(おうちパソコン、ネットワークおかしくなってたのが、直りました。
22巻発売に間に合ってよかったー!)
入江監督の19日の日記。
小学6年の時、世界コミュニケーション年のポスターを描いたが、コミュニケーションの意味がわからず…、という話から書き起こし、
「コミュニケーションの有無が、同じ血から生まれつつも、お父様とエドを分かつものであるのかなと。」
すごくめずらしい、入江監督がかなり自分の内部を語った(と、私には感じられた)日記。
相変わらず取っ掛かりは絵なんだけれど、そうか、入江さんは鋼に「コミュニケーション」を見たんだ。
ということは、とりもなおさず、入江監督の内部に「コミュニケーション(とは何か)」があるということ。
人は作品から、自分の内部にあるものを拾う。自分の中のものと化学反応を起こす何かが、立ち現れて見える。
そうか。コミュニケーションの有無が、お父様とエドの、400年生きただけのガキと、大人になっていく少年との、違いなんだ。
私にとって、すごく響いた日記でした。
たぶん入江さんは、言葉にしきれないもの、言葉にしたときに零れてしまうものも大切だから、言葉にして決めつけてしまうみたいな感じが、何となく苦手なんじゃないかな。
私は言葉というレッテルを貼ることで、もやもやした中から形を掬い取るのが快感だから、そのあたりも、絵の人だからか、入江さんだからか、全然違ってて面白いなあって思う。
こんな、ほわっとした人が、あんなものすげーアニメの監督って、すっごいすっごい不思議!!!
22巻発売に間に合ってよかったー!)
入江監督の19日の日記。
小学6年の時、世界コミュニケーション年のポスターを描いたが、コミュニケーションの意味がわからず…、という話から書き起こし、
「コミュニケーションの有無が、同じ血から生まれつつも、お父様とエドを分かつものであるのかなと。」
すごくめずらしい、入江監督がかなり自分の内部を語った(と、私には感じられた)日記。
相変わらず取っ掛かりは絵なんだけれど、そうか、入江さんは鋼に「コミュニケーション」を見たんだ。
ということは、とりもなおさず、入江監督の内部に「コミュニケーション(とは何か)」があるということ。
人は作品から、自分の内部にあるものを拾う。自分の中のものと化学反応を起こす何かが、立ち現れて見える。
そうか。コミュニケーションの有無が、お父様とエドの、400年生きただけのガキと、大人になっていく少年との、違いなんだ。
私にとって、すごく響いた日記でした。
たぶん入江さんは、言葉にしきれないもの、言葉にしたときに零れてしまうものも大切だから、言葉にして決めつけてしまうみたいな感じが、何となく苦手なんじゃないかな。
私は言葉というレッテルを貼ることで、もやもやした中から形を掬い取るのが快感だから、そのあたりも、絵の人だからか、入江さんだからか、全然違ってて面白いなあって思う。
こんな、ほわっとした人が、あんなものすげーアニメの監督って、すっごいすっごい不思議!!!