雑談の達人

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紅白歌合戦の勝敗の意味。

2010年01月03日 | その他の雑談
紅白歌合戦を見た。海外でも、紅白は見れる。

一応、「合戦」なので、勝敗があるわけだが、紅白の勝敗って、いったい何なんだろう? M-1みたいに、審査員が個別に点数をつけるわけでもない。いま一つだった歌手に、厳しい注文をつけるわけでもない。そもそも、勝ち負けの基準が全く不明で、アバウトすぎる。勝ったからと言って、賞金があるわけでもない。

今年も結局白組が勝ったが、おそらく本心ではうれしくも何ともない白組司会の中居クンの無理な喜び様が、何だか白々しくて痛々しかった。勝利それ自体よりも、原監督から優勝旗が授与されることに大ハシャギしていた(こいつ巨人ファンなのか、とこれで知ったw)。それぐらいしか、喜び様がなかったのだろう。

方や、負けた紅組司会の仲間由紀恵も、全く悔しくなさそうだった。「歌は勝ち負けじゃないですよね」みたいな、それを言ったらおしまいだろう、みたいなことを番組の終わり際に言っていた。ほかの女歌手どもは引いて沈黙していた。

さて、紅白開始から60年の時を経て、時代は変わった。「勝ち組」「負け組」といった言葉が暗喩するように、「勝ち負け」は、生死に関わる重い言葉となった。右肩上がりの成長神話が生きていた時代には、「WIN・WIN」とか、「自他共栄」とかいうキレイ事が、見かけの上で可能であるかのように見えた。しかし、負け組を踏み台にせねば、勝ち組に入れないことは、今や明白だ。

そういう観点で見ると、紅白歌合戦というのは、今年の勝ち組総出演番組なのだ。歌手だけでなく、今年売れた芸人、活躍したスポーツ選手、作家、子役まで出てくる。

紅白出場の栄誉を勝ち取った歌手たちの「勝ち方」も、何だかえげつない。全くヒット曲がないのに有力芸能事務所の政治力で出場しているとしか思えない歌手がたくさんいるのも、実力よりもコネがものをいう現実社会そのままだ。

毎年オオトリを務める大物演歌歌手の娘婿になった男などは、紅白歌合戦以外の番組で見たことがない。東北地方を寂しく旅する歌だけが知られている、その番頭的存在の中堅歌手は、出場枠を奪われリストラされたようだ。

美声だけが取り柄の、同じく何のヒット曲もないまま連続出場を重ねてきた歌手が、良心の呵責に耐えかねて、とうとう紅白勇退を宣言した。だが、芸能界の政治力だけで生き延びている妖怪のような老女に「紅白でなくても方法はいくらでもあるでしょ」と、身も蓋もないツッコミ(あるいは文字通り「ボケ」?)をいれられていたが。

政治力がないなら、勝ち組に滑り込むには、少数でもとにかく根強い固定ファン(アキバ系オタク、演歌追っかけオバハン、ご当地ソングのご当地の方々などなど)をつかまなくてはならない。そうでない者は、派手な衣装や、病気や、色恋沙汰(そういえば、白組司会と「エロかっこいい」歌手との噂は、いったいどうなったのだろう?)やら、何でも売らなくては生き残れない。初めて洋服を着てみた演歌歌手とか、何かやらねば生き残れないと感じ始めたので、必死なのだろう。来年の大河ドラマの番宣で長崎から中継してた歌手は、来年一年は安泰だという余裕が伝わってきた。

今年のヒット曲といっても、小粒ばかりである。もはや「歌の力」だけでは、とても生き残れない。そんな厳しい現実を物語る、出場歌手の面々であった。

そのようなことを考えて、新年を迎えた。今年もよろしくお願いします。


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