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藤原行成一家

2007年10月02日 | 平安時代

藤原行成一家

源泰清女(姉君)(976~1002)

 父は醍醐源氏・源泰清(有明親王の皇子)で母は不明です。 989年に14歳で行成(当時18歳)と結婚し、行成との間に七人の子を儲けるもうち三人は夭折。 賢妻だったようで、行成は自分の日記に誇らしげに 「妻が世間の人にホメられてる」 と書き残している。 長保四年(1002)赤痢を患いながらも女児を出産するが、二日後その女児と共に没してしまう。 「非慟の極み、何事かこれに如かん」と日記に記し、行成は嘆きは表している。 没後も行成は毎年命日に法要を欠かさず営んでいたことが「権記」よりうかがる。 薬助丸 【元服の年頃を過ぎても幼名だったり、「酉の時、薬助を河原に持ち出し除服せしむ」(『権記』寛弘七年6/30)という書かれ方から病弱で元服せずに亡くなったと思われる。】、 実経 【幼名犬丸。寛弘三年(1006)9歳の時に童殿上。同五年元服(加冠役は藤原斉信)翌年12歳で従五位下昇殿左兵衛佐に任ぜられる。長和三年17歳の時に従四位下、しばらくして民部権大輔になる。翌年従四位上。出世は早々に諦めたのか行成の意向か、受領となり、長元五年(1032)に近江守の頃、百姓達から非法を訴えられます。】、  良経 【幼名宮犬丸。生まれてすぐ為尊親王のもとで育てられる( 冷泉天皇と超子の皇子。行成の叔母九の御方が為尊親王の妻) 寛弘八年11歳の時に元服(加冠役は源俊賢)。寛仁二年(1018)従四位下。 最終的に正四位下、皇后宮権大夫(禎子内親王の)となる。】、 大君 【行成が愛を注ぎすぎて結婚を渋っているうちに妹二人に先を越され、あわや婚期を逃しかけて、亡くなった泰清女(姉君)があの世から行成を叱りとばしにくるという事件が起こる。源顕基(俊賢の子)の後妻になったかとの説がある。 】、 中の君 【源経頼の妻となる。 】

源泰清女(妹君)

 先の源泰清女の妹。行成の妻となった姉の死後、妻となる。存命中から関係があったかどうかは不明。 行経と藤原長家の室となった姫君の母。『栄花物語』に行成と一緒に娘の世話をする様子が書かれています。 行経【母は源泰清女(妹君)
元服は治安三年(1023)12歳の時(加冠役は藤原頼宗) 16歳の時に行成と死別するも、頼通のウケが良かったからか、早世したが長家室となった姉の縁故か、兄弟の中で一番出世し最終的に従二位参議まで昇る。  藤原資房と仲が悪かったのか、資房の日記『春記』に記載がある。 父に似て能書家。後の世尊寺流は彼の子孫。】、 三の君【藤原長家(当時14歳・道長の末っ子)と結婚。 当時彼女は12歳。雛遊びのお人形のような可愛らしい夫婦だったという。もともと体が丈夫ではなかったようで行成を心配させまくり、望んでなったはずの大宰権帥を返上させている。 15歳で病没。その時の様子が栄花物語に書かれている。 死後、猫に転生して…という話が『更級日記』にある。】、 四の君【万寿二年(1025)に長家の妻となっていた斉信女が亡くなると、行成は再度自分の娘を長家と結婚させようとして、愛娘千古の結婚相手を捜していた藤原実資と長家争奪戦を繰り広げます。】

60代醍醐天皇885-930延喜帝
  ┃┃┃┣克明親王,宣子内親王(斎院)
  ┃┃┃源封子(源旧鑑娘)
  ┃┃┣代明親王904-937(邸宅は伊尹,行成の邸とす)
  ┃┃藤原鮮子 ┣源重光 923-998
  ┃┃     ┣源保光 924-995(桃園中納言)
  ┃┃     ┃藤原伊尹┗娘従三位源泰清

  ┃┃     ┃ ┣懐子 ┃源泰清(有明親王男)
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┣娘姉  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃┣薬助丸?  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃┣実経 998-1045  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃┣良経1001-1058為尊親王下で育ち、元服時の加冠役は源俊賢  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃┣大君:源顕基(俊賢の子)の後妻  
 
 ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃┣中の君:源経頼の妻  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃行成  
  ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┃    ┏定実-1131
 
 ┃┃     ┃ ┃   ┃ ┗娘妹┏伊房1030-1096
  ┃┃     ┃ ┃   ┃  ┣世尊寺行経1009-1050
  ┃┃     ┃ ┃   ┃  ┣三の君1007-1021:藤原長家の室
  ┃┃     ┃ ┣挙賢 ┃  ┣四の君?
  ┃┃     ┃ ┣義懐 ┣
行成972-1028
  ┃┃     ┃ ┣藤原義孝
  ┃┃     ┣恵子女王925-992
  ┣重明親王   ┣壮子女王930-1008(村上帝妃具平母)
  ┃源昇娘    ┣厳子女王(頼忠妻 公任母)
  ┣勤子内親王 定方娘

  ┣源高明914-982
 源周子 ┣俊賢959-1027
 -935  ┣明子
    愛宮┣頼宗、能信、寛子
      藤原道長

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