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寺社百景

丈六寺 ー 烏枢沙摩明王

2018-11-20 13:01:26 | 寺院
丈六寺の開山金岡用兼は、真言宗の勢力の強い讃岐国那珂郡の生まれであった。曹洞宗の僧侶としては、周防国を拠点にしていたが、阿波国守護細川氏の外護を恃み四国への展開を図った。細川、そして蜂須賀家の外護なくして寺の経営は難しかったようである。金岡用兼は永平寺再興に寄与、正法眼蔵を小松島の桂林寺で書写した後姿を消したと伝わる。(鈴木泰山著「禅宗の地方発展」畝傍書房 1942)。
曹洞宗への改宗は明応年間(1492-1501)と言われているが、その頃の伽藍は不明である。現存建造物中最古といわれる三門は、天文二十四年(1555)銘を有する鐘楼の瓦と同質の瓦で葺かれていることから、その頃の建立とみられている。その頃伽藍の整備が行われたのであろう。(丈六寺重要文化財修理委員会編「重要文化財丈六寺三門観音堂本堂修理工事報告書」1959)。
結制安居中は寺内に禁足となる。本堂を中心に禅堂・衆寮・庫裏・東司・浴室が結制執行には不可欠である。これらを廻廊で繋げるのは合理的である。丈六寺では、廻廊が、三門・徳雲院・秋葉祠そして本堂を繋ぐ。廻廊の隅には三猿を随えた烏枢沙摩明王を祀る。「正法眼蔵・洗浄」に「清規云、若不洗浄、不得坐僧床及礼三宝。亦不得受入礼拝」という。「仏祖の道場かならずこの威儀あり」といい、山門・廻廊内は行住坐臥、日常不断の場なのであり、中庭を構成する生活空間である。


烏枢沙摩明王 廻廊

   三門

    本堂

    観音堂

 経蔵

(注)2017年3月撮影