双ノ丘の北には御室があり、光孝天皇は西山御願寺の建立を発願し、宇多天皇がその遺志を受け継いで888年に金堂を建立し先帝の御斉会を行った。 そのときの年号から仁和寺と云われるようになった。宇多天皇は即位したあと仁和寺で出家し三十数年間仁和寺で過ごした。御室というのは法皇の御所のことで宇多天皇以降は代々皇族から門跡がはいり、いつしか御室御所といわれるようになった。 徳川時代には家光により仁和寺の復興援助がなされ、京都御所の紫宸殿を移築して金堂が修復され、清涼殿の古材を用いて御影堂が立てられ、 このときに五重塔、仁王門などが造営された。 徒然草の吉田兼好は仁和寺南の双ノ丘麓に住んでいたと推定されており、徒然草には仁和寺の僧侶を登場させている。 芋頭を好んで食べる盛親僧都は自由人であったり、石清水八幡宮の麓を八幡宮と勘違いして参拝を終えて帰ってきたり、酒に酔った頓馬な法師などである。
仁和寺の仁王門と本堂
仁和寺の隣にあるのは石庭で知られる竜安寺で衣笠山が背後に聳え、南には鏡容池が広がる。 鏡容池は平安末期に左大臣・藤原実能が山荘の園池として設けた。 実能は山荘内に徳大寺を建立したことから徳大寺家の祖ともいい、鏡容池は徳大寺の当時を伝える唯一の遺産で、嵯峨天皇の大沢池や西園寺公経が北山殿に掘った鏡湖池などと共通点をもつ。 また、鏡容池は円融天皇が営んだ円融寺の池という説もあり、すぐ近くに64代円融天皇後村上陵がある。 室町時代には細川勝元がこの山荘を譲り受け妙心寺系の寺を開いたのが竜安寺である。 竜安寺といえばあまりにも有名なのが前庭の石庭で、白砂が敷き詰められ15個の岩石が絶妙な配置をかもしだす。 実は竜安寺の裏山には円墳が点在していて(朱山古墳群)多くの天皇陵もある。 これらの天皇達は優雅な平安王朝に生きた天皇で、源氏物語を愛読した一条天皇をはじめ、後朱雀天皇、後冷泉天皇、後三条天皇などの藤原道長・頼通・通房とともに時代を生きた天皇がここに眠っている。
竜安寺 鏡容池と石庭
藤原為房(1049-1115白河上皇に重用)
為平親王娘 尊子1003-1087(道長五女) ┣為隆1070-1130(万里小路家祖)
┣隆姫女王995-1087 ┣俊房1035-1121 ┣顕隆1072-1129(葉室家祖)
┣次女 ┃ ┣顕房1037-1094 ┃┗徳大寺実能1096-1157━公能1115-1167
┣師房 ┃ ┃ ┗賢子(白河中宮)┗妹(堀河・鳥羽の乳母)
┣嫥子女王┃ ┣麗子
具平トモヒラ親王┣源師房(1008-1077養子) 篤子内親王
┣源嫄子(敦康親王娘1016-1039養子) 中宮賢子 ┣
┃ 彰子┣祐子内親王1038-1105 藤原茂子(公成娘)┣73堀河天皇1079-1107
┃ ┣69後朱雀1009-1045 ┣72白河天皇1053-1129
┃ ┃ ┃ ┣71後三条1034-1073 ┃藤原顕季アキスエ母(白川乳母)
┃ ┃ ┃禎子内親王(陽明門院1013-)┃┣長実1075-1133
┃66一条天皇┃ 光子(堀河鳥羽の乳母) ┃┃ ┗得子(美福門院)1117-
道長966-1028┃ ┣70後冷泉1025-┣三条実行 ┃┣家保 ┃
┣頼通992-1074 藤原嬉子┃ ┣西園寺通季┃┣顕輔 ┣76近衛天皇
┃ ┃ ┣通房1025-1044 ┃ ┣徳大寺実能┃藤原経平娘 ┃ 1139-1155
┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗公能 ┃ ┃
┃ ┃源憲定・娘┏━━━┛ ┣璋子(待賢門院)1101-1145┃
┃ ┣覚円 ┣ x 実季┳公実 ┣75崇徳 1119-1164 ┃
┃ ┣寛子 1036-1127平等院奥院┗苡子 ┣77後白河1127-1192 ┃ 忠隆娘
┃ ┣師実 1042-1101京極殿 ┗┓┃ ┃ ┣基通
┃ ┣家綱-1092 ┣師通モロミチ1062-1099 ┃┃ ┏━━━━━━━┛┏近衛基実
┃ ┣忠綱-1084 ┣賢子 ┃ 74鳥羽上皇 ┣近衛基房
┃ ┃ 麗子 ┣忠実1078-1162 ┣- ┣九条兼房
┃ ┏藤原祇子 ┏全子 ┃ ┣泰子(高陽院1095-1155) ┣慈円
┃頼成(隆姫義弟) 俊家1014-1082 ┃隆子┣忠通(法性寺関白1097-1163)
┣教通996-1075 ┃ ┣源師子1070-1149
倫子 ┃ ┃┣ x ┃源顕房1037-1094
┃ ┃嫥子女王 ┣頼長1120-1156(内覧 保元の乱で敗)
子内親王 ┣ 信家 盛実娘
┣ 通基
┣ 信長1022-1094(九条太政大臣)
┣ 生子1014-1068(後朱雀女御)
頼忠 ┣ 歓子1021-1102(後冷泉皇后)
┣公任┣ 真子(後冷泉女御)
厳子女王┣娘
昭平親王娘