咆哮

負け犬の遠吠えかも…
最近「負け犬」が流行り言葉になってしまったので「落ち武者の歯軋り」とした方がいいのかも…

『カンフーハッスル』

2005年01月05日 18時29分24秒 | 映画
面白かったが、前作の「少林サッカー」とどちらが好きかと問われると「少林サッカー」かな。

この映画を観ながら感じたのは「日本のサブカルチャー(その中でも特に漫画)の影響力って、本当に世界中を席捲しているな」という思いだった。
これは何の根拠もないし私のただの想像なんだけれど、この映画って様々な(サブカルチャー)作品のパロディだって事は映画好きなら誰でも感じるだろうけど、その大本のベースになっているのって日本の漫画そのものでしょ。(もう少し限定すると特に80代から90年代頃の少年漫画雑誌で流行ったギャグ漫画や格闘系の漫画などなど)

それは、まあ日本映画でもチープな形では色々と(いや、物凄く沢山)映画化されているが、そういうチープさを感じさせない正々堂々と「漫画」そのものを「映画」とという形に変換して見せられる時代になってきて、それが本家の日本ではなく外国映画だったということが、なんだか複雑な気がしている。
日本人が作るとどうしても肩に力が入ってしまうのかなぁ~。


三つ子の魂

2005年01月05日 10時34分33秒 | 独り言
昨日、映画を観るために梅田に出て、少し時間があったので映画館近くのコミック屋で時間を潰していると手塚治虫の「アトム今昔物語・復刻版」というのを見つけて、ついつい誘惑に負けて買ってしまった。f^_^;;

私をよく知る人は「手塚治虫全集持っているくせして何故買うんだ?」って言われそうなんだけど、これには事情がある。

この漫画は元々雑誌ではなくてサンケイ新聞に連載されていたもので、全集に納められていた今昔物語はそれを元にして後で書き直したダイジェスト版のようなものだったので、当時リアルタイムで毎日その漫画を切り抜きまでして読んでいた私にとっては実に物足りないものだったのだ。
で、今回の復刻版はその当時の掲載されていた漫画そのものを複写した形のものだったので、私にしたら「即買い」の代物だった訳である。

しかし、あの切り抜きはいったい何処に行ってしまったのだろう。私は捨てた記憶はないのだけれど、今でも実家の押入れの奥で眠っているのだろうか?、いやいや、おそらくお袋がとっくに捨ててしまっているのだろう。昔の私はそういうゴミ(私にとっての価値ではなく、母の価値観でのゴミ)の収集癖があったので色々捨てられて大喧嘩した記憶がいっぱいある。(笑)

そういえば映画好きになった中・高生の頃は、今ほどチラシとかなかった時代なので新聞の映画の封切り時に出る広告まで切り抜いていたなぁ~。今でこそその習慣はなくなったが、チラシの収集などは今も続いている。
雑誌などを買ってもその付録など絶対に捨てられない人間だった。
映画を観始めた頃からパンフレットを買う習慣も今も続いている。(今では数千冊になっている)
まあ、パンフレットはそこそこお金がかかるが、昔から金のかからないものの収集癖はあったように思われる。

三つ子の魂百までなんていうけれど、おそらくこの性質は一生変わらないように思う。
でも、この性質って実は上の母親の性質を受け継いでいるようにも思える。(笑)
とにかく捨てないのである。ちっちゃなちっちゃなウサギ小屋のような実家の押入れは物で溢れかえっている。(あっ、父親もあまり捨てない人間だな)
ただ、その人によってその捨てられない物が違っているだけなのだ。
だから、この性質というのは私だけではなく、人により対象が変わるってだけで、人間(今の日本人?)というのは殆どはこの性質によって振り回され生きていると言っても大袈裟ではないように思うのだが…。
今の殆どの人間(日本人)は、その人にとっての宝物(他者にとってはゴミ)に囲まれて生活しているんだろうな。