの父の面倒を見ながら、一点突破の夢を高い賞金が出る総合格闘技のリングに賭けていた。
スーチーのコーチをし、同居する大家の母子とふれあううち、くすぶっていたファイは次第に人間味を取り戻していく。しかし、スーチーがリングで大ケガ。母子との間も引き裂かれてしまい……。
という、お話。シンプルです。非常に。
人との交情で零落から蘇生した元チャンプが、今度は自分のためでなく、戦えなくなった弟子や傷ついた隣人のためにカムバックする。
日本の映画、ドラマを見慣れている目からすれば、え、そこの描写を端折るの?となったり、バタバタしてるなあと思ったりするところ幾つもあるのだが(香港映画は昔から、多かれ少なかれみんなそうではある)、向かうゴールが爽やかな心持ちなので、気にならない。むしろ、映画は国によって語り口が違うけど、人情のツボは一緒なんだねえ……と改めて確認できる気分。
いくらでも似た筋立てのスポーツ/格闘技映画は挙げることができる。いや、実のところ順番は逆で、不変のツボを映画がしっかり押さえようとしたら、自然とスポーツ/格闘技が題材に選ばれやすくなるのだろう。
学生時代、実習用に書いたシナリオは、大学のボクシング部が舞台。大学チャンプと、彼に奴隷のようにこき使われる同級生の話だった。あれはよく考えれば、ボクサーのドラマを描きたいというより、男同士のグチャグチャした感情を形にしたかった。それが象徴的に表現できてしかも動きがあるのがボクシング、という順番だった。「蒲田行進曲」など、つかこうへいの影響はモロにあったと思う。
ついでに言うとほぼ十年前、Vシネマでそれなりの予算が出る、という話があった時に書いたプロットも、格闘技がらみだった。おかまバーのママをしている「飯田橋クララ」が、岩手から出てきた純情な妹分を遊んで捨てたボクシングの「亀山三兄弟」にリベンジを誓い、団体戦を申し込むという。
そこのプロダクションの社長の愛人で(秘密にはしているつもりだったらしい)、シネマなんとかストを名乗っていたおばさまが、「私、アクション映画は野蛮だから絶対見ない主義ィー」と甲高い声で一蹴したので、秒殺でボツになったけど。あれもまあ、要は都会の片隅で、ママと女の子達が家族みたいに生きてるってのがやりたかった。新宿の古い映画館でアルバイトしていた時、そこを第二の実家みたいに思っていたから。
『激戦 ハート・オブ・ファイト』は、香港人がマカオで暮し出す設定なのが面白い。
主人公がヘタを打って国に帰れない寂しさと、新しい暮らしの中で大切な存在がひとりずつ生まれていく、そのようすが、実は見応えある試合シーンやトレーニングのシーンと同じぐらい、いい。中国の特別行政区になるまではポルトガル領だったマカオの、エキゾチックな街の風景がすてき。しかも夜のカジノ街はラスベガスみたいにギラギラ。マカオの風景なんてなかなか見られないから、それだけでも楽しい。
1980年代後半、香港ニューウェーブ(ツイ・ハーク、アン・ホイなどによる。外国留学経験を持つ監督の多いのが特徴で、全てスターありきな活劇・喜劇中心の映画界に風穴を開けた)の時代にも、チョウ・ユンファがニューヨークを新天地にして生活する、みたいな映画がありましたね。華人のメンタリティは、違う土地でやり直すようなお話の時に、より繊細に出るものらしい。まるで毛色の違うハード・アクションだが、去年公開された『ドラッグ・ウォー/毒戦』(2012・香港=中国)も、監督がジョニー・トーなのになんか出てくる風景が違う……と思ったら、大陸が舞台だったりした。
資金も人材も大陸に集まるようになり、マーケットの視野があらかじめ東南アジアの中国語圏全体を意識して製作されるようになってからは、香港映画らしい香港映画というのはなかなか作られにくくなってタイヘンだな……と、門外漢の僕は思ってきた。
しかし、ガン・アクション全盛の頃に監督デビューして、ドンパチ専門ぐらいにうっすら認知してきたダンテ・ラムが、まだ若いスタッフとして業界を走り回っていた頃にキラキラ輝いていた香港ニューウェーブのデリケートさ。あのタッチを引き継ぐように、都会に生きる不器用な人々の人情を描くとは。なかなかに嬉しい意外性だった。
もうひとつ、舞台や雰囲気は変れども、ああ、香港映画のキモが甦っている、と思ったのは、主人公ファイと若いボクサー、リーチーの関係。
初めて人をコーチすることになったファイは、リーチーにきついトレーニング・メニューを課し、アドバイスを送りながら、八百長で排斥されて以来背を向けてきたボクシングを自分の中で再構築させていく。
つまり、往年のカンフー映画によく出てきた師匠。男がああいう存在になるための、第一歩を描いた映画でもあるのだ。
人はもう若くなくなれば、新しくできることはどんどん減っていく。その代わり、年下のひとには得たものを与え、教える責任がある。年をとるほど、師の如き心で若い人に接することができるか試されることが増えていく。
ファイとリーチーは年の離れた友達同士のようにじゃれ合う(「寝技からキスに持ち込む」なんて、現場のノリでOKカットになったような一景まである)から、カンフー映画の大仰にストイックなようすとはずいぶん違うのだが。その分、いまどき、師弟の絆を固めていくことには健全な努力が必要になるわけで。
そこらへんをテコにして、主人公の内面的成長を描くところが、特にいいなーと思った。
主演2人のトレーニングと、劇中でのリアルな試合振りは映画全体の売りになっているので、触れるのは後回しになったが、彼らは格闘家出身の俳優なのか?と誤解しそうなほど、見事なものだった。
なにしろ、マウントの足固めを外す、腕ひしぎ十字固めから逃げる、なんて瞬間をカットを割らずに見せるのだ。たいへんなもんだ。
『あしたのジョー』(2011)の伊勢谷友介もスゴかったんだから、ぜひ、こういう映画に「日本からの刺客」みたいな役で出演させてあげたいと思う。あ、でも今は大河ドラマでお忙しいところか。
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