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一葉一楽

寺社百景

根津神社 ー 神とは人也

2012-10-17 11:45:00 | 神社

新井白石が「神とは人也」と「古史通」第一巻の冒頭に書いたのは享保元年(1716年)である。根津神社はその10年前の宝永3年(1716年)、五代将軍綱吉による天下普請である(「御府内備考続編」に棟札写があり、そこには願主綱吉、奉行久世大和守重之、大工村松淡路・依田伊予とある)。祭神は六代家宣の産土神、素戔嗚尊である。相殿は山王権現、八幡神である。祭神に関係なく、権現造に造る。なお明治以降、大国主命・菅原道真が付け加わる。

              

            

加藤周一は建築空間の特徴の一つに「オク」の概念を持ち込む(「日本文化における時間と空間」岩波書店 2007年3月)。「オク」とは「人に見せず、大事にする」こととし、神社は「オクへ向う進路を軸として構造されている」という。権現造は社殿の中で、軸を構成し、人と神の関係を外界から遮断する。神社が都会に取り囲まれた結果であろうか。

根津神社では、幣殿と拝殿は同じ床高で、本殿とは木階で接続し、高縁は三殿を連続的に回し一体化する。石の間で拝幣殿と分断する、人と神の間を隔離するのは木階のみで、同じ社殿の中で共存するような形をつくる。神が身近となっているのである。

                        

(注)2008年11月撮影(漆塗り替えの前)

 

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