歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

とっても今更。先月のメディア

2009年05月05日 | ◆小ネタとか突っ込みとかつぶやきとか
とっても今更。先月のメディア

先月の!アニメディアの感想です。

へええ~って思ったのが、男女比期待度円グラフ。
女性65%対男性35%
原作は「きっちり5対5」ですが、アニメは女性期待度のが高いんですね~。

少年マンガは男の子が主人公、少女マンガは女の子が主人公、という縛りはいまだに有効ですが、アニメだと少年主人公は女性向き、少女主人公は男性向き、って傾向があるんですよね。(一概には言えないけど…)
マンガとアニメってこういうところでも違うんだな~なんて思います。

内容は、1話紹介、大山Pに鋼1話のQ&A。
大山Pはアニプレの人。うーん、実に当り障りの無い回答です。
印象に残ったのは、オリジナル設定「アルの身体を取り戻したら食べたいものリスト」が、「監督のこだわり」だということと、キービジュ3弾の「お父様」を「白髪の男」と命名したことくらい。原作だと「ヒゲ野郎」ですが、うん、それだとヒゲだらけの鋼キャラで誰のことかわかんないもんね!(笑)

そして待望の!荒川弘インタビューです!!
見開き2ページだよ~↓文字ぎっしり!!嬉しいな~!

そしてインタビュアがちゃんと、「アニメディア読者である中・高校生向けに」聞いてるのが、イイ!

少年サンデーの黄金期の漫画家さんに影響を受けてる、という話から、
「漫画を読めなくなる」のと「漫画を描けなくなる」の二者択一でならどっちを選ぶ?!という話へ。
荒川弘先生は「読めなくなるのはイヤだ、描けない方を取る」のだそうです。
自分が漫画を描くときは1本しか描けないけれど、その間に世界中の人があらゆる漫画を描いている、それを片っ端から読みたい、と。

なるほどなー!わかるわかる。
作家さんにはさ、描かないと生きていけない人と、それでも生きていける人がいると、常々思っているのね。荒川先生は生きていける方。
そして先生はほんとにほんとに、漫画が好きなんだなーって思いました♪

それから、創作秘話。
「ネタとかセリフとか、キャラクターのやりそうなこととか、思いついたら全部、ひたすら一冊のノートに、キャラクターごとに(中略)何でもいいから思ったことをバーっと書いていくんです」「キャラがやるであろう可能性(中略)を書き加えていく」「物語を組み立てていくときに(中略)こいつはこういうヤツだったんだな、と確認する」
なるほど!
長期連載でもキャラがぶれないのが鋼の魅力だし、物語が進むにつれキャラが熟成していくのもまた素敵なんですが、こういう作業から来てるんですね~。
ネタやアイディアはどんどんメモる、出す、っていうのはどの作家さんもよく話してらして、うんうん、って思います。

「絵的な部分では、画面の見やすさ最優先で。コマの中の見やすさ、1ページ単位の見やすさ、見開き単位での見やすさ、を意識して」
「格闘シーンにしても、誰が、どこで、何をやっているのか、なるべく一瞬で判断できるように」
うんうん。

完徹はしないとか締め切り前2日間はアホみたいな作画量とか、ダンベルは部屋でホコリをかぶっているとか、子エド子アルにチョーク投げてる先生がお姉さんにめちゃくちゃ似てるとか、きょうだいはサバサバしてて「エド&アルに関するエピソードで、自分の経験はほとんど反映されてないです」とか。
ああも、どれもこれも、荒川弘ファン的に、頷いたり納得したり時間の経過を感じたりと、嬉しくてうれしくてーvvv

「前の時も今回も(アニメの)脚本を読んでて思ったのは、より強い言葉を使うなというのは感じましたね。アニメーションは流れていくので自分のスピードで見られない。だからでしょうね、みんなの意識に食らいついてくるような、強い言葉を使うなぁ、と」
うん。
音のセリフは字面が見えない分、わかりやすく噛み砕いた表現をするけど、同時に、キャラの感情を表す言葉は、お?と思うような言い方をさせるよね。(地獄への一歩、とか…)

そういえば、前作脚本家會川さんが言っていたんだけど。
アニメは分担作業なので、途中から途中までを担当するアニメーターさんにもどういう場面か分かるように、あえて説明調のセリフを言わせることがあるのだそう。つまり、視聴者に分かりやすくと同時に、描き手の意識をぴっと立てる、そういうところまで視野に入れての。ロイの一人称に俺が混ざるとこなんかも、そういうシグナルなのかな~。

とか合間に要らん歌猫感想を挟んでいるのは、引用を記事の主要にしないためです。(著作権的にっつか作者や雑誌への礼儀として、引用文が記事の大部分を占めてはイカンのだ)
でもでも、本当は荒川弘先生の発言をぜーんぶ丸写しにして記事にしたいくらいだよっ!!(だからソレはダメですってば!)

あと、音楽がつくとすごくいい、とか、アニメの絵の、線の簡略化+デフォルメの方法が、すごく勉強になる、とか。
「アルフォンスの鎧が、関節はこう動くのかぁ、とか、こうごまかすのかぁ、なるほど~とか(笑)。」
ごまかしや嘘こそ、フィクションの醍醐味ですもんね!(笑)

「入江監督が『小さい子どもさんにも見てもらえるアニメにしたい」とおっしゃっていたので、そこはすごく期待しているところです」
私も。
アニメ、賛否両論あるし、先日もものごっつ納得させられる「否」を読んで(ああ!もうこれ以上もなく説得力ありました…。愛してくれる分、お辛い、お気持ちも…。)私もどっぷり落ち込んだんだけど、でも。
子供向け、を、逃げ口上に使ってはいけない、けれど。子供に、漫画への入り口としてのアニメが届く、それだけでも、嬉しい。
ごめん!私は原作派だから。
原作に光が当たる。それだけで、もう、幸せになってしまえるんです…。

将来は漫画家やアニメ界の仕事をしたいとこう人たちのためにメッセージを、という問いに
「「漫画家になりたい、なりたい」と言ってキャラクターは描くんだけれど、話までは作らない人が私の周りに多いんです。漫画ってストーリーを作るのが面白いのに、と思うんですけどね。」
絵があっての漫画。でも、ストーリーあっての漫画!うんうん。

「その『何かやろう』ですよね。(中略)頭の中にしまいこまないで、とにかく出してみる、やってみることなんじゃないかな。好きなら一歩踏み出そうよ、ってこと」

うん。
やらない、より、やる。
やる、と、人に嫌な思いをさせたり、すごくいろいろ、周りに迷惑かけたり、する。
申し訳無いこと、私も今までいっぱいしてきちゃったけど。
でも、あれは失敗だった、ごめんなさい、って思うことで、たぶん、ちょっぴりだけ成長できてると、思う…。
相手方からすれば、あれは失敗だった、あんなこと乗らなければよかったのに、って思わせてることになるんだけど…。ごめん、ね。
でも。
好きなら一歩。私はやっぱり、そっちで行きたい。

という訳で、先月のアニメディアの、荒川弘インタビューがとっても良かった!という話でした~v
明日は、これまた今更な、先月アニメージュの、荒川先生と朴さんの対談感想ですー♪

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3 コメント

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Unknown (麻衣)
2009-05-06 01:37:11
初めましてになります、こんばんは。

こちらに書いても良いものなのか迷いましたが、他に書くべき所が見つけられなかったので、失礼させて頂きます。
この記事の内容とはあまり関係ないかもしれませんので『ここに書いて欲しくない』と少しでも思われたら、お手数ですが削除して下さい。
申し訳有りません。

唐突ですが、私はどちらかと言えば一期アニメ派です。でも原作も好きです。

アニメ版のエドに関しては賛否両論分かれる、
とウィキにもありましたが、
(ウィンリーに関しては断然原作です、苦笑)
私個人としては、その賛否両論の元でもあるんだろうアニメのエドの『弱さ』が好きだったりします。

弱いってみっともないことじゃない。
かっこ悪くてもいいじゃん。
カッコいい人生なんてどこにもないよ、と。

どんなに覚悟を決めていても、確固たる信念を持っていても、ゆらぐことはある。
後戻りの出来ない道に立っていると理解していても、戻りたいと願ってしまう時はある。
交錯する岐路にぶつかったなら、一時の感情のままに進むべき道を誤ってしまうこともある。

だってそれが人間だ。
間違えずに正しい答えだけを選択し続けられる人なんてどこにも居ない。

時に八つ当たりもします。愚痴も言います涙も流します。
己の弱さに迷い、やがてそれを後悔し反省し糧とし、間違えながらも少しずつ前へと進んでいく。
それでいい。それがいい。

前半の頃のエドが居るからこそ、
終盤のスロウス封印後のイズミとの会話が引き立つんじゃないかと。

「あれがあの人の罪の形です 罪を抱えて生きていくんです 
それでいい」

「・・・大人になったな、エド」

まさに、です。
彼が背負ったものはあまりに大きく、
重ねた別離や心に刻んだ傷は深く癒えないままに在り。
大人にならざるを得なかったんだろうと思います。
だからこそ、大人になった。

「それなら俺は子供でいい」と後にエドが口にしますが、
その言葉を言ってしまえる時点で既に子供ではない、と自分こそが一番理解しているでしょう。

理想論を信じていたい『子供』の自分。
まかり通らない現実を理解しつつある『大人』の自分。

有体に言えば『大人と子供の狭間』でしょうか。
一番悩み、また苦しい時期だと思います。
そしてエドが私達と同じように立ち止まり悩んでくれるからこそ救われる。

バリーに殺されかけて「死にたくない」と震え、
「俺たちだって人間なんだ・・・!」と泣き叫ぶ。

一緒に泣けたシーンでした。
彼の最も子供らしい、当たり前の弱さを曝け出してくれたこと。
嬉しかった。もっとエドが好きになりました。


原作のエドは強いですね。
如何なる時でも弟を大事にし、八つ当たりなんて勿論しない。
流されることのない涙を飲み込んだまま、それでも真っ直ぐに立てる力を持つ。

大好きです、原作も。
だけど、アニメから入った私としては強すぎるエドに途惑うこともシバシバ。
彼があんまり強くて、置き去りにされる事もあります。

表面に出ているコトだけが全てではない、と分かっています。
原作のエドも、ただ弱さを表に出さないだけ。
彼が見る温度を持たない悪夢に如実に現れていると思います。
罪の意識。呵責。自身を苛み、許していないからこその。
もう過ぎたことだと、嘘でも言ってしまうことは出来ない。

しかしそれでも、自分の内側だけで処理出来てしまうエドは強い。
何故、周囲に見せないのか。
それは自分こそが原因であり、また『兄』だから。

逆に言えば『強くいなければならない・たとえそれが虚勢だったとしても、強く在る必要がある』でしょうか。
弱さを認め曝け出してしまえば、足元が覚束なくなってしまうから。
(・・・全くの見当ハズレかもしれませんが;)


母親の人体練成をしたことをイズミに告げるシーンがありますね。
これはアニメと漫画に共通していたと思いますが、
『どちらが好き』という欲目を抜きにしても、これはアニメの方が良かったと思います。

二人を怒り、散々殴った後で二人を抱き締めるイズミ。
瞬間的に見開いた目を伏せ、イズミの身体に躊躇いがちに手を回すエド。
張り詰めていた心が緩んだ一瞬。
まだ子供でいいんだ、と。この時だけは、子供のままでいいんだ、と。
ただ静かに流した涙は憂いや傷であったかもしれず、けれどきっと安堵をも伴うものだった。

心を打つ程に、とてもよく伝わりました。
私個人としては、ここばかりは話終えた時点で抱き寄せた原作よりも、ですね。


ただ、アニメは見るに辛い部分もかなりありましたが。
グリードを殺害してしまうシーンが特に、でしょうかね。
スライサー兄弟の時に吐露した「人殺しは嫌だ」という人として当たり前の感情。
それを最悪な形で覆され、もぎ取られた、と言いますか。

キメラにされたニーナの惨殺死体発見時も辛いものがありましたが、
あれはエドが目にするべきものだったと思っています。

漫画では惨状を見ていませんが、辿った結末は同じ。
ならばエドはそれを自分の目で見て、受け入れなければならない。
いかに残酷であろうとも、それが現実なのだから。
また、それこそが自分の選んだ道。
逃げてはいけない。目を逸らしてはならない。

この後で一度国家錬金術師であることを放棄していますが、
恐らくこの流れにも原作派の方には不満もあったと思います。
けれど私としては『それでこそ』です。

12歳の心は決して強くはない。
恐れや不安、怒りに飲み込まれて自暴自棄になる時もある。
一度は見失いそうになった道。
それを周囲の力をかりて軌道修正する。もう一度、歩み始める。
そして認識する。一人ではないということ。弱くなりかけた心を律してくれる人がいるのだ、と。

弱さがきちんと描かれている反面、辛くもありますが、
彼の苦しみや痛みがより一層伝わる分、感情移入が出来ます。
あくまでも「私としては」ですが。

・・・この件を荒川先生が描いたとしたなら、どんなエドになったんだろう、と興味もあります(笑)

ちなみにヒューズの死を知る場面は漫画の方が良かったです。
・・・ええ、私としては確実に(苦笑)

と、どちらの方が~なんて上げるとキリがないのでこの辺りで。


はい。やっぱりどうしても原作も大好きです(笑)
原作あってのアニメですし、荒川先生という方がいらっしゃらなかったら生まれていないワケですし。

・・・結論として、アニメも原作も両方好き、ということですねw


エドもアルも架空の人物で存在しない。
媒体は漫画でありアニメであり、娯楽。

けれど、それを受け取る側の私達の中にはエドが居ます。
アルが居て大佐が居て、皆が息衝いています。

彼等を見て、活力になる。頑張ろう、と思える。
物語を読んで考えさせられ、納得し、時には疑問を持ち。
その全てが私達が生きる上での『何か』になります。

受け取ったものをどう捉え、どう解釈するのか。
それは個人の自由です。
原作が好き・アニメは嫌い。アニメが好き・原作は嫌い。
それも個人の自由ですね。

私としては、原作だとかアニメだとか、そんな垣根を作らず、ただ彼等を好きでいたいと思います。

原作もアニメも、どちらも折角の鋼の錬金術師。折角のエドやアル達。
賛否両論はあれど、好きだからこそ個々に思うことはあれど、穿った見方をしていたら勿体無い。

なので、そこだけはひたむきに、いっそ純粋に。
一緒に笑って喜んで、一緒に怒って傷付いて悲しんで。
そして、一緒にまた前へと向かう。
そんな力をくれること、それだけで十分過ぎる程です。

こうまで思える作品を生み出して下さった荒川先生に感謝ですね。
先生の持っている世界観や価値観。許せないことや譲れない想い。
それらを分けて頂けること、触れられること。
本当に心の底から『ありがとうございます』。


初めての書き込みだというのに長々と申し訳有りませんでした。
そしてこの内容に気分を害させてしまったなら、申し訳有りません。

歌猫様のブログに辿り着いたのはごく最近ですが、過去のものを一から読ませて頂いております。
まだ途中ですが、楽しみにお邪魔させて頂きますね。

文面から荒川先生に対する尊敬の気持ちやエド達に対する愛情やいたわり、
何よりも『鋼の錬金術師』という世界に対する深い想いがとてもよく伝わってきて、
読んでいるだけで何だか温かい気持ちになります。
数あるサイトの中から、歌猫様のような方の書かれるブログに出逢えたこと、幸運でした。
一方的ではありますが、素敵な場所をありがとうございます。

それでは、失礼致します。歌猫様もどうぞお身体御自愛下さいませ。
返信する
コメントありがとうございます。 (歌猫)
2009-05-07 07:11:46
麻衣様こんにちは!コメントありがとうございます!ごめんなさい、お返事はまた後ほど~v
返信する
コメントありがとうございます。 (歌猫)
2009-05-08 07:11:41
麻衣様こんにちは!
私はバリバリ原作派ですが、1期ファンの友人とたくさん話して(ブログ上で)、1期の良さ…というか、1期の何が、ファンの心に深く染み込んでいったのか、そのあたりがだんだん分かってきました。
さっぱりと強すぎる原作では突っ撥ねてしまうある部分を、水島版アニメは揺らぎや悩みを描くことで、柔らかく受け入れた…だから今の鋼ワールドがある、のだと思います。
 麻衣様が上げておられた、タッカーに対するエドの台詞は、私もしみじみ良いと思いました。ずっと捕らわれていた錬金術の業、それを、あの台詞で、タッカーとともに切り離すことができたのだと。業を無かったものにするのではなく、それをそのまま受け入れる、自分の中にもそれがあることを静かに認めて。
 人体錬成をイズミに伝えるアニメの場面については、下請けアニメーターさんの日記にかかれていたことが印象的でした。その場面は本当はその方がやりたかったのだけれど、やりたい!と手を上げる前に、別の方に担当が決まったのだそうです。そして、出来上がりを見て、美しさ、絵の強さ、に、かなわない、と思った…というようなことが書いてありました(記憶の限りなので正確でなかったらごめんなさい)。そして担当した方も、とても鋼に思い入れのある方、だったのだそうです。
水島監督も、鋼は多くの女性スタッフが参加して、とても心のこもった仕事をしてくれた、とおっしゃっていましたよね。
 原作の強(したたか)さを私は愛するのですが、ファンの間には、原作と水島版の両方のイメージが混ざっていて、各人にそれぞれの鋼がある。
その豊かさ(てんでバラバラなところ(笑))が、私はとても好きです。だれもが自分にとっての鋼を持ち、そこを出発点にアニメや、原作や、そして入江版アニメを楽しんだり悲しんだり考えたりする。
どうして鋼は、素直に楽しませてくれないんだろう、と悩んだ時もあります。でも、素直に楽しめない、というのは、それだけ愛してしまっている、ということなんですよね!
 さて、麻衣様にはぜひ、私に水島版の魅力とは何かを教えてくれたブログをご紹介したいです。麻衣様の感覚と、とても近いのではないかしら、と感じました。(一方的に感じただけですので、もし全然違っていたらごめんなさい~) もうご存知かもしれませんが、Blauer×Himmelというブログです。(ブログタイトルも素敵でしょ?)
 こちらこそ、心のこもったコメントをどうもありがとうございました。こんなにも鋼を愛して下さる方がこんなブログを好きといってくださって、とても光栄です。ありがとう!
これからもどうぞ宜しくお願いいたしますv
(もう一つのコメントのお返事は明日に…遅くてごめんなさい~;)
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