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京都といえば・・・

2007年07月14日 | 明治維新以降

京都といえば・・・

 黒田正子著「京都の意外」「京都の不思議」に載っていた色々話を紹介してみようと思う。このような事を思い出しながら京都の町を散策すると、面白みが倍増することは「間違いない」。

鐘馗さん

 屋根瓦の一部にみられる鬼瓦は睨みを利かせて厄除けをするのであるが、京都では鬼瓦の変わりに「鐘馗さん」といわれる瓦を厄除けに使っている。唐の玄宗の時代、鐘馗という人が魔を追い払い病を治したという故事からきているらしい。 町家の屋根瓦の上にある瓦人形は、姿や形は様々で、二~三十センチ程の高さで、右手に太刀を持ち、前方をにらみつけています。 屋根の上に「鐘馗さん」を置くようになったのは、 むかしむかし三条のあたりに薬屋さんが大きな家を建てたそうです。 その屋根に大きな鬼瓦を置いたところ、その瓦を見た向かいの家に住む娘さんが、その鬼に睨まれているような気がして毎晩うなされ、ついには病気になって寝込んでしまったそうです。 心配した両親はあれこれ手を尽くしましたが一向に良くならないため、向かいの薬屋さんに鬼瓦を取り外してくれるようにお願いしましたが、大金を払って苦心して取り付けた鬼瓦だから外せないといわれたそうです。 そこで鬼に勝つものは何かと考え、「鐘馗さん」ならということで「鐘馗さん」の形をした瓦を瓦屋さんに作らせたのだそうです。

京都出身の数学者

 保津川・大堰川の開削で知られる角倉家とは一族の関係にある吉田光由(1598-1672)という数学者が、「塵劫記」という当時のベストセラーの実用数学書を書いた。 角倉了以の子・素庵が土木工事には数学の知識が必要とし、吉田光由を助けたらしい。 京都の水道工事の多くは、彼の研究の成果であるという。 吉田家の墓は嵯峨の常寂光寺(小倉山の麓にあって藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる)にある。

数学の話

 現代では数学嫌いという人が多いが、江戸時代は吉田光由の数学書「塵劫記」がベストセラーになるくらい数学好きだったらしい。数学が解けた喜びを「算額」という絵馬に託して神社に奉納した風習が数多くあった。 そのうちに問題だけを書いた算額、解答を記した算額が現れて、日本の数学は各地でレベルを上げていった。 因みに現存する日本最古の算額(1686年)は北野天満宮の絵馬所にあるらしい。 

公衆便所の先進は京都

 お地蔵さんの横には辻便所が備えられ、公衆便所の起源とされるらしい。明治初期には約700箇所の辻便所があったが、衛生上も問題から建物としての公衆便所に変化し、現在では約350箇所になった。京都最古の便所はというと円山公園内にある。

そろばんブームは京都が発祥地

それは川原町二条に始まった。近くに高瀬舟が発着する「一の舟入」があり周辺には角倉家の巨大倉庫が立ち並んでいた。角倉一族は当時数学者をハントしていて、そろばんの達人・毛利重能をそろばん道場の師範とし、「二条京極珠算道場」を拓いた。 吉田光由・今村知商・高原吉種は俗に「毛利の三子」と呼ばれた高弟である。

寄付で建てた京都美術館

 開館74年を迎える京都美術館は全国二番目の公立美術館(最初は東京美術館)で、昭和天皇の即位式を記念すべく建てられることとなった。 その費用は104万円(現在のお金で約100億円)だそうで、そのすべてが寄付によってまかなわれたという。 京都の文化を我が手で残そうとする思いやりが窺われる。 そしてデザインは2600の応募のなかから30代の若き青年のものが採用された。

寄付で建てた円山音楽堂

 その昔、京都の円山公園といえば、野外音楽堂が思い浮かんだほどフォークやロックのコンサートが催されたが、今ではここを横目に高台寺にいたる「ねねの道」を皆が通り過ぎていく。 この音楽堂は京都美術館の6年前に、当時の市町さんなど3人の寄付で造られたらしく、今で80年を迎えることになる。

京の雑煮は白味噌

 我が家の雑煮は関西なのに何故かすましに、かしわ、蒲鉾、ほうれん草、そして焦げ目のついたお餅である。 関西ではすましは少なく、白味噌にたくさんの具がはいって、ねっとり、どろっとした感じの雑煮が多い。(近畿二府四県、福井、徳島、香川) 因みに 「京都の意外」の著者黒田正子さんは愛媛の出身で、すましだそうです。 ところで京都といえば薄味で有名なのに雑煮だけは濃厚な白味噌仕立を譲らないのである。 で、その理由は雑煮は京都人にとって料理ではなく御菓子であると。

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