不整脈のトラウマに打ち勝って明るく前向きに生きる男の顛末記

明るく前向きに生きることで
不整脈とQOLをコントロールした男の生きざまを描く

自分を大きく見せるための写真らしきものが蔓延ってる件について

2024-04-30 09:43:46 | 人間学

病気ブログなのに病気の話がない?。
痛ぇ~ 肩が痛ぇ~よ~。
五十肩も立派な病気です(マジで寝れね~し)。


【まずはじめに】
どこのどなたが何を写真と呼ぼうが、写真をどう利用しようが個人の好き好きである。
ただ、もしあなたが物事の本質を理解できる人だったら?。
私が言いたいことはわかるハズである。


桜の季節になると桜の名所は人の群れに埋もれ、
桜を見に来てるのか?人混みに揉まれに来てるのかわからなくなる。
さらに世は似たような桜の画像で溢れ、うんざりさせられる。

ある食べ物がバズると、そのお店には人が溢れ、世は同じような食べ物の写真で埋まる。

毎日名所を巡り、
毎日名物を漁り、
毎日SNSに投稿し、
毎日かなりの時間を他人へのいいねに費やし、
お互い様のフォロワーの数や、
お互い様のいいねを増やすことに必死になる。

欲に群がる醜い人間。

痛い! 痛すぎる!。
病気だ。(病気ブログに登録しなさい)



さて、まあほとんどの人間が侵されてるSNS病。
なんでこんなことになってるのかというと、
人は認めてもらうことに飢えてるんだなこれが。
よく考えてみて欲しい。
家を建てるために銀行にお金を借りる時、銀行があなたにお金を貸してくれるのは?。
少なくともあなたが納税の義務を果たし、
社会的信用のおける企業かなんかに属しているからである。
その手の後ろ盾のないプータローだったら絶対にお金は借りられない。
同様に住民登録をして住所が定まってないと、
これまた普通に受けられる権利を甘受することもできない。

ただの一般人が他人に認めてもらえる(ような錯覚を得られる)。
昔は納税の義務を果たし立派に会社勤め(つまり社会的信用というバックがあった)
をしていたとしても、不特定多数の他人に対しては認められるなんて機会すらなかった。

しかし、SNSは実現しちゃったんだなぁ~。
どんな馬鹿でもアホウでも、とりあえず日本語の上っ面が読めて(真意が読めないアホが多いが)
キーボードなりスマホの液晶で日本語らしきものをポチポチできれば、
社会的信用がないオポンツク野郎だとして一丁前の口が利けるようになった。
カメラや撮影の専門知識がなくても、馬鹿でもチョンでもボタン一押しで
それなりの写真(あるいは動画)も撮れるようになった。

で、ボタン一つでSNSに上げられ、どこの馬の骨とわからないやつでも
人から認められる(ような錯覚を得られる)ようになった。
で、カマッテチャンや認めてチャンがワラワラ湧いて出たのが現代なのである。

にしてもだ、少なくとも家族や自分の会社(これは生きるためのお給金に直結するからね)
に認められていればそれで十分だと思うんだか、

上っ面だけでも認めてもらうことが現代人にはとても重要らしい。


しかも、
 名
 場所
 モノ
の威を借るナントカ

そういうバック(自分をアゲアゲしてくれるヒト・モノ・カネ・肩書など)
に頼らないと認めてもらえないので、まあ、必死!必死!。

最初はいい写真撮るなぁ~と思ってフォローした人も、
本性を垣間見ると、まあ、承認欲求中毒者ばかり。

真摯に撮影に向き合ってる人って絶滅したようです。
もっともSNSには出没していないだけなんだろうね、
SNSなんて得られるものは空虚しかないし。
(小銭稼ぎの手段にしているのはもっと醜い)




TTArtisan 100mm T/S ×2 Macro(Nikon Z 7Ⅱ)

さて、今回の写真は【春】である。
 ※この春の真の意味が分かるあなたは助平です

名もなく(あるかもしれんが調べるのがメンドクサイのでパス)
バックがあるわけでもなく
バズる要素もなく
ただただ平凡な被写体に対して
 極薄の被写界深度と
 絞りと
 露出と
 シャッタースピードと
 ピント位置の
せめぎあいの苦闘をしたただの記録である。
(それを春で表現しようとしたワタクシの深慮遠謀を理解してくれる人は素晴らしい人です)

虎の威を借るSNS民には理解できないであろうが、
名もなき映えないこの被写体の
この撮り応えはわかる人にしかわからない、
撮影の真髄がそこにある(なんつってね)。