先日、阿部亮先生から「酪農を始めた男たち」という私家版の本をいただきました。先生が今年の春、大学をお辞めになったのを機に、まとめられたものです。
内容は、昭和41年から農水省と大学で乳牛栄養の研究と教育に携わりながら、そのときどきの事象を中心に、「酪農・畜産への思い」と「研究のあり方」を、酪農雑誌や畜産雑誌に発表してきたもの。
題名は、ガット交渉の農産物自由化が議論されている頃の1991年、弊誌に寄せていただいた文章のタイトルから付けられています。
ページを繰ると、
<灯は厳寒の中、そこに住む人と牛の息づかいを感じさせるとともに、自然と闘いながら生き抜いていく人間の意思の矢のようにも見えた。振り返ってみると、その頃から“農”に対する自分の考え方が少しずつ変わってきたように思える。“人と人のつながりの中での研究と技術の行き交いを次第に意識するようになった”・・・>
<地域における目の前のエサを前にしては、飼養標準の解説だけでは、やはり手の届かないところは多く出てくる・・・>
<若い酪農家と夜の12時を回る位の時間まで、粗飼料の栄養価、採食性、ルーメン発酵、乳質などについて議論した時の、彼らの生き生きとした目を今でも忘れることができない・・・>
などとあり、研究と酪農生産の実際をつなげようとして歩んできた姿がよく分かります。
さらには、
<十勝農協連のSさんには勇気づけられた。彼は「酪農家は自分では気づかないまでも、(家畜飼養に関する)膨大な実験を繰り返しているわけです。ですから、研究者がこういういいことがあるとか、7割くらいは当たっていると思った時は、どんどん言ったほうがいいですよ。それを農家が自分で判断して、自分の責任で取り込むわけですから、絶対に恐がらないほうがいいと思います」と試験場の研究員を励ましてくれた・・・>
というエピソードも紹介されています。
TMRセンター、食品副産物利用やエコフィード、穀物でんぷんとエタノール燃料などへの考察もあり、近年、それら議論のまとめ役を担ってきた先生の、“日本酪農のパラダイム転換”へのメッセージともいえるでしょう。
内容は、昭和41年から農水省と大学で乳牛栄養の研究と教育に携わりながら、そのときどきの事象を中心に、「酪農・畜産への思い」と「研究のあり方」を、酪農雑誌や畜産雑誌に発表してきたもの。
題名は、ガット交渉の農産物自由化が議論されている頃の1991年、弊誌に寄せていただいた文章のタイトルから付けられています。
ページを繰ると、
<灯は厳寒の中、そこに住む人と牛の息づかいを感じさせるとともに、自然と闘いながら生き抜いていく人間の意思の矢のようにも見えた。振り返ってみると、その頃から“農”に対する自分の考え方が少しずつ変わってきたように思える。“人と人のつながりの中での研究と技術の行き交いを次第に意識するようになった”・・・>
<地域における目の前のエサを前にしては、飼養標準の解説だけでは、やはり手の届かないところは多く出てくる・・・>
<若い酪農家と夜の12時を回る位の時間まで、粗飼料の栄養価、採食性、ルーメン発酵、乳質などについて議論した時の、彼らの生き生きとした目を今でも忘れることができない・・・>
などとあり、研究と酪農生産の実際をつなげようとして歩んできた姿がよく分かります。
さらには、
<十勝農協連のSさんには勇気づけられた。彼は「酪農家は自分では気づかないまでも、(家畜飼養に関する)膨大な実験を繰り返しているわけです。ですから、研究者がこういういいことがあるとか、7割くらいは当たっていると思った時は、どんどん言ったほうがいいですよ。それを農家が自分で判断して、自分の責任で取り込むわけですから、絶対に恐がらないほうがいいと思います」と試験場の研究員を励ましてくれた・・・>
というエピソードも紹介されています。
TMRセンター、食品副産物利用やエコフィード、穀物でんぷんとエタノール燃料などへの考察もあり、近年、それら議論のまとめ役を担ってきた先生の、“日本酪農のパラダイム転換”へのメッセージともいえるでしょう。