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雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

官僚依存批判が欠く、頼れる部下の不在という視点

2009年07月28日 | 政治の雑談
民主党は、官僚政治の打破を掲げて、来る総選挙に挑むそうだ。何でも、国会議員を100人以上役所に送り込んだりするつもりらしい。これまでの官僚依存体質から脱却し、政治主導で政策を実現するという。

で、毎度のことではあるが、ひねくれ者の筆者にとっては、政権交代が起こる、起こらないについては全く関心がない。まぁ、どっちに転んでも、日本は今後も没落していくのだろうな、という漠然とした思いはある。いつの間にやら、日本は国民一人当たりのGDPが世界で20位にも入らない程度の国に落ちぶれてしまった。そういえば、「経済大国」という言葉が鳴りを潜めて久しい。日本を世界に売り込むネタに窮する余り、政府までもがサブカル頼みという情けなさツケを将来に回すぐらいしか打つ手がないみたいなので、きっと財政も年金もその内破綻するだろう。そんな斜陽の国に生まれてしまった一介のサラリーマンに出来ることなど知れているが、せめてしたたかに生き抜かんと貯金に励もうと思う(定額給付金? 勿論全額貯金ですよ!)。各党とも、没落のスピードの遅さを競い合って、せいぜいがんばって欲しい。

むしろ筆者が気になるのは、官僚(言ってみれば、政治家の部下だ)の言いなりとか、丸投げとか、任せっきりということが、何故ここまで悪いことにされるのか、ということである。任せたことにより生じた結果を問うのならわかる。あいつらに任せたら、とんでもないことになってしまった。何故、こんなことになってしまったのか。他にやり方はなかったのか、と。逆に言えば、別に仕事を部下に丸投げしても、それで上手くいく分には、結果オーライで良いはずだ。

ところが、ここでの焦点は「任せる、任せない」それ自体である。つまり、「部下なんてものは自分のことしか眼中にない連中で、見てない所で何をしてるか分からない。奴等の言うことを鵜呑みにし、仕事を丸投げしてはならないのだ。リーダーが陣頭指揮をとって自ら判断を下せば下すほど物事は上手くいく。大所高所の判断などできるはずもないアホな部下どもは、手足の如く黙っていうことを聞いていれば良い。部下に仕事を任せるなど、リーダーとして無能な証拠だ。」と言わんばかりである。

ちょっと待って欲しい。仕事は人に任せてナンボである。何でも自分でやらなくてはならないのなら、組織など必要ない。この複雑な現代社会において成功するためには、重要な仕事を安心して任せられる有能な子分をどれだけ多く確保できるか次第ではないだろうか。失敗が許されない重要な仕事を丸投げできるほどの部下が居るなんて、何て幸せなことだろう。そういう人材がいないので、新たなステージの仕事に専念できず、頭を抱えている経営者や管理職は山ほどいるはずだ。

おそらくは、これまでは官僚に丸投げでもそれなりに上手くやってこれたのだが、それが近年、とうとう行き詰ったことが明らかになったのだ。外交、経済、財政、福祉、農業・・・難題は山積していくばかりで、(自称)超優秀な霞が関のエリート官僚様の言うとおりにしても、ちっとも事態は好転しない。そこで出てきた結論が、「だから、あいつら(官僚)に丸投げしていてはダメなのだ。国民の代表であるオレたち政治家自身がやらねばならないのだ。」ということらしい。

でも、これっておかしくありません? 見方を変えれば、気がついたら、仕事を全然任せられない無能な部下ばかりで溢れてしまって、行き詰ったってことじゃないですか。最高レベルの優秀な人材ばかりを採用していたつもりが、ハズレばっかりだった(あるいは育成過程でスポイルしてしまった)わけだ。ダメ社員ばかりを抱え込んでしまった哀れな会社の社長や役員が、「もう、社員などに仕事は任せられない!」と言って、現場の営業や製造ラインに出ていきますかね? そうすれば、利益があがるんですかね? 会社を立ち直らせるには、不採算部門ごとダメ社員をリストラした方が、よほど効果的ではないですか?

日本という国の凋落の本質は、民主党やマスコミが言うような政治主導の仕組みの不在ではなく、行政にロクな人材がいないということに結局尽きるのだろう。そりゃそうですよね。何しろ、役所の皆さんは、難しい公務員試験にパスすれば、あとは人生逃げ切ったも同然。失敗してもせいぜい役所の中で左遷されるぐらいで、犯罪でもやらない限りクビ切られることはないですもんね。生き残りをかけて戦う必要がないですもん。気合も入りませんよね。皆さんのご主人様である、議員のセンセイたちの方が、どちらかと言うと哀れですよね。ダメな部下をリストラする権限もないまま、経営改革しなくちゃならないんですから。

言ってみれば、自民党も、民主党も、すべての政治家の皆さんは、そんなダメ社員で溢れる会社の経営者にならんと、懸命に選挙を戦っているわけですな。曰く、「ダメな社員に代わって、現場の製造ラインに100人の役員を立たせ、生産性をアップさせます!」ということですか。ご愁傷様です。がんばってください。

プロの記者を1日出し抜いたぞ!

2009年07月11日 | 政治の雑談
前回のブログ記事で、チベットに比べてウイグルは扱いが地味じゃないの、と書いたら、なんと後追いで(?)プロの記者の方が同じ趣旨の記事を書いておられた。

専門知識が無くても、勉強してなくても、直感と常識だけで、そこそこ書けるものですねぇ。我ながら、いいポイント突いたなぁ。いや、別に、自慢するわけじゃないですけど。なんか嬉しくなってしまいましたので。はっはっは…


ウイグルはチベットより扱いが地味?

2009年07月09日 | 政治の雑談
ウイグル情勢が大変なことになっているらしい。で、ちょっと気になることがある。チベットに比べて、世界の共感と同情が薄いんじゃないか、ということだ。

いや、筆者は国際問題なんて日頃ほとんど気にせず暮らしている小市民なので、本当のところはわからない。間違っていたらごめんなさい。門外漢が発言することの重要性について書いたりもしているので、そちらを言い訳にしてみたい。

中国が抱える民族問題で、圧倒的にメジャーなのはチベットの方に思える。チベットで何かあると、世界的にデモが盛り上がったりする。中国に引け目のある東アジアの国々と違って、特に欧米人のチベットへの肩入れはすごい。著名人が次々とダライラマ詣でをしていたりする。

他方、ウイグルの方は、「当局の厳しい情報統制で実態がはっきりしない」などという報道がされるが、これは、言い訳のように聞こえる。要は、高いリスクを冒してまで取材するだけのニュースバリューがないので、腰が引けているだけじゃないかと思ったりする。

チベットのイメージは(※実態はよく知らないが、ここで重要なのはイメージの方だと思うので、偏見が混じっていることを覚悟で敢えて言うと)、アジアのバチカンとでも言うべきユニークな宗教国家だ。国民のほとんどがお坊さんで、平和を祈ってつつましく暮らしている。「転生活仏」なんてロマンチックな信仰もある。オリエンタリズムの香りでいっぱい。一度は旅行してみたい。そう言えば、チベット仏教の修行体験を書いて大ブレイクした人もいたっけ。

これに対して、ウイグルはどうもイメージがわかない。ダライ・ラマのような素敵なカリスマもいない。特にウイグル人がイスラム教徒であることが、キリスト教徒の欧米人が同情と共感を全く寄せようとしない最大の理由のような気がする。そもそもイスラム教徒って、イメージがいま一つだ。禁酒。断食。とにかく毎日ひたすら礼拝。女性は全身覆い隠す。原理主義の無差別テロ。あるいは石油成金。更に中央アジアだと、バーミヤンの大仏を爆破したり、ビンラディンをかくまってみたり…それならば、せめてイスラムの国々がウイグル人に同情と共感をしめせば良さそうなものだが、あまりそういうこともないようだ。イスラム教徒の多いアラブ人にしてみると、モンゴル系っぽいウイグル人には親近感が湧かないのだろう。

チベットもウイグルも、ひどい目に会っている度合いは、きっと大差あるまい。しかし、これほど世界からの同情に差があるとは、人の世の不条理だろう。パンダが絶滅しそうになったら大騒ぎする一方、人知れず絶滅している地味な動物がどこかにいるに違いない。

討論は主導権の奪い合いなのに…

2009年06月18日 | 政治の雑談
麻生総理と鳩山民主党代表の、2度目の党首討論があった。前回の党首討論の時に、筆者は「友愛社会」と「自分以外はバカの時代」と題して、自分以外はみんなバカだと言わんばかりに、威勢よく相手の主張を切り捨てることが自身の賢さと思い込み、他者とのつながりを失いつつある日本の現状を、ある意味よく象徴しているという趣旨のことを書いた。

舌の根も乾かぬうちに恐縮だが、今回は前回の内容とは若干矛盾することを書いてしまいたい。あのようなブログ記事を書いたけれども、そうは言っても真剣勝負の討論なのだから、ある程度攻撃的になるのも仕方がないとは思っている。ただ、日本国のリーダーを決する討論なのだから、格調高いものであって欲しいし、更に言えば、鳩山代表が「友愛」ということをテーマに持ち出し、麻生総理も(留保を付けながらも)それに応じたのだから、「お前はバカだ」の投げ合いに終始するのはまずいのではないかと思ったのである。

さて、今回、筆者が気になったのは、麻生総理のぶらさがり取材における次の発言である。

…質問に対する答弁の形みたいになりましたんで、党首討論っていうような形にはならなかったんだと思っています。・・・

党首討論っていうような形に「ならなかった」のではなく、麻生総理が「しなかった」のである。

国会答弁ではないのだから、まともに相手の質問に答える必要など全くない。討論とは、戦いである。といっても、主張の正しさを戦わせるのではない。討論を聞いている第三者が、どうジャッジするか。それだけである。論理で負けていても、敵側はいけ好かないやつだとの印象を何となく広められれば、それで大勝利なのである(ブッシュ前米大統領とゴア民主党候補のテレビ討論がまさにそれであったと記憶している)。要は、目の前の討論相手ではなく、如何に第三者にアピールするか、そのためには、如何に自分の得意分野へ相手を引きずりこむかである。答えたくなければ、「そんな瑣末な議論をここでするのは時間の無駄だ!」と切り捨ててもいいのだ。

時間切れスレスレになって、本当は主張したかった安全保障の話を持ち出すのではなく、初っ端から「そんな話ではなく、まずは外交や安全保障の話をしましょうよ!」とブチ挙げて、相手を押し切ればよかったのである。結果、議論が全然かみ合わないことになるだろうが、およそ討論とはそのようなものだ。鳩山代表の質問に懇切丁寧に答えるのは、ご本人は反論しているつもりかもしれないが、ムザムザ主導権を相手に渡しているようなものであり、ただのお人よしである。

日本人は一般に、討論が得意でない。自己主張ばかりせず、人の話をまず聞くことを美徳とし、そういう教育を叩き込まれているので、なかなか主導権の奪い合いという意識に立てない。とは言え、麻生総理は、遥かにディベート慣れした外国のタフな要人たちともやりあわなくてはならない、日本国のリーダーである。そうである以上、流石と思わせるところを見せていただきたかった(それまでに外相も務めておられたのだから)。

本当は世襲する本人が一番大変だ

2009年05月17日 | 政治の雑談
解散総選挙が間近にせまる中、政治家の世襲に関する論議が盛んにおこなわれている。現職議員の二世は「地盤、看板、かばん」をそのまま受け継ぐことができるので、選挙において圧倒的に有意な立場にあり、そういったものを持たない優秀な人材を政界から遠ざけているのではないかという懸念が背景にある。候補者の公募や、予備選挙の実施、同一選挙区からの立候補禁止など、さまざまな提案がなされている。最近では、同じ政党の身内からも批判が起こるようになった。

ところで、世襲は政治家に限った話ではない。政界以外では、世襲はさして問題視されず、ごく自然のことのように行われている。日本を代表するような大手有名企業でも、創業家が重要な地位を占めている。芸能人も、有名タレントの二世だとデビューしやすそうだ。試験で選抜されるので、本来は世襲などあり得ない医者や弁護士、官僚なども、教育面でのアドバンテージがあるので、親子代々というケースが少なくないと思う。

人間は、生まれながらにして平等なんかでは全くないという、身も蓋もない現実がある一方、政治的権利については、万人が平等でなくてはならないという建前が強力なので、政界の世襲は批判にさらされるのだろう。

非上場の中小企業の場合だと、トップの世襲はごく当り前のことである。筆者の勤める勤務先の社長もそうである。客先も概ね中小企業ばかりなのだが、逆に世襲以外のトップを見つける方が難しいような印象がある。まだ若い創業家の御曹司が社長に就くまでの間をつなぐため、大番頭的存在の古参社員が社長を務めるようなケースがたまにあるが、大番頭と御曹司の確執は相当なものであったりする。

世襲によって将来が約束されている方々を見ていると、羨ましいとか、不平等であるというよりも、重い宿命を背負われて大変だな、というのが、率直な印象である。例えば、父親が一代で築き上げた会社があるとする。当然ながら、父親のそのビジネスでの才能や人脈は素晴らしいものである。息子は、偉大なお父さんを前に、同じ分野ではかなわないのではないかと薄々感じている。そのため、当初はお父さんとは違う分野に挑戦したりする(そういえば、小泉元総理の息子さんも俳優をしている)。

だが、別の分野においても、社会的地位や収入といった普遍的な尺度でお父さんと比べられてしまうと、結局かなわない。お父さんが築き上げたほどのものを生み出せそうにないので、来るべき時期が来ると、自分なりに頑張ってきたものをあきらめ、跡取りとしての道を歩まざるをえない。その後は、必ずしも得意分野とは言えない部分でお父さんと比較されながら、何とか成果を上げなくてはならないというプレッシャーに晒される。その苦労は大変なものだと思う。

しかし、こうした辛さを仮に表に出しても、「初めから有利な地位を約束されているのに、そういうものが全くない人間の苦労に比べれれば、単なる甘えに過ぎない」と切り捨てられてしまうので、世襲する本人から聞くことはないだろう。だが、仕事がないとか、お金がないといった分かりやすく同情を得やすい苦しみではなく、誰にもわかってもらえない種類の苦しみというのが、実は一番つらかったりするものだと思うのだが、どうだろう。