ビスケットのあれこれ

ビジュアル言語ビスケット(Viscuit)に関するあれこれを書いてゆきます.

小学校の田んぼとプログラミング教育

2016-01-31 12:21:15 | 1
僕はこのブログで「プログラミングを学ぶべき理由」をずっと説明してきました.要約すると,プログラミングはこれから重要なスキルであると言われているけれども,それ以前に,「コンピュータとはなにか」ということを知るためにプログラミングを学ぶべきなんですよ,ということです.

「コンピュータとはなにか」というのが説明が難しい.だいたいコンピュータの専門家でもここはうまく言語化できていないんじゃないでしょうか.僕もかなり手探りな状態です.

それで,最近つかっている例が田んぼです.多くの小学校に小さな田んぼや畑があって,担当の学年が決まっているのだと思いますが,お米や野菜を育てています.秋には収穫されて,それが給食に出されたりします.なんのために,これを小学生にやらせているのでしょうか.普通にスーパーに行けばお米や野菜は簡単に手に入ることができます.大人になっても趣味で農園をやっている人はいますけれど,大半の人は購入で済ませてます.まして,これからは農業の時代だからすべての子どもたちに農業体験は必須である,ということでもありませんよね.

逆に私たち大人が気持ち悪いと思うことは,子供達が,お米や野菜がどうやって育つのかを知らない,ということですよね.都会に育つ子供達だと,どうやって育つのかをまったく知らないまま大人になってしまう可能性があります.魚の切り身の話もありましたね.子どもは売られている切り身しか見たことがないから,切り身の状態で海に泳いでいると思っているとか.

教育を効率とか将来の効果とかそういう視点だけでみてしまうと,田んぼはたぶんやらないです.ところが,大半の大人たちは,それを知らない子どもを気持ち悪いと思う.なので,小学校で田んぼをやることは,なんとなくいいことだという合意は取れているわけです.

たんぼをやるというのは,分解すると,水とお日様が大事だとか,雑草をとらないと栄養が奪われるとか,小さい種から少しずつ大きくなるとか,毎日見てても成長の変化には気がつかないけど,長い期間で見ると確かに成長しているとか,そういう,わざわざ言葉にしなくてもいいくらい常識的なことをなんとなく知るということですね.

コンピュータとはなにかというのも,そんな難しい話をしているのではないのです.水やお日様や種や成長といったことに相当するコンピュータの中身のことを知るということなんです.

野菜の成長のことなんか何にも知らなくても,スーパーで買ってくるぶんには困らないように,コンピュータの中身を知らなくてもコンピュータは使えます.でも,野菜の成長のことを知らない子どもが気持ち悪いと同じような感じで,コンピュータの中身をしらない人が大勢いるのは気持ち悪いと思うわけです.

ものと情報

2016-01-18 17:01:31 | 1
最近,ビスケットを使ったコンピュータサイエンス入門講座や,その内容についてコンピュータの専門家たちと話をしていて,なんとなく感じたことを書いてみたいと思います.


感染のシミュレーションを使って,情報とは何か,情報の原理について説明しています.そこでの説明は,「物は相手に渡すと自分のところからは無くなります.情報は相手に教えても自分は忘れません.ここでやっているのも,風邪を他人にうつしても自分は治りません.だからすごい勢いで拡散します.情報が拡散しやすいというのは,情報が原理的にもっている性質そのものなのです」というものです.

コンピュータは情報を処理する機械です.情報の処理を積み重ねて,そこにあたかもものがあるかのように動かしてます.たとえば,チケットの販売を考えると,昔はチケット売り場にそれぞれ100枚くらいずつ在庫を持っていて,お金と引き換えにチケットを売っていたわけです.どこかの売り場で売り切れたら,まだ売れ残っている売り場を探して買いに行った.いまは,チケットというものはなくて,あと何枚残っているか,という情報だけで,全国どこからでもチケットを買うことができるわけです.実に便利ですけど.もともと情報とものは全然違うのに,情報の処理を積み重ねてあたかもものがあるかのように動かしている.その辺りはきちんとしたお作法でプログラムを作らないとそれができないのですが,それを知らないでシステムを作ったりすると,昨年の夏にあった,嵐のコンサートでホテルの空室以上に予約をとってしまったというような珍事件が起きるわけです.

いま幾つかのグループで,いくつかのプロジェクトが同時進行していて,それぞれのグループで使っているグループウェアが違っていて,なかなか慣れるのが難しいのですが.でドキュメントを共有する方法もちがっていて,掲示板に共有したり,GoogleDocsつかってみたり.その中でどうしてDropboxでの共有が心地良いのかなと考えているのですが,その理由がファイルがモノっぽく見えるからなのかなぁとぼんやり思ってます.いろんな高度な機能が追加されて,それらの機能がアクセスしやすいところにある,という設計だけではダメな気がします.

ビスケットを作るときにインタフェースですごく意識したのが,情報の編集ではなくて,ものをつくっている,という感じをどう出すかだったんですよね.その一つが,いらなくなったメガネを捨てるときに,いっぺんには捨てられなくて,中の部品を一つずつお片づけして,空になったメガネをもとに戻す,という,情報の編集の観点からはなんとも面倒な手順をあえて残してあるところなんですが.