在原業平・行平
遍昭・素性が桓武天皇の系統であるのに対して、在原兄弟は平城天皇の子孫である。 826年平城天皇の子・阿保親王(第一皇子で、母は藤子)は異母兄・高岳親王(母は伊勢継子)の子が在原朝臣に下った例に倣って、業平・行平兄弟を在原姓とした。 阿保親王は、薬子の変( 藤原種継の娘・薬子は兄・仲成とともに、平城上皇の許、政権を握ろうとしたが、坂上田村麻呂率いる藤原冬嗣・嵯峨天皇側に敗北し、薬子は服毒自殺、平城上皇は奈良に幽閉された。) に連座して大宰府へ流された。 15年後、父平城上皇の死によって阿保親王は帰京を許された。 在原行平は大宰府赴任中に生まれ、業平は帰郷後、桓武の皇女・伊都内親王との間に生まれた。その間、嵯峨天皇は皇太弟・淳和天皇に譲位し、わが子正良親王(後の仁明天皇)を皇太子とすることで嵯峨上皇・藤原冬嗣の権力はゆるぎないものとなる。 薬子の変まで皇太子であった高岳親王は地位を追われた後仏門に入り、真如と名乗り、後年唐に渡り他界している。
在原業平・行平兄弟はこのような境遇に生まれ、25歳と28歳になったとき承和の変が起こる。 842年、嵯峨上皇が死を迎えようとしていたとき、伴健峯、橘逸勢という下級官人が阿保親王に謀反をそそのかすが、嵯峨太后・橘嘉智子に密書を送り、身の潔白を申し出た。 このとき淳和上皇の子・恒貞皇太子は廃せられ、代わりに良房の妹・順子が産んだ道康親王(後の文徳天皇)が皇太子となり、中納言良房の勢いが拡大していくのである。
阿保親王は密告の3ヵ月後に忽然とこの世を去った。死因は不明であるが、陰謀による他殺を匂わせる事件である。 自滅にも思える父の死に在原業平・行平兄弟の苦悩が窺える。 行平は後に気骨溢れる公卿に昇り、国政に携わった時には関白・藤原基経の権勢に抵抗を示し、参議・橘広相とともに異論を唱えたりしている。 因みに参議・橘広相は後に宇多天皇の腹心として基経と真っ向から対決する人物である。 行平は後に須磨に籠居しなければならなくなったが、須磨には在原氏の所領があったようである。 また芦屋市には阿保親王陵があり、伊勢物語に頻繁にでてくる摂津の地名からも縁の深さが推定されるのである。
芦屋市にある阿保親王陵(撮影:クロウ)
国道二号線沿いに立つ阿保親王の石碑を北へ行くと御陵があります。
源氏物語の「須磨」の巻きが行平の籠居をモデルに描かれたのは有名な話である。 行平が須磨に籠居していたとき、地元の姉妹と恋仲になり、別れの時に行平は狩衣と烏帽子を残して旅立ったが、残された松風・村雨姉妹は悲しみに暮れたという。 今でも須磨には松風・村雨が町名として残っている。 一方、源氏物語の「須磨」では光源氏が花散里・明石の姫君との出会いを描いている。 須磨の松風村雨堂(撮影:クロウ)
行平: 立ち別れいなばの山の嶺に生ふるまつとしきかば今かへり来む
京都・風俗博物館での須磨の場面 (撮影:クロウ)
弟の業平というと色好みの報いとして出世の裏街道を歩いた感があるが、突如として蔵人頭に抜擢された異色の人である。 というのも業平は若き頃、清和帝の皇后・藤原高子とは恋仲であり、高子に引き上げられたのである。また文徳天皇の第一皇子である惟喬親王(文徳天皇と更衣・紀静子との間に生まれたこれたか親王は、異母弟で後の清和天皇(母は藤原良房の娘・明子)との皇太子争いに敗れて失意し、比叡山に隠凄する。)との風流の交わりや、惟喬親王の妹で伊勢・斎宮となった恬子内親王との一夜限りの契りなど、浮き世離れした色恋の生涯を送ったことでも知られている。
業平: ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くぐるとは
┣朝忠
┣ 定方 ┣藤原穆子
┣ 胤子 ┃ 婉子972-998(為平親王娘,花山女御)
┣藤原高藤 ┣醍醐天皇 ┃ ┣資平(養子)かぐや姫
良門 ┣敦実親王 ┣倫子┏実資サネスケ957-1046(小右記)実頼三男・斉敏四男
順子 59宇多帝 ┣源雅信-993┣頼忠924-989┳公任966-1041
┏娘 ┃ ┗遵子957-1017(円融妃)
長良802-856 ┣褒子(宇多妃)┃
┣国経 ┏時平871-909 ┣敦敏912-947┳佐理スケマサ944-998 (懐妊中死亡)
┣遠経 ┃ (小野宮殿)┃ ┗為光妻 藤原忯子-985
┃ ┃ ┏実頼 ━╋斉敏928-973━懐平 63冷泉帝 ┣
┣基経836-891 ━╋仲平┃(九条殿)┗述子933-947(村上女御)┣65花山帝(師貞親王)
┣淑子 ┣忠平╋師輔-960━┳伊尹コレタタ(一条殿)┳懐子
┣高子842-910 ┃-949┗師尹 ┣為光942-992 ┣挙賢 清少納言
┃┣貞保 ┃ (小一条) ┃(母:雅子内親王)┃ ┃
┃┣敦子 ┃ ┣芳子 ┃ ┣誠信964-1001┣義孝━行成
┃┣陽成帝869-949 ┃ ┃(村上妃┃ ┣斉信967-1035┣義懐ヨシチカ
┃┗━━━━━━┓┃ ┗済時995┃ ┃タダノブ 恵子女王
乙春 ┣元良-943┃┃ ┣為任┃ ┗忯子(花山妃)
┏綏子-925 ┃┃ ┃ ┃
┣簡子-914 ┃┃ ┗娍子┃(堀川殿) ┏媓子(円融中宮)
┣周子-912 ┃┃ (三条妃)┣兼通925-977╋顕光┳元子(一条帝女御)┓
┣定省867-931┃┣頼子(清和女御) ┃ ┗朝光┗延子(敦明女御) ┃
58光孝帝 ┃┣妹子(清和女御) ┃キンスエ ┗姚子(花山帝女御) ┃
紀静子 ┃┃ ┣公季957-1029━義子(一条帝女御),実成┃
┣惟喬親王 ┃┃ ┃(母:康子内親王) ┃
┣恬子内親王┃┃ ┃ ┃
55文徳帝 ┃┣温子(宇多女御) ┣兼家929-990(東三条殿) ┃
潔姫 ┣清和 850-881┃ ┣安子927-964 ┃
┣明子 ┗穏子885-954 盛子-943┣憲平親王(冷泉帝63代967年) ┃
良房804-872 ┃ ┣守平親王(円融帝64代969年) ┃
淑姫 ┣寛明親王(61朱雀帝)┣為平親王(安和の変で失脚) ┃
┣源兼明 ┃ ┣姫宮 ┣ 源頼定 ┛
┃16皇子 ┣成明親王(62村上帝)-967 高明娘保子┣ ?
60醍醐天皇885-930 ┃ ┃
┣源高明914-983(第十皇子) ┣広平親王 綏子(すいし)
┣雅子内親王(斎宮,師輔室) 祐姫
源周子-912 藤原元方┛南家の学者