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一葉一楽

寺社百景

さざえ堂 ー 会津の挑戦

2017-02-14 14:42:00 | 寺院
「新編会津風土記」(文化6年(1809)序)会津郡宗像神社(現厳島神社)の項に「円通三匝堂」とあり、「漸々に盤て頂に至り又漸々に降りて下に還り、栄螺の殻中に似たるゆえ栄螺堂とも云昇降の道を異にす、本尊弥陀又三十三観音の木像を安ず、寛政八年(1796)造立せり」とある。さざえ堂の濫觴は江戸本所の羅漢寺であろうが、「江戸名所図会」(天保七年(1836)刊)には、「無上の法式は右繞施匝を最勝第一とするといへる意をとりて、寛保元年(1741)辛酉これを造立せられたり。・・・後世三匝堂を造るの規範とす」とある。会津に至るまでには、もう一段階あるようである。羅漢寺三匝堂を模したといわれる取手の長禅寺三世堂である。現さざえ堂は享和元年(1801)再建であるが、その前身堂は僧幻堂の建立と言われている。長禅寺は、会津さざえ堂の正宗寺と同じ臨済宗妙心寺派である。且つ会津さざえ堂は郁堂の立案と伝えられており、両寺間の関連性をうかがわせる。

 

  

(注)2016年11月撮影

長禅寺三世堂

(注)2017年2月撮影

長禅寺は桁行五間梁間五間の宝形造で、二層三階、庇部分を有効に使う。従来の寺院建築には例を見ないものの派生的といえる。しかし会津さざえ堂は六角堂を垂直方向に層を重ね、内部は二重螺旋構造とし、伝統的寺院建築の範疇から外れる。内側は丸柱、外側は角柱と、従来の規矩に準ずるが、その間はスロープとし螺旋を描き昇降する。向拝に大工が伝統の意地をみせるが、試作かと思わせるほど、洗練さがない。設計者の思惑だけで出来上がった感がある。確かに長禅寺三世堂と同規模の堂舎を建てる余地はない。百観音を三十三観音とし、建物を垂直方向に延ばし安置すると、極めて合理的な解決を図ったのであろうか。或いは最初に建物のアイデアがあり、そこに観音を安置すると考えたのであろうか。いずれにしても、伝統に捉われては、生まれてこなかった。
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