一葉一楽

寺社百景

神魂神社 ー 大社造1

2020-02-18 13:21:37 | 神社
「玉勝間 十三の巻」に「件の神魂社は、古国造の本居にて、その由緒を以て、今の世にいたるまでも、国造みまかられて、其子跡をつがるるに、かならず此社に来て、国造になりて、杵築にかへらるる也と、かの社の神主、秋上氏の物語也、」とある(「日本思想大系」岩波書店 1978)。
享保二年(1717)完成の松江藩の官撰地誌「雲陽誌」には「大庭社伊弉冉尊之神廟ナリ、・・・天正年中大江輝元造営ノ文アリ其後代々ノ国守建立シ玉フ」とあり、社殿は末社貴布祢稲荷両社ともども天正十一年(1583)再建とされ、最古の現存大社造である。なお南朝元号正平元年(1346)との墨書がある柱があるという。
神魂社の名が出るのは建保三年(1215)守護と神魂社領に関わる争いへの源実朝の教書、そして建長四年(1252)で、岩坂神納を巡る神魂神神官と岩坂地頭との、また領土の争いである。結果神魂社は岩坂神納山から現在地に移祀したという。神官秋上氏所伝である(広瀬魚淵「出雲国府総社論」六所神社 1911)。祭神は異なるが、出雲大社は嘉禄元年(1225)社殿顛倒の後、宝治二年(1248)再建したが、そのあとのことである。出雲大社は文永七年(1270)焼失しており、神魂神社の社殿が大社造であったかは微妙なところである。正平元年あたりで現状の大社造となったというのが妥当かも知れない。


 

   
   本殿

  



(注)2019年11月撮影