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エジプト史跡を巡る-4 王家の谷・ハトシェプスト女王葬祭殿

2019年10月11日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

【エジプト新王国時代 BC1570-BC1070】

第5王朝期 --- 王の絶対性は崩れ、国内は乱れた

第6王朝期 --- 中央集権はさらに弱体化し、神殿建設は見られない

第7王朝以降--- 政治経済文化は地方分立の状態になるが、第11王朝期に於いて全国再統一される

        この頃からテーベ(今のルクソール)に新様式の美術が蘇る

第13王朝期 --- 再び内乱状態に陥り、アジアのセム系異民族・ヒクソスに占領される(15,16王朝)

第17王朝期 --- 難を逃れてテーベに蘇った末期の王はヒクソスを国外に追放

第18王朝期 --- 以降イアフメスを祖とする

        首都テーベの繁栄に伴って守護神アメンは国家神に昇格し、太陽神ラーと合体する

        これに伴いアメン神神官らの権力も強大になり、ついに王権をも凌ぐ

        第18王朝期のファラオ・アメンホテプ3世はこの専横を嫌い、テーベ対岸のマルカタに宮殿を築く 

        その子・アメンホテプ4世(アクエンアテン、イクナートン)はアメン神を廃して唯一神アトンへの信仰を国教とする

        イクナートン=イクン・アトン : アトン神を崇拝

       多神教から唯一神に変えることにより、神官の権力を奪う(初の宗教改革)

        住民のお布施は神官にではなくアクエンアテンの元に入る

        アマルナ美術繁栄

        メソポタミアとの外交 : メソポタミアのネフェルティティと結婚

       テーベでは唯一神を布教できないため、テーベ北方のアマルナに遷都

        したが、国威の失墜を招いて不遇の死 @33歳 を遂げる

       残された子8歳が Tut(姿) ankh(生きる) Amun(アモン神)

       ツタンカーメンのことである

 

第20王朝期 --- エジプト史上最も繁栄する

        ルクソールの王家の谷には、この時代のファラオが眠っている

       (第18王朝トトメス1世から第25王朝ラムセス3世迄)

        王墓としての巨大なピラミッドは消え、王家の谷と呼ばれる地下墳墓に密かに葬られた(BC1590年頃~)

        王家の谷はナイル川を挟んでアメン神を祀るカルナック神殿とは反対側にあり、太陽が沈む死者の街(ネクロポリス)

ファラオを埋葬するところと祭礼を行う所を分離し、葬祭殿は極めて巨大で壮麗なものとなる

代表例がハトシェプスト女王葬祭殿

男装したハトシェプスト女王像

この葬祭殿はハトシェプスト女王の統治下で寵臣で建築家のセンエンムトによって建造された

ハトシェプスト女王はトトメス1世の娘で異母兄弟のトトメス2世の妃となる

トトメス2世の死没後は国王は男という伝統を破って即位し権勢を振った(在位BC1503-1482年頃)

紀元前1457年にハトシェプスト女王が死んだすぐ後、ハトシェプスト女王のモニュメントは攻撃され、

彫像は引きずり下ろされて粉砕され、肖像や称号は摩損され、女性の王はエジプトの歴史から消滅した

ほぼ3000年後、現代のエジプト学者が損傷した碑文を再構成して彼女の正当な王朝の場所に復元する 

 

ハトシェプスト女王葬祭殿の南隣にはメンチュヘテプ2世(BC2050頃)葬祭殿がある

 

イアフメス1世第18王朝①        -BC1546 
   ┣アメンホテプ1世②        -BC1524 カルナック神殿を建設 
ネフェルトイリ ┗トトメス1世③    -BC1518 ヌビア遠征 アメン大神殿の造営継続  
          ┣トトメス2世④   -BC1504 
       ヌトネフェルト ┣トトメス3世⑥         -BC1425 ハトシェプスト補佐 カルナック神殿増築KV34  
             イシス
 ┣アメンホテプ2世⑦   -BC1419 エジプト帝国を維持 KV35 
                ハトシェプスト
┣トトメス4世⑧  -BC1388 アメン神官団の影響力の排除 
                  
 ティアア┣アメンホテプ3世⑨       -BC1349(第9代) メムノンのモデル WV22 
                    
ムテミヤ┣アメンホテプ4世⑩    -BC1333(アクエンアテン)アトン神を崇拝KV55? 
                        ┃ ┃ ┣ツタンカーメン⑫-BC1324 首都をテーベに戻す KV62  
                        ┃ ┃キヤ  ┣--   ┗アイ⑭   -BC1319
                        ┃ ┣アンケセナーメン   ┗ホルエムヘブ⑮(KV57 第18王朝最後)
                        ┃ネフェルティティ       ┗ラムセス1世① -BC1295-1294
                        ┣スメンクカーラー⑪    -BC1334 本拠地メンフィス KV55? 
                       
ティイ

 

ラムセス1世①       -BC1295-1294(KV16 第19王朝の第1代ファラオ ホルエムヘブの忠実な腹心) 
  ┣
セティ1世②      -BC1294-1279(KV17)ヒッタイトを押し戻しヌビアへ遠征 王家の谷に墓建設 
 シトレ ┣ラムセス2世③  -BC1290-1224(KV7)ヌビアに遠征 アブシンベル神殿を造営  
  
  トイ ┣カエムワセト(KV5)神官職 
      ┣
メルエンプタハ④         -BC1212-1202(KV8)60歳を超えての即位 
      ┃  ┃ ┣アメンメセス⑤    -BC1202-1199(KV10) 
      ┃  ┃タカト 
      ┃  ┣セティ2世⑥      -BC1202-1193
      ┃  ┃ ┃ ┣
      ┃  ┃ ┃タウセルト女王⑧    -BC1185(KV14 第19王朝最後)
      ┃  ┃ ┃ ┗セトナクト①    -BC1185-1182(KV14 第20王朝初代) カルナック神殿建設
      ┃  ┃ ┃   ┣ラムセス3世②  -BC1186-1152(KV11)海の民撃退(ジャヒの戦) カルナック神殿造営
      ┃  ┃ ┃メレネーゼ┃  ┃  ┣ラムセス4世③    -BC1151-1145(KV2)父が暗殺され、混乱を収束即位
      ┃  ┃ ┃     ┃  ┃ ティイ ┣ラムセス5世④ -BC1145-1141(KV9)アメンの神官団の台頭 天然痘で死去
      ┃  ┃ ┃     ┃  ┃   テントオペト
      ┃  ┃ ┃     ┃  ┣ラムセス6世⑤       -BC1141-1133(KV9)クーデターで王位簒奪し、王墓も奪う
      ┃  ┃ ┃     ┃ イセト  ┣ラムセス7世⑥   -BC1133-1126(KV1)治世記録無
      ┃  ┃ ┃     ┃   ナブケスベッド
      ┃  ┃ ┃     ┣ラムセス8世⑦          -BC1125-1126(王墓不明 同王朝で最も不明瞭な支配者)
      ┃  ┃ ┃    ティエ  ┗ラムセス9世⑧      -BC1126-1108(KV6)
      ┃  ┃ ┃           ┣ラムセス10世⑨    -BC1108-1098(KV18未完成)
      ┃  ┃ ┃          ??
  ┣ラムセス11世⑩ -BC1098-1070(KV4)第20王朝終焉
      ┃  ┃ ┃             ??
      ┃  ┃ ┣サプタハ⑦  -BC1193-1187(KV47)政治の実権はタウセルトとバイが握る
      ┃  ┃ ┃
      ┃  ┃ ┃
      ┃  ┃ ??
      ┣イシスネフェルト2世
   
  イシスネフェルト1世

            

 

 エジプトに於いて女性が重要な意味を持っていたことは、言うまでもない。クレオパトラもそうであるが、ギザの第一ピラミッドを建設したクフ王の母・ヘテプへレスは、夫のスネフェルが亡くなった後王位に就いたクフ王が幼少であったので、その後見人となり実権を握ったという。ハトシェプスト女王も自分の娘婿トトメス3世を差し置いて20年近くもファラオとして君臨した。アクエンアテンに影響を与えたネフェルティティ、ツタンカーメンを支えたアンケセナーメン、ラムセス2世の正妃ネフェルタリなど数多い。第一王子といえども王位継承権を持つ女性と婚姻関係を持たなければファラオになれないという慣習があったのである。対外的にエジプト王妃を代表する女性は一人。この正妃はファラオと同じように上下エジプトの統治者であり、同じ権利を持っていた。この理由には古代エジプト神話に登場するイシス神の見識と実行力が関わっている。古代エジプトの女性はイシス神を理想として人生の模範とした。

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