咆哮

負け犬の遠吠えかも…
最近「負け犬」が流行り言葉になってしまったので「落ち武者の歯軋り」とした方がいいのかも…

『パッチギ!』

2005年01月30日 01時56分51秒 | 映画
ストーリー説明及びネタバレなし。

井筒監督ってのは、今まで何故か苦手意識があった。
とは言っても映画は今までに『ガキ帝国』(81)一本しか観ていない。それも最近になってやっと自主上映で見たくらいなので、苦手というのは失礼なんだろう。
『ガキ帝国』ではパワーだとかエネルギーをスクリーンに叩きつけている印象はあったが、結局何が言いたいのかよく解からなかった。しかも、何か自慰的作品の様にも思えた。しかし、これも決して嫌いという訳でもなかった。

では何故苦手意識があるのかというと、おそらくよくテレビで登場するコメンテータとしての彼のキャラクターが苦手なんだと思う。ガラの悪い大阪弁で好き勝手な事を言うキャラが取っ付き難いのかも知れない。こちらも「結局何がいいたいねん、オッサン!」というイメージがあり映画もそんな感じなんだろうと勝手に思い描いてしまうのだ。
そんなこんなで、彼の作品には凄く観たいという欲求が湧かず殆ど観ていなかった。

では今回は何故観ようという気になったのかは、予告編の「イムジン河」の歌の懐かしさに惹かれたからだと思う。
で、作品はというと、私の想像通りの作風であり、キャッチコピーに「世界は、愛で変えられる。」とあるが「本気でほんまにそんな事思ってるんかいや?」と突っ込みを入れたくはなったが、好感の持てる作品には仕上がっていた。

って、なんか書いている内に自分でも何を書きたいのかよく解からなくなってきたよ。それに、この(監督)作品が好きなのか?嫌いなのか?ってことも…。(笑)
違和感とシンパとが入り混じっているんだよな。ひょっとして、何かに対しての怒りやら、この訳の解からないモヤモヤとした気分の継続やらが自分と似ているのかも知れない。

しかし、去年見た類似作品『69』(原作は大好き)よりも確実に好きだしノスタルジーも感じた。


テレビ「劇的ビフォーアフター」への疑問

2005年01月24日 08時40分34秒 | 独り言
私はテレビは殆ど見ない人間なんだけど、それはドラマなど集中して見ていないということで、家にいる時はテレビは結構つけっばなしの状態になっている。だから「ナガラ族」的に横目でチョコチョコ見ている感じだ。1人暮らしなので何か音が無いと寂しいからかも知れない。(だからと言ってCDなど音楽を聞くのは、どうしても集中してナガラが出来ない性質なのでつけないようにしている。)

そういう中でもお気に入りの番組もある訳で、表題の番組も好きな番組の一つなんだけど、この番組が好きなのは私自身部屋のインテリアとかレイアウトを考えるのが好きだし、プロの建築家のセンスとかを見るのが楽しいというのであって、あの番組の趣旨やまとめ方に対してはいつも疑問に思っている。

ある問題を抱える家をプロの建築家が改築するのだが、ヘンなのは改築前の荷物が改築後には綺麗サッパリ消えていることである。あれはいったい何処へ行ってしまったのだろう?といつも疑問になっている。もう廃却してしまったのだろうか?。いや、ゴミ同然のものならいいのだけれど必需品である電化製品までいつも綺麗に無くなってしまっている。という事は、これらは美観を損なう代物であるということなのか?。(笑)
決まってアフターの映像には生活感がまるで感じられない、絵に描いたような型に押し込めた空間になってしまっている。テレビ、冷蔵庫、洗濯機などはギリギリ置いている映像があるが、我々の生活にはまだまだモノが溢れかえっているはず。それらが全く消え去っている。
ポスターは?、カレンダーは?、パソコンは?、新聞に雑誌や本は?、ビデオは?、そうしたものが人間が暮らしている生活感に繋がってくるはず…。そうしたものを排除してその人の生活は成り立たない。はたして、そういうものが介入した時にその改築はどのような雰囲気になってしまうのか?。そこが全く描かれていないのだ。

家の構造上の問題はさておき、今までの多くの問題は荷物がどんどん増えて生活空間を無くしてしまっているというのが一番大きな問題であり、それは家の問題というよりも、そこに暮らす人の性格の問題の方が大きい筈なのだ。
だから家を改築しても其処に住む人達が同じなら、また同じような雑然とした生活空間に戻ってしまう可能性の方が高いのだけれど、其処まではこの番組は後追いしていない。(爆)
私が凄く興味があるのは、この番組の更に一年後のアフターも見せて欲しいという点にある。あれだけ綺麗に改築して、それが本当にその人達の性格に合った改築だったのか?、それが一番見たいのだ。

とまあ、いつも薄っぺらな(涙・涙)で幕を閉じてしまっている番組なんだけど、面白い番組には違いない。
お金さえあれば私の家も大改築したいけど、お金があれば新しい家を買った方が早いかな。(笑)

『レイクサイド マーダーケース』

2005年01月23日 18時19分27秒 | 映画
ストーリー説明及びネタバレなし。

面白かった。
下の『バウンス ko GALS』の感想で「社会派ぶった、人情話」なんて書いたけど、これは丁度それとは逆の作風で私好みの作品だった。
要するに、これが作品の質以前の作り手との相性ってことになるのだろう。

もう少し具体的に書くと、この作品はパッケージとしては娯楽作品でありミステリー作品なんだけれど、観た後に社会派作品としてのメッセージを強く感じる作品だったということである。
個人的に楽しみながらいつのまにか考えさせられる、っていう作品の方がカッコイイと私は思っているのだろうな。

ここに登場する人物達が、私がここで批判する標的ような人物ばかりだったのに笑ってしまった。要するにそれなりの社会的成功者であり、それなりに常識人であり、それなりの知性もありという、早い話「俗物」ばかりなんだけど「では、今の世の中で俗物でなくてまともに生きていけるのか?」という、俗物の居直りというのか、凄みというのか物語が進んで行くうちに、「こうなったらこうするしか他に手段は無い」という説得力まで出てくるのが非常に怖い作品だった。
ミステリーというより人間心理の面白みに加えて社会批判まで及んでいる作品だったので、凡百の社会派映画より遥かに力強く観客の問題意識を喚起する作品だったように思える。



『ネバーランド』

2005年01月18日 23時36分34秒 | 映画
私はこの手の作品の感想を書くのが凄く下手というかメチャクチャ苦手なのでコメントはあえて書きませんが、今年最初からいい映画観させて貰いました。
ということで採点だけ…。


あっ、ついでに今年に入って観た作品のコメントなしで採点だけ上げますと

・『フル・フロンタル』(BS録画):
・『マイ・ボディガード』(劇場鑑賞):
・『イルマーレ』(BS録画):
・『ヴァン・ヘルシング』(劇場鑑賞):

今後コメントなしの作品は、このようにまとめて採点だけ掲載いたします。

『バウンス ko GALS』

2005年01月18日 21時46分55秒 | 映画
私の天敵(?)ともいえる原田眞人監督作品(1997)なんだけど、基本的にこの人の企画に対してはいつも興味津々であるということだけは告白しておこう。(笑)
この作品も興味はあったのだけど見逃した作品でやっと観れた。
で、感想はというと非常に面白かった。f^_^;;

でも、この監督作品を素直に褒めるのは悔しいので、私流にケチをつけながら話を進めよう。
この作品って、一見いかにも時代を切り取り風俗や若者をリアルに描いて、今(その時代)を表現しようと試みているかのように見えるが、個人的にこれはこの監督の悪い癖だと思う。ハッキリ言って、ここに描かれているのは今の少女達では全くなく、たんに作り手(オヤヂ)の理想というかこうであって欲しいという幻想の少女達でしかない。(この辺り対象が違うだけで、構造的には私の大嫌いな『金融腐蝕列島[呪縛]』と同じだね。)

観ていない人達にもっと分りやすく説明すると、去年のヒット作『下妻物語』と作風や売り方は全く正反対なのに、テーマは殆ど同じ作品なんだよ。だったら素直にあのようにストレートに描けばいいのに、外面は色々と社会問題やら薀蓄を絡ませながら社会派作品っぽく仕上げてしまっている。なのに本質は全然リアルではない。現実はもっと空虚で殺伐としているよ。
でも、だから見てて気持ちいいんだけどね。社会派ぶった、人情話を撮るなよ。まあ、ホント困った人(原田監督)だ。(苦笑)


今更・・・・

2005年01月16日 08時56分36秒 | 独り言
NHKの番組に対しての政治介入の問題だけど、今更こんな問題ナンセンスもいいとこ。(爆)

個々の問題など私にとってはどうでもいいのだけれど、ジャーナリズムと政治の馴れ合いや茶番劇など、我々はここ何十年間ずっと見せ付けられているじゃないか。
個人的には政治家やマスコミに対しての倫理観の期待なんてもうとっくに失われているよ。

今更こんな問題どうでもいいよ。
国民がそれを認識して監視していればいいだけのこと。(それが一番の問題なんだが…)
組織や政治なんてそういうものだという認識の下で我々はここ何十年間この国で生き抜いてきた訳でしょ。そして、今後も生き抜いて行かなければならない訳でしょ。
早い話、この国で生き抜くには神経も彼等と同じ様に太く(若しくは鈍感に)同じ穴のムジナでなければやって行けない訳ですよ。それが我が国の自殺率にハッキリと出ているじゃないですか。(繊細、潔癖症、理想論者、または枠内挫折者は、この国では生きては行けない)

ただこんな国でも隣の国のように最悪の状態にならないのは、えらいさんが沢山いてその力が拮抗し牽制し合っているのと、彼等に哲学がなく野望が小規模だからでしょ。それが幸いして我々はそれなりに自由に暮らせている訳だよね。
我々国民側は嘘で固めたこの国の中で、それを何処まで許せるのかの見極めだけは出来る状態にしておかなけれならないのだが、もう無理なのかな。

これからまた暫らくはこの問題で茶番の連続を見せ付けられ、すぐにまたマスコミの誘導で忘れ去られるのでしょうよ。


『イズ・エー』

2005年01月09日 21時43分53秒 | 映画
意外に評価が低いと思われるかも知れないが、映画の評価なんて所詮鑑賞者の予想や期待値との相対評価でしかないということだと思う。

この作品の場合私は「社会派映画」を期待して臨んだのだけど、観ているうちにこれは全く社会派作品ではなく、よくある人間ドラマだということを途中で理解した。
でも、やはり扱っている内容からして社会派映画にして欲しかったという、たんなる一鑑賞者の我侭に過ぎない。

で、「その違いとは何か?」なんだけど、これも私の中の勝手な定義づけに過ぎないが、社会派作品というのは扱うテーマが鑑賞者にどれだけ迫って来るかが肝心であり、人間ドラマというのはその主人公の生き方が鑑賞者にどれだけ迫れるか(若しくは行動にどれだけ説得力があるか)の違いだと思っている。

そして、この作品は私の中では社会派映画では無かったし、人間ドラマとして観た場合は、誰を主人公として観るかによって少し変わって来るが、それにしても個人的には誰にも感情移入し難かったので少々低めの評価になってしまった。



映画の自己評価

2005年01月09日 13時45分49秒 | 映画関連
今後、映画のコメントの最後に自己評価をつけます。
意味は以下の通りです。

:完璧

:満足

:好き

:普通に楽しめた

:こんなものでしょ

:何処が面白いの

:時間損した

:最悪

:評価不能(コンディションが悪かったりとか居眠りした場合、等々)

『約三十の嘘』

2005年01月09日 10時23分35秒 | 映画
最初に断っておきますが、この作品はけっして嫌いではありません。
じゃあ、何故お断りを入れるのかというと、この作品について何か語ろうとすると、色々と邦画の嫌いな部分ばかり喋り出しそうな気がするからです。(笑)

多分この脚本などは、今のネタが枯渇状態のハリウッドなら直ぐ買いそうな中々洒落た企画だと思います。そして、もしアメリカ人がこれをリメイクしたとしたら、もっと小粋な作品に仕上げそうな予感もします。f^_^;;

で、この邦画なんですが、こういうライトコメディーなのに、後半何故こう熱く愛や友情について語るのかなぁ~って、シラケルっていうより逆に微笑ましくなってしまいましたよ。(苦笑)
設定として、登場人物はあくまでも反社会的な詐欺師達でしょ。(笑)
所詮、品性下劣な詐欺師達にそういうテーマは嘘臭い感じしかないでしょ。
そういう勘違いをまともにやってしまうのが、テレビドラマであったり、安物の映画であったりする訳で、その辺りの重いテーマは排除して軽く軽妙に粋に仕上げるのはやはりハリウッドには敵わないでしょうね。

それに詐欺師達のやっていることが、安っぽい贋羽毛布団の販売なんてあまりにもリアル過ぎて(うちの母親なんかそれに本当にひっかかったよ(爆))、主人公達に感情移入なんてできっこないよ。ハリウッドなら同じ穴のムジナの悪から何百万ドルの強奪ってな最初から嘘の世界なもんだから、観客がそんなことで退いたりしないでしょ。(笑)

でも、フォローしときますが結構面白くは観れたのですよ、この作品。f^_^;;
中谷美紀の潤んだ瞳でああ言われちゃ許してあげるって気になってしまいましたよ。
この作品で本当に詐欺っぽかったのは、女優陣二人だけ。
特にあの中谷美紀の瞳とパインちゃんの胸かな。(笑)あれなら大概の男はひっかかると納得。



『カンフーハッスル』

2005年01月05日 18時29分24秒 | 映画
面白かったが、前作の「少林サッカー」とどちらが好きかと問われると「少林サッカー」かな。

この映画を観ながら感じたのは「日本のサブカルチャー(その中でも特に漫画)の影響力って、本当に世界中を席捲しているな」という思いだった。
これは何の根拠もないし私のただの想像なんだけれど、この映画って様々な(サブカルチャー)作品のパロディだって事は映画好きなら誰でも感じるだろうけど、その大本のベースになっているのって日本の漫画そのものでしょ。(もう少し限定すると特に80代から90年代頃の少年漫画雑誌で流行ったギャグ漫画や格闘系の漫画などなど)

それは、まあ日本映画でもチープな形では色々と(いや、物凄く沢山)映画化されているが、そういうチープさを感じさせない正々堂々と「漫画」そのものを「映画」とという形に変換して見せられる時代になってきて、それが本家の日本ではなく外国映画だったということが、なんだか複雑な気がしている。
日本人が作るとどうしても肩に力が入ってしまうのかなぁ~。