正面性を重んじる神社に、背面に扉と木階と、出入口がある。「後戸の神」はその解釈の一つであるが、「後戸の神」は勢多羅神、阿弥陀経及び念仏の守護神である。この場合は本地仏の守護神であろうか。描かれた年代は判らないが、「三上古跡図」には、本殿は大明神ー弥勒と、若宮には釈迦・観音菩薩と、十禅師(現三宮)には地蔵とある。神仏習合の形で信仰されていた。弥勒が本殿の本地佛ということは、弥勒信仰が盛んであったころの状態を描いている、即ち平安末期以降の図であるということか。
また「日本霊異記」下巻第二十四縁(「新日本古典文学大系」岩波書店 1996)に神主が籾を保管しているとある。時代は遡るが、本殿後室が籾の保管場所であったとの推測は捨てられない。
いずれにしても本殿棟の千木・堅魚木は似合わない。
楼門
本殿
摂社
(注)2019年12月撮影
また「日本霊異記」下巻第二十四縁(「新日本古典文学大系」岩波書店 1996)に神主が籾を保管しているとある。時代は遡るが、本殿後室が籾の保管場所であったとの推測は捨てられない。
いずれにしても本殿棟の千木・堅魚木は似合わない。










(注)2019年12月撮影