うざね博士のブログ

緑の仕事を営むかたわら、赤裸々、かつ言いたい放題のうざね博士の日記。ユニークなH・Pも開設。

春雨、春嵐、思考し行動する日々、そして春愁、(雪椿)

2008年04月11日 06時46分15秒 | わたしの日常です。
この数日、天候がめまぐるしく変わる。先日は台風に比するような旋風と90mmを超える大雨があり、花冷えの日がつづく。
 調整池補修計画PJに関して、新たな行動を始める。2,3日考えて、頭を整理して動いたのだ。市への働きかけだ。物事を進めるときにやみくもになってもしょうがない。先頭を走っていても、自分自身がなにほどのものかを常に意識内に入れず動いていたら結果的になんらの効果も得ずして、感情的な不満解消にしかならない。
 わたしはいい年をした大人だ。酸いも甘いも噛み分けていなければならない大人だ。

 本当はこんなことをしていられない。生活第一、ボランティア第二、わたしが思考が得意とか慣れているとかではなく、日常の地に着いた作業に戻そうと一所懸命に気分を変えて考えを時系列にまとめる。
 苦手ではあってもこのことの習慣化に尽きるのだ。

 ひそかに嬉しいことがある。
 わが家では雪椿が満開だ。
 平成7年10月に新潟の北方文化博物館へ当時の社内の部下連中5,6人を編成して行ったことがある。一泊二日の研修旅行にして、その後JR磐越西線で窓外に山の中、そば畑などを経て三川村の将軍杉をみて小さな新造の温泉宿に泊まり、会津若松をまわったのである。そこで数粒の雪椿の種子を拾い自宅の苗床に播いた。それが背丈70cmほどだがことし初めてつぼみをつけて赤い花が咲いたのだ。花は4輪、やや受け咲きで関東の藪椿より小ぶりだ。すでにして年月は、足かけ13年が経った。
 しかし、家族にも訪問客にも意気込んでわたしがその由来を話しても、誰もが無関心だ。誰にとっても、こんなよしなしごとよりも生計上の糧を得るのが大事だ。
 今、わが家の玄関ポーチに雪椿が8号の常滑鉢で満開だ。

 そうなんです、これでもわたしはキチンとした大人なのです。

 なんだかこれでは威張っているように受け取れる文意になっているかな。
            
 
コメント
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