ビスケットのあれこれ

ビジュアル言語ビスケット(Viscuit)に関するあれこれを書いてゆきます.

ものと情報

2016-01-18 17:01:31 | 1
最近,ビスケットを使ったコンピュータサイエンス入門講座や,その内容についてコンピュータの専門家たちと話をしていて,なんとなく感じたことを書いてみたいと思います.


感染のシミュレーションを使って,情報とは何か,情報の原理について説明しています.そこでの説明は,「物は相手に渡すと自分のところからは無くなります.情報は相手に教えても自分は忘れません.ここでやっているのも,風邪を他人にうつしても自分は治りません.だからすごい勢いで拡散します.情報が拡散しやすいというのは,情報が原理的にもっている性質そのものなのです」というものです.

コンピュータは情報を処理する機械です.情報の処理を積み重ねて,そこにあたかもものがあるかのように動かしてます.たとえば,チケットの販売を考えると,昔はチケット売り場にそれぞれ100枚くらいずつ在庫を持っていて,お金と引き換えにチケットを売っていたわけです.どこかの売り場で売り切れたら,まだ売れ残っている売り場を探して買いに行った.いまは,チケットというものはなくて,あと何枚残っているか,という情報だけで,全国どこからでもチケットを買うことができるわけです.実に便利ですけど.もともと情報とものは全然違うのに,情報の処理を積み重ねてあたかもものがあるかのように動かしている.その辺りはきちんとしたお作法でプログラムを作らないとそれができないのですが,それを知らないでシステムを作ったりすると,昨年の夏にあった,嵐のコンサートでホテルの空室以上に予約をとってしまったというような珍事件が起きるわけです.

いま幾つかのグループで,いくつかのプロジェクトが同時進行していて,それぞれのグループで使っているグループウェアが違っていて,なかなか慣れるのが難しいのですが.でドキュメントを共有する方法もちがっていて,掲示板に共有したり,GoogleDocsつかってみたり.その中でどうしてDropboxでの共有が心地良いのかなと考えているのですが,その理由がファイルがモノっぽく見えるからなのかなぁとぼんやり思ってます.いろんな高度な機能が追加されて,それらの機能がアクセスしやすいところにある,という設計だけではダメな気がします.

ビスケットを作るときにインタフェースですごく意識したのが,情報の編集ではなくて,ものをつくっている,という感じをどう出すかだったんですよね.その一つが,いらなくなったメガネを捨てるときに,いっぺんには捨てられなくて,中の部品を一つずつお片づけして,空になったメガネをもとに戻す,という,情報の編集の観点からはなんとも面倒な手順をあえて残してあるところなんですが.